2023/11/19(日) 「第11回鞆の浦駅伝大会=v観戦 <2/2>

 

 

 

 

 

 

 

 

 こぅして画像に納めながら、通過して行きます選手の皆様をザッと数えてみたのですけど、40人くらいおられましたかも…エントリーは、正確には分かりませんけど、40〜50チームでしたのかも(^-^)
 まぁ、明日の朝刊で確認出来ますのですけど(^-^)//"

 

 

 

 

 

 

 そぅしておりますと、後尾≠フ表示を付けましたバイクがヤッて来ました(^-^)
 …と、言う事は、ゼッケンau19」のチームが最後尾と言う事になりますネ。チョッと苦しそうにお見受けしますけど、最善の体調ではありませんでしたのかも…
 とにかく、全チームが通過して行かれましたので、この辺で、GONsanは退散です。
 この日の様子は、翌日の中国新聞に記事掲載がありました。
 参加チームは、51チームで、約300人が参加。本大会は、2013年に始まり今回が最後の開催。その理由は、『運営スタッフの高齢化でルート上の交通整理やランナーの安全確保に支障が出る可能性があるため』のようであります。
 鞆の浦駅伝大会≠フ詳細は、福山市議大田祐介《anが、Facebookに詳細に綴っておられましたので、下記に引用です(^-^)


 ◆本日は鞆の浦駅伝最終回!

 --- 大田 祐介(Yusuke Ota) https://www.facebook.com/Usuke.Ota ---


 この大会の開催目的は福山マラソン「鞆コース」実現の布石でした。
 1980年の第1回福山マラソンでは竹ヶ端から鞆を往復するコース設定により大渋滞を引き起こし、住民からの苦情により鞆コースは封印されてきました。そこで水呑・高島・鞆学区住民の同意を得るべく交通規制を必要としない駅伝を企画し、住民に選手及び交通整理等のボランティアとして参加してもらうことにより鞆コース復活を目論んだ訳です。
 また、当時は湯崎知事が鞆の埋め立て架橋計画の方針転換を表明し、住民の間に動揺が走っていましたので、賛成・反対の枠を越えて共に汗を流すイベントという意味合いもありました。
 私は山の上で「グリーンライン駅伝」を開催していた実績を買われ、本大会のコースや中継点、駐車場や選手の送迎方法等を取り決め、西警察署に道路使用許可を取るなどの準備の結果、2013年の第1回大会開催に漕ぎつけました。
 西署の全面的な協力により先導に白バイが走るなど、大いに盛り上がりました。
 そして2016年の第35回福山マラソン(市政施行100周年記念大会)では念願の鞆コースが復活したのです。その後の駅伝は鞆のまちづくりを意識されてか、広島県東部建設事務所チームや福山市教育委員会チーム等の官製チームが多数参加され、良い雰囲気が作れたと感じています。
 本大会はコロナを挟んで11回開催し、当初の目的はほぼ達成したので役目を終えることになりました。グリーンライン駅伝から数えれば合計20回の駅伝を開催したことになります。我ながらすごい!(笑)
 振り返れば、開会式における故天野スポーツ協会会長のご挨拶、田尻の海岸線から見える仙酔島の絶景、鞆の路地、平の港からグリーンラインに向けて登る急坂、岩谷DJにより盛り上がる沼名前神社参道、ゴール後の地元女性陣による「ちゃんこ鍋」…来年には「鞆未来トンネル」も開通し、平港は埋め立てられ、沿道は大きく様変わりします。しかし、本大会の思い出は参加された皆さんの心の中に残り続けることでしょう。


 …と、こんな記事ですけど、ふ〜ん、鞆の浦駅伝大会≠ヨの大田市議の貢献度、大なるモノがありましたのですねぇ〜全く知りませんでした(^-^)
 とにかく、楽しませて頂きました鞆の浦駅伝大会=A今回で終わってしまいましたけど、大田市議さん、そして関係者の皆様、大変お疲れ様でございました。有難うございましたです(^-^)//"

 

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