2022/03/19(土) 福山市田尻町「あんずロード」散策 <5/9>

 

 

 

 

 

 

 

 十三仏を拝見後は、いつものルートで、菜の花畑に向かう前に「十三重石塔」に立ち寄りです。
 それにしましても、こぅした石塔は何で十三重の層塔なんでしょうネ…十三仏と関係しますのかも…
 WEB上で『十三重石塔』を検索しますと、こんな記載がありました(^.-)☆


 ◆十三重石塔

 --- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---

 本項で解説する十三重石塔(じゅうさんじゅうせきとう)は、京都府宇治市宇治塔川(京都府立宇治公園塔の島)にあって「浮島」「浮舟ノ島」など と呼ばれてきた人工島の一つである「塔の島」に所在する石塔である。「十三重石塔」とは、「石造りで十三重構造の層塔」もしくは「石造りで十三層構造の塔婆」を意味する。アジア各地に同様の塔が数多く存在し、日本国内だけでもかなりの数に上るため、他の同種の石塔と区別して浮島十三重石塔(うきしま じゅうさんじゅうせきとう)ともいう。塔高約15.2メートルの石造・十三重の層塔で、石塔婆(石造供養塔)。
 1953年(昭和28年)3月31日、国の重要文化財に指定された(指定名称:浮島十三重塔)。2003年(平成15年)3月14日には、塔内納置品が京都府指定有形文化財となった(指定名称:浮島十三重塔納置品)。

 ・概要
 浮島十三重石塔は、現存する近世以前の石塔としては日本最大(塔高15.200メートル)である。
 なお、観光案内などで浮島十三重石塔を「日本最古の石塔」とするものがあるが、これは事実ではない。石造の層塔では、奈良時代前期の石塔寺三重塔(伝・阿育王塔。滋賀県東近江市石塔町所在)が日本最古である。石造の十三重層塔としては、奈良市長谷町の塔の森十三重石塔(奈良時代後期)が、破損は甚だしいが現存する。

 ・歴史
 奈良の勝宝山西大寺再興などで知られる僧・叡尊は、鎌倉時代後期にあたる弘安7年(1284年)、宇治橋の大掛かりな修造を手がけた。橋が完成する弘安9年(1286年)に合わせて、宇治川の川中島として大橋の南方に舟を模した形の人工島を築き、放生会を修する祈祷道場とした。そして、宇治川で漁撈される魚霊の供養と橋の安全の祈念を旨に、同年11月19日(ユリウス暦換算:1286年12月6日)、島の中央に大塔婆を造立した。
 大塔の建っていた島は、頻発する宇治川の氾濫にもよく耐え、激流に浚われることがなかったため、いつの頃からか島を指して「浮島」「浮舟ノ島」などと呼ぶようなったようである。大塔のほうは、さすがに氾濫の被害をたびたび受けて、倒伏と修復・再興を繰り返してきた。しかしそれも、江戸時代後期の宝暦6年(1756年)に起こった未曾有の大氾濫で倒伏した後は、川底の泥砂に深く埋もれてしまい、再興されることはなくなってしまった。
 1905年(明治38年)に復興が発願されると、1907年(明治40年)、発掘作業が始められ、間もなくして九重目の笠石と相輪以外は発見され、明くる1908年(明治41年)8月21日、九重目の笠石と相輪は新たに制作して再建された。その後、元々の九重目の笠石と相輪が発見されたが、それらは興聖寺の庭園に移設された。

 ◆層塔:数に意味?五重塔や十三重塔

 --- 教えて!goo https://oshiete.goo.ne.jp/qa/6749967.html ---

 質問者:triplechocolate質問日時:2011/05/20 02:19回答数:2件
 化野念仏寺にある石の十三重塔を見ていて疑問に思いました。層の数が陽の奇数であることは分かりますが、十三あると、三重や五重より偉いのでしょうか。また十三より以上(十五、十七?)の塔は存在しますか?また念仏寺の様に、無数のミニ石塔に囲まれている場合、石塔が中心の仏さまで、周りのミニ達が信仰する者、またはその祈りの具体化、という介錯で間違っていませんでしょうか。ご存知の方教えて下さい。よろしくお願いします。

 ・ベストアンサー

 回答者:dayone 回答日時:2011/05/21 19:46
 塔婆の起源は梵語のスツウパ<stupa>より出て卒塔婆等ともいい、本来は仏舎利(釈迦の遺骨)を蔵する為であり、仏教伝来当初は、礼拝の第一義的な対象として、金堂と共に寺院の中心として伽藍の中にあった塔が時代が下るにつれ、伽藍の中心や塔本来の宗教的な位置付けから離れ、信仰の証しから寺院のシンボル的な役割を色濃くしていったようです。
 そんな流れの中、塔の位置付けも墳墓の標、霊跡標識、追善供養の為などと漸次拡大し、材料は木や石が多い中、鉄塔・銅塔・瓦塔・泥塔あるいは紙に描いた画塔・印塔などもあって、種類も相輪塔、宝塔、多宝塔、多層塔(三重塔・五重塔など)、龍塔、五輪塔、宝篋印塔、板塔、角塔など多様な変化を示しています。
 塔の位置付けの変遷などは下記WEBページなどが御参考になるかと思います。

 ◇日本全国五重塔・三重塔を巡る旅
 http://www5f.biglobe.ne.jp/~syake-assi/newpage32

 >十三あると、三重や五重より偉いのでしょうか。
 明治以前の建築では、全国一の高さを誇ったのは約55mの東寺(京都市)の五重塔、談山神社(奈良県桜井市)には、明治前の木造としては唯一の十三重塔が立っていますが、この塔の高さは東寺の3分の1程度。
 遺跡や記録だけなら、東大寺をはじめ全国の国分寺には、奈良時代ごろからたぶん東寺の五重塔を凌ぐ高さの七重塔がたっていたらしく、平安時代には法勝寺(京都市左京区岡崎)に100m近い九重塔がそびえていたとか。
 ところが奇妙なことにそれらは全て倒壊し、現存する明治前の木造の塔は、談山神社の十三重塔以外は全て三重か五重。一方、石造になると殆どは十三重で、三重や五重はあまりなく、三重や五重に見えるのは、宝篋印塔や五輪塔であることが多い様子。
 五重塔と三重塔のふるさとである近畿に限ると、高野山を本拠地とする真言寺院には五重塔が圧倒的に多く、対して比叡山を本拠地とする天台寺院には三重塔が圧倒的に多い傾向にあるようですが、江戸では最澄派にもかかわらず、金満の象徴のような五重塔を建立した寺もあります。
 ただし、小規模な五重塔がある一方で、法相宗の大本山の一つである薬師寺(奈良)の東塔(一見六重の塔に見える三重塔)のように、東寺五重塔、興福寺五重塔、醍醐寺五重塔に次ぎ、4番目の高さを誇る例もありますから、五重塔と三重塔の違いを価格で単純比較する事も出来ません。
 また、法相宗の大本山の一つである興福寺(奈良)などでは、五重塔と三重塔の両方が建立されてます。あと、聖徳宗に属し奈良の斑鳩で隣り合わせに立っている法隆寺と法起寺、法隆寺の五重塔は向かって右に金堂、左に塔を置くのに対し、法起寺ではその逆になっていることから男と女、陽と陰をあらわすと解く先生もいらっしゃいます。
 (『ねじれた伊勢神宮「かたち」が支配する日本史の謎/宮崎興二/祥伝社文庫』)

 なお、十三重石塔の建立目的について…
 たとえば現存する日本最大の最古の石塔とされる京都府立宇治公園中の島の宇治浮島「十三重石塔(高さ約15m)」は、宇治川での殺生の罪を戒め、「供養塔」として建立されたようです。
 http://www.wao.or.jp/aiso/tales/02/index.html
 また、モノは違いますが
 http://bud.beppu-u.ac.jp/xoops/modules/xoonips/d
 『佐伯史談 No.163(1993.6)佐伯十三重塔と中世佐伯氏/宮下良明/佐伯史談会』(39〜45頁)<5/7>によれば「…十三重石塔も、当時の法華経信仰の影響を受けて、石に写経して基礎下に埋め、その上に塔を建て、礼拝の対象物としたのであろうか。
いわば経塚のようなものである。そのように解釈すれば納得がいく。
 近世の一石一字塔も同じ意味を持ち、経塚の延長の現れであろう。…」と「経塚」と解釈されています。
 以上の断片だけを捉えても、宗派や時代背景或いは建立目的などによる違いが考えられ、三重ならびに五重と十三重とで単純に優劣を比べられる類のものではないようです。

 >また十三より以上(十五、十七?)の塔は存在しますか?
 小松市指定有形文化財として小松天満宮(石川県小松市)に「十五重石塔(約7.24m)」が存在します。
 ただし、伝統的な「多層塔」には定義があり、「各階の平面形はどの階も同じ正多角形であること、一階にだけ仏像が安置されていて、二階以上はただの飾りであること、最上階の屋根の上に九輪(相輪)という九つの輪を積み重ねた細長い飾りがついていること、などである」(『日本塔総鑑/中西亨』)。
 したがって、各階の平面形が違ったり、九輪がついていなかったりの宝篋印塔や五輪塔は、多層塔ではないらしい。
 よって、小松天満宮の十五重石塔も、九輪がついていないから正式な塔ではないという説もあるとのこと。


 …との事であります。
 それでは、菜の花畑に向かってみます(^-^)//"

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 菜の花畑にと到着しますと、先客が5人ばかり…幼いお子様を連れられたお父さん、カメラ好きの感じの男性、そして、若いご夫婦が1組…と。
 皆さん、それぞれ思い思いにカメラを向けておられます。
 菜の花畑には、何本かの杏の木も…杏が満開でありましたら、菜の花・杏のイイ景観を楽しめますのでしょうけど、7〜10日後でしたら叶いますのかも(^-^)//"

 

 

 

 

 

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