足利学校の歴史
足利学校の創建については、奈良時代の国学の遺制説、平安時代の小野篁説、鎌倉時代の足利義兼説などがあ
りますが、歴史が明らかになるのは、上杉憲実(室町時代)が、現在国宝に指定されている書籍を寄進し、庠主(学長)制度を設けるなどして学校を中興した頃
からです。
鎌倉建長寺の往事の、玉隠永璵は、長享元(1487)年の詩文に「足利の学校には諸国から学徒が集まり学問に励み、それに感化されて野山に働く人々も漢
詩を口ずさみつつ仕事にいそしみ、足利はまことに風雅の一都会である」とあります。
また天文年間(1550年頃)には「学徒三千」といわれるほどになり、フランシスコ・ザビエルにより「日本国中最も大にして、最も有名な板東の大学」と
世界に紹介されました。
しかし、江戸時代の末期には「板東の大学」の役割を終え、明治5年幕をおろしましたが、足利学校の精神は現在に引き継がれています。
昭和57年「史跡足利学校跡保存整備事業」により、平成2年、江戸中期の姿に蘇りました。
(左)(右)いずれも歩道橋の上から足利学校を撮りましたもので
す
(中)JR足利駅から駅前の景観を撮りましたものです (右)
JR新幹線・小山駅構内で撮りましたものです