広島市「不動院・黄金山」 呉市「呉ポートピアパーク・てつのくじら館・音戸大橋」<8/8> |
■2007年04月24日
そして最後は、音戸大橋の景観を楽しみながらの散策となりました(^-^)/
海上自衛隊昭和ふ頭での現役潜水艦の見物をサッサと終えましてからは、またまた廻り道で音戸大橋の景観を楽しみながらの散策となりました(^.-)☆
せっかくの機会ですから、ついでに…ついでに…と言いながら道草食っておりましたらスッカリ夕方近く(^-^;でも、音戸大橋の景観もまた仲々キレイなものでありました(^_^)v
こんな時間となりましても、音戸大橋を眺望しながら散策しています方は、結構おられましたネ(^.-)☆音戸大橋の説明は、またネット上で検索しまして、他の方の説明を引用です(^-^;平清盛が夕日を招き返して1日で切り開いたという伝説のある名勝地で、4月上旬には2,300本の桜、5月上旬には8,300本の紅白のツツジが咲き乱れ、真紅の「音戸大橋」とマッチした素晴らしい景観が楽しめます。幅90mの音戸の瀬戸に架かる主橋梁長172mの真紅の橋。1,000トン級船舶の航行を可能とするため螺旋(らせん)式とループ式の取付道路をもつ高架橋として、総工費3億6,200万円をかけて1961(昭和36)年12月に完成しました。一日に550隻の船舶が往来し、「瀬戸内の銀座」とも呼ばれる音戸の瀬戸。その海上にぐるぐるらせんを描く道路が架かっている。音戸大橋だ。
そのユニークなカタチは度肝を抜く。いったいなぜ、こんなカタチになったのだろうか。
実は、「音戸の瀬戸1,000トン級の大型船舶が通るので、船の航行を邪魔しないよう、海中には橋脚を立てない」「倉橋島側の用地は少ないので、なるべく橋に土地を取られたくない」という困難な課題があったのだ。
この課題を解決するための苦肉の策が、あのカタチになった。呉市側はループ式道路、倉橋島側は日本初のらせん型の高架橋となった。
世界的にも珍しい道路だったので、万全に万全を期するため、一か月に渡って自動車の走行テストが繰り返された。
1961年12月開通。瀬戸内海で初めて、本土から島に架けられた橋の誕生である。
当初は有料で、普通自動車が120円だった。興味深いのは、歩行者も5円支払わなければならなかったこと。そのかいあってか、予定よりも早く1974年には無料化された。…と、こんな音戸大橋ですけど、何年経ましてもすばらしい景観です(^.-)☆
GONsanもそぅでしたけど、音戸大橋にカメラを向けられます方々の姿が随分眼につきましたネ(^-^)//"
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