秋田県 秋田市 <12/13> |
(左)久保田城表門の表示板が… (右)久保田城表門です(^-^)/
↑↓ いずれも千秋公園内の景観です(^.-)☆
(左)せっかくの像も鳥のフンで随分汚れてしまって(^-^;
(中)(右)千秋公園内に存在しました“弥高神社”です(^.-)☆
弥高神社
明治十四年秋田市八橋に、平田神社を倉建し、平田篤胤大人命(ひらたあつたねうしのみこと)をまつったのが始まりです。
その後大正五年に、前は「八橋日吉神社」だったのが、このことがきっかけで名前を変え「弥高神社」になったそうです。今も、元の神社はありますが古くて昔の重みを感じるような気がします。
明治33年には斎館直会館が建設されて、現在結婚式場として広く県市民に、親しまれています。
平田篤胤
幕末の薩摩や長州の志士たちは、篤胤の著書を壊にいれて常に愛読し、志気を鼓舞していた。東北の雪深い秋田からただ独り江戸へ出て学問をもって身を立て、その思想が、やがて世の中を突き動かしていく。 幕藩体制が崩壊して明治維新という近代日本誕生の大きな節目の時期に、思想的なバックボーンとして大きな役割を担ったのが、偉大な国学者であり、実践的教育者であった平田篤胤その人なのだ…そぅです(^.-)☆
↑↓ いずれも千秋公園内の景観です(^.-)☆
いずれも千秋公園内の景観です(^.-)☆
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