岡山県成羽町 吹屋ふるさと村 <6/8>
 広兼邸

 広兼氏は大野呂の庄屋で、同家2代元治が享和、文化の頃、小泉銅山とローハ(ベンガラの原料)製造を営み巨大な富を築き、二階建ての母屋、土蔵3棟、桜門、長屋、石垣は文化7年(1810年)の建築で庭園には水琴窟が設けられており、規模、構造とも雄大な城郭を思わせる構えで、今もそのままに当時の富豪を偲ばせている。

 邸宅の向かいには明治初期、天広神社が建てられ、広兼個人の神社として祀られていた。
 社務所もあり、境内には花木が植えられ、池・築山が作られ、形の変わった石燈篭数基がおかれ、狛犬もあり、全体的には庭園風となっており衆楽園と呼んでいる。

 離れは大正の建築でお茶室、化粧部屋、客間、風呂等を備えたお座敷で、当主の結婚式に一度使用しただけで、以後は使用されていない。
 映画「八つ墓村」のロケが昭和52年と平成8年の二度にわたり行なわれ、全国に放映された。

 

  

↑↓ 広兼邸の景観です(^.-)☆ (中)桜門です

  

  

↑↓ 広兼邸の景観です(^.-)☆

   

(左)水琴窟です この竹の筒に耳を当てますと、奇麗な金属音が静かに耳に響きましたよ(^_^)v
(右)離れ座敷です

 水琴窟

 滴が水面に落ちて甕(かめ)の空洞に反響する音が水門から立ち昇ってきます。当時の水琴窟は甕に溜まった水が、自然に地中にしみて行きます。水位は一定に保たれることはなく、常に良い音が聴けると言う物ではなかったようです。

 また甕の中に器をおいて水を溜める方法も見つかっていますが、砂等も溜まりやすく寿命も短かったと言われています。
 現代の水琴窟の場合は、甕の底にモルタルを敷いてパイプをつなぎ、水位を常に一定量にして排水するスタイルが一般的です。

  

↑↓ 広兼邸の景観です(^.-)☆

  

(中)(右)土蔵です

  

(左)(中)(右)土蔵の中の展示品です(^.-)☆

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