2025/02/02 福山市鞆町金古稲荷神社・小烏(こがらす)神社散策 |
■2025年02月02日17:06
お弓神事≠フ見物で、本日午後には沼名前神社行きとなりましたけど…(01)
本日・2/2(日)の午後は、お弓神事≠フ見物で沼名前神社行きとなりましたGONsanです。
我が家を、P.M.01:30に出まして中国BK付近の県営駐車場に到着です。まずは、駐車場3階から仙酔島・弁天島周辺の景観を数枚パチリ。意外にも、駐車場に駐まっています車の少ない事。でも、この時点では何にも不思議とは思いませんでしたけど…
お弓神事≠フ開始は、P.M.2:00からですから、まだタップリと時間は有りますので、ノンビリと沼名前神社へと向かいます。
が、これまた、沼名前神社への参道には人影の少ないこと。パラパラと観光客の方達が歩いておられます程度。
でも、それでも、何にも不思議とは思いませんGONsanでした。
そのうち、沼名前神社の本殿が視界に入って来ますと、さすがに、訪れています方々の異常な少なさに不安な気持ちが生じて来ましたネ(^-^;
随身門を潜り石段を上がりながら、ひょっとしたらお弓神事≠フ開催は今日ではないのかも…との想いが脳裏をよぎります(^-^;
石段を上がりきり、社殿の前に立ち、まずは拝殿となりました。
そして、境内を見廻しますと、何人かの観光客の皆様がおられましたけど、静かなものでありました。
社殿の傍らに置かれました掲示板のポスターには、『お弓神事 2月9日(日)午後2時 雨天決行』の記載が(^-^;
う〜ん、やっぱり、開催日を間違っておりましたネ。さりげなく拝殿を終えますと、サッサと退散となりましたGONsanです。
帰路には、せっかく鞆を訪れたのだから…と、初めて金古稲荷神社≠ノ立ち寄りです(^-^)
どんな歴史の有ります神社なのか分かりませんので、ChatGPT≠ナ尋ねてみますと、
◆金古稲荷神社
金古稲荷神社は、広島県福山市鞆町にある小烏神社の境内に鎮座しています。小烏神社は、足利直冬が滞在した大可島城に近く、歴史的な背景を持つ神社です。
金古稲荷神社の鳥居は鮮やかな朱色で、湾曲した笠木と金色の扁額が特徴的です。境内には「正一位五社大明神」と記された鳥居もあり、複数の社が祀られています。
詳細な創建時期や由緒についての情報は限られていますが、小烏神社の境内に位置することから、地域の人々に古くから信仰されてきたと考えられます。
…との事で、詳細は不明のようであります。
三つ並びました鮮やかな朱色の鳥居の三番目は、凄く反り返っておりますのが実に印象的でありました。今まで、こんなにも反り返っています鳥居は、眼にした事がありませんかも(^-^)//"
■2025年02月02日23:42
お弓神事≠フ見物で、本日午後には沼名前神社行きとなりましたけど…(02)
金古稲荷神社≠ノ隣接して南側には小烏(こがらす)神社≠ェ存在です。
ふん、ふん、金古稲荷神社の北側入口には小烏神社≠フ鳥居がありましたから、何で!?…と一瞬不思議でしたけど、そぅいぅ事でしたか(^-^)金古稲荷神社は、小烏神社の境内に鎮座していますのですねぇ〜
過去に、小烏神社≠ノは訪れていますのですけど、この裏側というか北側に金古稲荷神社≠熨カ在しましたのですネ。気付きませんでした(^.-)☆
WEB上で小烏神社≠検索しますと、こんな記載がありました(^_^)v
◆鞆の浦の観光スポット《小烏神社》
--- 鞆物語 https://tomonoura.life/spot/12652/ ---
小烏神社は、地元の人たちから「こがらっさん」の愛称で親しまれている神社。福島正則が鞆の浦の城下町を整備した際に、鍛冶工をこの地域に集めて鍛冶屋町を造りました。その中心にあるのが小烏神社です。
創建の年代はよくわかっていませんが、室町時代の後期に、鍛冶を生業とする人たちが、氏神様として祀ったのが起源ではないかといわれています。
12月には例祭である「ふいご祭り(鉄鋼祭)」も開かれます。現在の神社の境内は、1864(元治元)年に林半助らにより整地されたものだといいます。鞆鍛冶の伝統を今に伝えるお社さんです。
・小烏の森つわ者どものときの声
小烏神社は南北朝時代の古戦場としても知られています。
1349(正平4)年、足利尊氏の弟・直義の義子であった直冬は、中国(長門)探題として鞆の浦の大可島城に赴任していましたが、ちょうどその頃、高師直(こうのもろなお)と直義が対立。のち、直義が高師直によって追われたことを知った直冬は、高師直・尊氏と兵馬を交えることになります(小烏の合戦)。
その骨肉相食む合戦の結果、鞆の浦の刀剣鍛冶が発達したのです。
◇小烏の森古戦場―今はただ、静か…
・例祭・ふいご祭り -- そのふんわりとした縁日の雰囲気
小烏神社(境内社・天目一筒神社)では、12月に例祭である「ふいご祭り」が行われます。
“ふいご”というのは、鍛冶の際に火に風を送る送風機のこと。今では、ささやかに前夜祭で縁日が開かれるばかりですが、そのほのぼのとした雰囲気が、ほっこりと心を暖めてくれるのです。
◇鞆の浦の地元の人たちに愛される、ゆったりとした空気感
・小烏神社の基本情報
2012年8月14日 公開
住所:広島県福山市鞆町後地(小烏神社)
料金:境内無料
その他:[史跡]・小烏の森古戦場 [祭神]・小烏大神(こがらすのおおかみ)・天目一箇神(あめのまひとつのかみ)
◆小烏神社
--- ザ★歩く車マン http://www.arukurumen.com/01_otera_ichiran.html ---
・場所 -- 広島県福山市鞆町後地
・由緒 -- 室町時代、鍛冶を生業とする人々が氏神として祀ったのが、この神社の始まりらしい。1349年、足利直冬は中国探題として鞆の浦・大可島城にいたが、反逆を疑われ、足利尊氏の中央軍とここで戦ったらしい(小烏の森の合戦)。1570年頃、現在の鞆鉄工業の草分けともいわれる御用鍛冶の人々が社殿を建立したらしい。江戸時代、福島正則が鞆の浦・城下町を整備する際、この地に鍛冶工を集め鍛冶屋町を作ったらしい。その中心にあったのが小烏神社らしい。毎年12月には、ふいご祭り(鉄鋼祭)が行われるらしい。
・参拝日 -- 2016年4月9日
・日記 -- 本日は大好きな鞆の浦をブラリ。いつも鞆の浦に来る時は鴎風亭近くの駐車場に車を止め、路地好きの私はすぐ路地に入る。そして小烏神社で参拝してから鞆の浦をブラブラするというルーティーンがある。そんなこんなで、鞆の浦に来た回数=小烏神社に来た回数なんだけど、なぜか小烏神社のページを作ってなかったという。厳密にいうと作ってた気がしてた…多分、ボケ気味…近頃、脳ミソがハイティーン。そんな事より、この神社は鍛冶を生業とする人達が氏神として祀った神社とのこと。って事で、鉄工業の神&産業の神が祀られてます。ちなみに鞆の浦がある福山市はシャックルの生産がシェア.1。現代でも鉄工業が盛んな町です。私的なこの神社の見所は、反りに反った稲荷社の鳥居です。
…と、こんな記載が(^.-)☆
ザ★歩く車マン《anも、金古稲荷神社≠フ反り返った鳥居に触れておられますネ(^-^)
それでは、この辺で、小烏神社∞金古稲荷神社≠ゥら退散です。県営駐車場に戻って来ますと、今一度、沼名前神社の社殿をパチリとなりました。
一週間後の2/9(日)には、また改めて訪れなくてはなりませんネ。
それにしましても、スマホのスケジュール表には、チャンと「2/9(日)P.M.2:00〜沼名前神社・お弓神事」と登録していますのに、勘違いで本日訪れますとは(^-^;
GONsanもソロソロ、ボケが始まりましたのかも…哀しいですネ(^-^)//"
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