2020/08/23(日) 井原市西江原町「道祖溪」& 井原市野上町「那須与一公墳」 <5/6> |
ノンビリと下りて来ましたけど「座禅岩」まで戻って来ましたので、この辺で流れの近くまで下りてみます事に…
足場が悪くて滑りそうですけど、気を付けながら岩の上を(^-^)
流れに近付きますと、水質はさほどキレイでもなさそうですネ。手を浸けますと、冷たさは感じず水道の常温程度でしたかも…もっと水量が豊富ですと、画像に納めますのにイィ景観なのでしょうねぇ(^-^)//"
ノンビリと歩いて下りましたけど、どうやらスタート地点の駐車場まで戻って来ましたようです。
「P道祖溪駐車場」の表示板がありましたけど、う〜ん、GONsanは道祖溪の駐車場ではなくて葛、和鋳造所sanの駐車場に車を駐めましたようですねぇ〜たまたま、この日は日曜日でしたから良かったものの、いゃぁ気付きませんでしたネ(^-^;
駐車場まで戻って来まして、せっかく道祖溪を訪れましたのですから、この近くに存在します『那須与一公墳』に立ち寄ってみましょうか…
ですが、その前に、那須一族の菩提寺であります「永祥寺」sanに参詣を(^.-)☆
WEB上で「永祥寺」を検索してみますと、こんな記載が…
◆永祥寺(井原市)
--- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---
永祥寺(えいしょうじ)は岡山県井原市西江原町にある曹洞宗の寺院。山号は禅洞山。
当寺が所在する西江原町は、那須与一が屋島の戦いにおいて扇の的を射落とした功の恩賞として与えられたとされる5か所の荘園のうちの一つ、備中国荏原荘にあたる。那須氏はもともと下野国が本貫であり、荏原荘は分家の荏原那須氏が治めていた。当寺は、嘉慶元年(1387年)に那須資道、資英親子が荏原那須氏の菩提寺として、峨山韶磧門下の実峰良秀(峨山二十五哲の一人に挙げられる高弟)を招いて創建したと伝わる。
境内には那須与一が屋島で扇の的を射る際に邪魔になるとして破り捨てた右袖を納めたとされる「袖神稲荷大明神」があり、扇の的の故事になぞらえて祈願必中の社として信仰を集めている。寺域には荏原那須氏の墓所がある他、やや離れた山中に那須与一公墳がある。
◆禅洞山 永祥寺(えいしょうじ)
那須与一が屋島の合戦の功績として与えられた荏原荘に、那須氏が地頭として来地後、菩提寺として開基したといわれているのが永祥寺です。
境内には、与一が屋島の合戦で弓を引く際に破り捨てた片袖を祀ったという袖神稲荷があります。また、寺の北東の山中には与一を供養する五輪塔が建てられています。
※ 永祥寺にご用の方は、華光寺(けこうじ)(0866-96-0916)までお問い合わせください。
所在地:岡山県井原市西江原町5512
TEL:0866-96-0916(華光寺)
◆袖神稲荷/永祥寺
所在地:岡山県井原市西江原町5512
那須与一が源平屋島の戦いにおいて扇の的に向かって弓を引く際に破り捨てた片袖を奉納したとされる稲荷。源平の戦いの後、那須氏が備中荏原里庄の地頭として来地後に菩薩寺として創建した永祥寺の境内にあります。
それでは、「禅洞山 永祥寺」に向かいます(^-^)//"
それでは、山門を入り「永祥寺」境内へ(^.-)☆
山門を入りますと、正面に本堂、右側に鐘楼。左側には、袖神稲荷大明神(そでがみいなりだいみょうじん)、那須一族之墓が…
WEB上で検索しますと、こんな記載がありました。
◆袖神稲荷大明神(そでがみいなりだいみょうじん)
那須与一が屋島の合戦の功績として与えられた荏原荘に那須氏が地頭として来地後、菩提寺として開基したという永祥寺の境内には、与一が屋島の合戦で弓を引く際に破り捨てた片袖を祀ったという袖神稲荷があります。
また、寺の北東の山中には与一を供養する五輪塔が建てられています。
『袖神稲荷の縁起』には、
屋島の源平合戦の際、その名をはせた那須与一宗隆は稲荷を守護神として戦場でも肌身を離さなかった。
平家の船が扇を竿の先につけ舳(へさき)に立たせて源氏の兵に射せしむ、射失じなば生還せずと、右袖を波打ち際に投げ捨てる。この袖を拾った同族の主、押し戴いて稲荷大明神に大願の成就を祈念す。
与一その扇の要を一矢にて射抜き、戦功により荏原の庄を賜り、その孫荏原に小菅城を築き城内に稲荷を祀り、ご神体と共にその片袖を安置す。最初は片袖稲荷と申し上げていたが、いつ頃からか袖神稲荷大明神と唱え、小菅城より永祥寺境内に遷し祀る。
◆袖神稲荷大明神
井原市西江原町の「永祥寺」境内にある稲荷で、当地にゆかりのある那須与一が屋島の合戦で扇の的を射抜くとき、破り捨てた袖を祀っています。別名「一発稲荷」として多くの受験生が願かけに訪れます。
一発必中のご利益があるということで受験生や新規出店など商売繁盛を祈願する「絵馬」などが多くかけられる。
◆井原駅に合格祈願ガチャ 那須与一伝説にちなむ
--- 2020年1月3日 3時00分 朝日新聞デジタル ---
受験シーズン本番を前に、合格祈願のガチャガチャが、井原鉄道井原駅にお目見えした。1回100円のカプセルには、受験生に縁起のよい「一発稲荷」と呼ばれる地元の神社で祈?(きとう)をすませたおみくじやお守りが入っている。
おみくじ、お守りとも、弓の名手・那須与一をまつる「袖神(そでがみ)稲荷」(井原市西江原町)で12月半ばに祈?を受けた。
那須与一は、平家物語の源平・屋島の合戦に登場する武士。源義経の命で、平家側の船上にかざされた扇を波打ち際の馬上から一矢で射落としたとされる。袖神稲荷ではその際に与一が破り捨てた袖をまつっており、地域では一発成就の神様として多くの受験生が願かけに足を運ぶという。
◆岡山県井原市の歴史散歩(那須与一菩提寺永祥寺)
--- https://194116410.at.webry.info/200902/article_3.html ---
所在地:岡山県井原市西江原町才児
興譲館の北東に名刹曹洞宗永祥寺がある。
源平屋島の合戦で、みごと船上の扇の的を射落とした那須与一宗隆は、その恩賞に備中国荏原荘ほか4庄を賜った。那須氏はその中心の西江原に本拠をおいたようである。
備中那須氏の子孫は室町時代に没落したが、その菩提寺がこの永祥寺である。境内には遠州流庭園があることでも知られている。また那須一族の墓もある。
永祥寺の南方にある小菅山城跡があり、かつて那須氏の城砦だと伝えられている。寺のそばを流れる雄神川を遡ると県名勝の道祖渓がある。
…と、那須与一にまつわる記載は多いようであります(^-^)//"
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