2023/04/21(金) 仏豪華客船ル・ソレアル≠ェ鞆に初寄港(^.-)☆ <4/4>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 皆さん、雁木に接岸で鞆に上陸後は、思い思いに鞆の町並みを散策ですネ。後方を付いて歩きたい気持ちに駆られますけど、そぅもいきません(^-^)
 何処を訪れますのか、そちらの方に関心が(^.-)☆
 日本人の観光客の場合は、こぅしたケースではグループで行動されますけど、外国の観光客の皆さんは、大概、ご夫婦か、お独りで観光されます方が多いようで、グループでの行動はほとんど見掛けません。
 ただ、マップ・パンフレットを手に歩かれますのは、日本の方も外国の方も同様かも(^-^)//"


 ◆鞆の浦の観光スポット『むろの木歌碑』

 --- https://tomonoura.life/spot/13532/ 鞆物語 ---

 仙酔島に渡す渡船場前あたり、ゆっくり散策していると気になる石碑があらわれる。少し立ち止まって目をやってほしいのが、むろの木歌碑。
 「吾妹子が見し 鞆の浦のむろの木は とこ世にあれど見し人ぞなき」
 万葉秀歌といわれるこの歌は、天平2年(730年)大伴旅人が太宰府の役人の任期を終え、都へ帰る途中、鞆の浦へ立ち寄った時の歌で、亡き妻をしのぶ気持ちを歌に乗せています。むろの木は、ヒノキ科の常緑低木の杜松(ねず)か、あるいは這杜松(はいねず)のことと言われています。変わることのない自然と、はかない人間の命の対比のあざやかさが、旅人の悲しみをきわだたせています。

 ・大伴旅人は、奈良時代の政治家であり、「万葉集」の歌人
 大伴旅人は、神話時代以来、天皇を補佐してきた軍事名族・大伴氏の氏上(うじのかみ)。
 旅人は七十首前後の歌を残していていますが、その殆どは晩年の3年間(64〜67歳)に作られたそうです。鞆の浦で詠まれたこの歌もその頃のもの。

 

 ◆むろの木歌碑

 吾妹子之見師(わぎもこがみし)
  鞆浦之天木香樹者(とものうらのむろのきは)
   常世有跡見之人曽奈吉(とこよにあれどみしひとぞなき)


 古来、鞆の浦は瀬戸内海交通の中心の港でした。万葉の時代は遣唐使、遣新羅使などが立ち寄り、いくつも歌が詠まれています。万葉秀歌といわれるこの歌は、730年(天平2年)大伴旅人が太宰府の役人の任期を終えて鞆の浦によったときの一首です。727年(神亀4年)か728年(神亀5年)に任地に向かう時、妻の大伴郎女(おおとものいらつめ)と神木のむろの木に海路の安全などを祈ったと考えられます。728年(神亀5年)太宰府で最愛の妻を失った旅人の嘆きが伝わってきます。

 
--- 観光案内板より ---

 仏豪華客船ル・ソレアル≠WEB上で検索してみますと、船内はこんな感じなんですねぇ〜
 それではこの辺で、鞆から退散です(^-^)//"

 

 

 

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