福山市神辺町 チャレンジウォーク in 要害山 <5/5> |
■神辺本陣
江戸時代、尾道屋菅波家が営んでいた西本陣の跡。尾道屋菅波家は酒造販売業も営んでいた。
延享五年(1748)に建てられた本屋(平屋建瓦葺)は、御成の間、上段の間、三の間、札の間、玄関、敷台に至るまで、参勤交代の諸侯が宿泊した当時の面影をそのままにとどめている。札の間には諸侯の投宿時門前にかかげた木札が数多く伝わる。
店住居は天保2年(1831)建築、背後には馬屋も残り、安政2年(1855)の建築という正門と木造瓦葺の塀もあわせて、江戸時代の本陣施設がよく保存されている。江戸時代の神辺は西国街道(近世山陽道)の宿駅として栄えた。
本陣は大名宿とも言われ、江戸時代(1603〜1867)、街道の宿場に置かれた大名・公家・幕府役人などの宿泊所である。建物は書院造で門・玄関・上段の間がある広大な規模であるが、この制度は、明治3年(1870)に廃止された。
神辺は江戸時代に備中(岡山県)矢掛(やかげ)と備後今津の中間に位置する西国街道の宿場町として栄え、その名残りはこの神辺本陣に偲ぶことができる。神辺本陣はもと七日市の東本陣と三日市の西本陣の二軒あったが、西本陣のみが現存している。
延享5年(1748)に建てられた本陣の本屋は、御成の間・上段の間・三の間・札の間・玄関に至るまで参勤交代の諸侯が宿泊した当時の面影をとどめている。なお、屋敷全体を県史跡として指定し、建物は県重文として指定している。
(右)JR神辺駅です(^.-)☆
(左)(中)ノンビリと歩いていましたから神辺駅到着はP.M.1:00少し前で、ラッキーにも井原線の“水仙号”に乗車となりました(^_^)v
↑↓ 福塩線“横尾駅”の景観です(^.-)☆
思わず笑ってしまいましたけど、カメラを構えていますGONsanを彼等も笑ってくれました(^_^)v
(中)福塩線・備後本庄駅の景観です(^.-)☆
(左)(右)井原線の「水仙号」…大変キレイな車輛でありました(^.-)☆
(左)福山駅から我が家までは、いつものように鞆鉄バスsanを利用でした(^.-)☆
↑↓ 水呑大橋より少し川上側では、依然として親水公園整備の工事が進行中でありました(^-^)/"
(左)対岸ではジョギング中の方がお一人(^-^) (右)相変わらずカラスの皆さんのフンで、中洲の樹木は真っ白ですねぇ(^.-)☆
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