2022/11/20(日) 「古代山城と古墳」を尋ねて香川県東讃地域散策 <12/12> |
もぅ随分昔の20代の頃に、何度か屋島を訪れていますけど、その際に瀬戸内の多島美を一望出来ます展望台のような場所から、絶景に向かって開運や家内安全を祈願し“かわら投げ”をしました記憶がありますけど、何処でしたのでしょうネ…今でも出来るのかなぁ…
まぁ、それはさて置きまして、駆け足で境内を拝観です。
◆重要文化財 屋島寺本堂
この堂は、今から650年余り前の鎌倉時代末ごろに建てられたものですが、350年程前に竜厳(りゅうごん)上人が大修理をし、昭和32年2月から解体して二度目の大修理を加え二か年を経て昭和34年5月に復元工事を完成したものであります。
◆重要文化財 本尊十一面千手観音
本尊十一面千手観音、今から約千七十年程前(貞観(じょうがん)時代ともいう)に彫まれた一木造りで全身に漆を塗り金箔をおいた坐像で光背も当時のものです。
連なる鳥居と大きな狸の石像が並び、屋島寺の中でもひときわ目立つのが、蓑山(みのやま)大明神です。祭神は、ジブリ作品『平成狸合戦ぽんぽこ』のキャラクター、太三朗禿狸のモデルにもなった、屋島太三郎狸。全国の化け狸の中でも特に有名なことから、日本三大名狸に数えられていますとか。
屋島太三郎狸は、本尊十一面千手観音の御申狸として多くの善行をつんだため、土地の地主の神として本堂横に大切に祀られていますようですネ。(縁結び・子宝・福運をもたらす屋島太三郎狸)
◆蓑山(みのやま)大明神之由来
--- 屋島太三郎狸 ---
その昔、弘法大師さんが四国八十八ヶ所開創のみぎり、霧深い屋島で道に迷われ、簑傘を着た老人に山上まで案内されたと言う。のちにその老人こそ太三郎狸の変化術の姿であったと信じられております。
屋島の太三郎狸は佐渡の団三郎狸、淡路の芝右衛門狸と共に、日本三名狸に称されています。太三郎狸は屋島寺本尊十一面千手観音の御申狸また数多くの善行をつんだため、土地の地主の神として本堂の横に大切に祭られ、四国狸の総大将とあがめられ、その化け方の高尚さと変化妙技は日本一であった。
尚、島太三郎狸は一夫一婦の契りも固く家庭円満、縁結び、水商売の神特に子宝に恵まれない方に子宝を授け福運をもたらす狸として全国よりの信者が多い。
…と、こんな説明板がありましたネ(^-^)//"
境内の眼に入ります景観を画像に納めながら駆け足で拝観でしたけど、東門までヤッて来ましたネ。もっと、ノンビリ、ユックリと巡れましたら良かったのですけど…
東門入口脇には、屋島寺≠フ説明板が…
◆屋島寺
当寺は唐僧鑑真(がんじん)和上過海大師が開創の基を開き、その弟子恵雲律師空鉢(くうはつ)と号した人が初代の住職となったと伝えられ、初めは律宗であったが、弘法大師が真言宗に改めた寺で、四国八十八ヶ所の八十四番の札所であります。本尊千手観音は、平安時代前期の作であり、本堂は鎌倉時代の末頃の建築で、共に重要 文化財に指定されています。
書院裏には名園雪の庭があります。鐘楼の釣鐘は鎌倉時代の初め貞応(じょうおう)二年に鋳(い)たものです。
なお、源平合戦の遺物など陳列した宝物館があり、狸(たぬき)で有名な蓑山(みのやま)明神の社もあります。
ふん、ふん、これは四天門§eの説明文と同一ですネ(^-^)
GONsan達は、屋嶋城城門跡から遍路道を進み、仁王門・四天門と入って来ましたので、どちらかと言うと逆ルートでの屋島寺参詣でありました。
観光客の多くは、南嶺メインに廻られますようですから東門から入られますのでしょうネ…
東門を出ますと、バスが待っています駐車場へ…
屋島寺=c新しくて綺麗で、大変立派なお寺でしたネ。20代の若者時代に何度か訪れています屋島寺=c当時がどぅでありましたのか、既に50年も昔の事ですから記憶にないなぁ〜
瀬戸内の多島美を一望出来ます展望台のような場所から、絶景に向かって開運や家内安全を祈願し“かわら投げ”をしました記憶も残っていますけど、場所は何処でしたのかも…
忘却は、時間と距離に比例する=cう〜ん、まさに、こんな感じですねぇ(^-^)//"
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