2022/11/20(日) 「古代山城と古墳」を尋ねて香川県東讃地域散策 <1/12>

 

 ■2022年12月17日17:25
 11/20(日)は、「古代山城と古墳」を尋ねて香川県東讃地域行きでした(^.-)☆


 11/20(日)は、『香川県東讃地域の古代山城と古墳を尋ねる』備陽史探訪の会バス例会に参加となりましたGONsanです(^.-)☆
 集合時間少し前に福山駅南口アイネス前に向かいますと、バスは既に待機しておりまして、10数名の皆様が乗車しておられましたネ。
 今回の「香川県東讃地域の古代山城と古墳を尋ねる」資料に眼を通しますと、本日の行程は、次のようであります。

 ◆行程
 <08:00>福山駅南口アイネス前集合&出発・福山東ICから瀬戸大橋を経由して香川県東讃地域へ・途中、鴻ノ池SA、津田の松原SAでトイレ休憩
 <10:30>うのべ山古墳(さぬき市、@)見学
 <11:20>富田茶臼山古墳(さぬき市、A)見学
 <12:20>さぬき市歴史民俗資料館(さぬき市みろく自然公園内、B)見学&昼食
 <14:00>久本古墳(高松市、C)見学
 <14:55>屋嶋城跡(高松市、D)見学
 <15:45>高松出発
 <16:45>鴻ノ池SA(お買い物&トイレ休憩)
 <18:15>福山駅南口到着予定


 …と、こんな行程でありました。
 定刻にバスは出発で、スケジュール通り、最初のトイレ休憩が瀬戸中央自動車道・鴻ノ池SAでしたけど、ここに立ち寄りますのは何年振りでしょう…久しく瀬戸大橋を渡っておりませんから(^-^)
 暫しの休憩後、またバスは走行。退屈凌ぎに、瀬戸大橋上から数枚パチリとなりました(^-^)/

 

 バスは、与島を通過です。その際に、車窓から与島と道路で?がりました鍋島灯台をパチリです。
 穏やかな瀬戸内に浮かびます鍋島…イィ景観です。そして、そのズッと後方の三角の島が大槌島ですネ(^.-)☆
 瀬戸大橋を渡りますと坂出に到着で、坂出JCTから高松自動車道をさぬき市&向へ。さぬき市≠ノ入りますと津田の松原SA≠ナ二回目のトイレ休憩となりました。
 この間を利用しまして、GONsanは、「津田の松原(県立琴林公園)」、今から向かいます「うのべ山古墳」方向を眺望です。
 「うのべ山古墳」周辺には「けぼ山古墳」とか「一つ山古墳」も有るのですけど、近くまでバスでの走行は難しいようで、今回は「うのべ山古墳」のみを訪れますとの事であります(^-^)//"

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「うのべ山古墳」近くの広場というか駐車場で、バスから下車し、ここからは徒歩で「うのべ山古墳」へ。
 当日貰った備陽史探訪の会≠フ資料によりますと、こんな古墳であります。

 ◆津田古墳群&うのべ山古墳

 香川県さぬき市にある津田古墳群は、津田湾沿岸部を中心に古墳時代前期初頭から中期初頭にかけて築造されまして。当初は、当地域の強い特徴が認められましたが、前期中ごろから、畿内地域の影響が認められるようになりました。成立期に独自性のあった古墳が畿内地域の影響を受けた古墳に変わっていく過程がわかる貴重な古墳群です。また、戦前からの発掘調査の記録等が残されており、学史的にも重要な古墳群です。2013、14年に、前方後円墳6基と円墳3基が国史跡に指定されました。
 うのべ山古墳は津田古墳群を構成する、全長37mの前方後円墳です。その特徴は、@前方部は撥(バチ)型に広がり、後円部より低い。A四国東部の前期古墳でよくみられる積石塚である。B墳丘から発見された土器(壺型土器)は前期初頭のものである。(弥生時代の集落遺跡(森広遺跡)からも発見されている)
 これらの事から、うのべ山古墳は前期初頭(3世紀末)に築造され、地元色の強い、香川県下でも最古級の古墳と考えられています。埋葬施設は未調査ですが、その地元色の強さから南北方向の主軸と直交する、東西南北の竪穴式石室と考えられています。


 「うのべ山古墳」に到着しますと、まず眼に入りますのが後円部≠ナす。葺き石がゴロゴロしており、いかにも積石塚らしい感じであります。
 後円部墳頂を見上げますと、ここも石だらけ。墳頂には小さな祠が存在しますけど、これは江戸時代のモノでありますとか(^-^)//"

 

 

 

 

 

 

 

 

 後円部≠フ裾には説明板が…説明板には、こんな記載がありました(^.-)☆

 ◆四国最古級の前方後円墳 うのべ山古墳

 「うのべ山古墳」は、今から約1750年前の3世紀後半につくられた四国最古級・津田湾最古の前方後円墳です。
 この古墳の特徴は、土の代わりに石を積んでつくられた「積石塚」と呼ばれる珍しい古墳で、全長は37mあります。
 積石塚の古墳は、古墳時代前期と呼ばれる古い時期につくられた古墳としては、香川県と徳島県の一部にしかない珍しい特徴をしています。
 その中でも「うのべ山古墳」は香川県の東の端にあり、一番低い所につくられています。他の積石塚古墳の中でも最も特徴があり、津田湾古墳群では最古の前方後円墳です。

 
--- さぬき市教育委員会 さぬき市文化財保護協会 ---

 それでは、古墳に上がってみます。
 前方部≠ノはロープが張られ進入禁止。かなり墳丘が痩せ細っています。
 後円部≠ノは葺き石がゴロゴロで、まさに積石塚であります。後円部墳頂≠ノ立ちますと、ここも石だらけ(^-^)
 WEB上に「うのべ山古墳」を検索してみますと、こんな記載がありました(^-^)//"


 ◆松田先生と行く!!さぬき市古墳巡りツァー

 --- さぬき市再発見ブログ 遊びの達人 ---
 (http://sanuki-asobinin.seesaa.net/article/343511638.html)

 ★始まりました---!!松田先生と行く!!さぬき市古墳巡りツアー

 さぬき市を一緒に走りまわるうち…そこそこで目にするたくさんの古墳の看板に洗脳されてきたあそ達メンバー
 「さぬき市の古墳って…そんなに面白いの…?」
  面白いですっっ!
 「じゃ〜行こ--!」
 そして決まった、この古墳ツアー。
 案内して下さるのは、松田朝由先生(大川広域行政組合)。
 数々の古墳や遺跡、埋蔵物などを研究されてきた松田先生は、さぬき市出身。小さい頃からとにかく石が好きで…今では石の町【牟礼町】に住んじゃうくらいの石博士でもあります。

 そんな松田先生と行く・・まず1か所目の古墳は…ココ!「うのべ山古墳」。
 津田古墳群のなかでも一番最初に造られたと言われる、この古墳は様々な石を積み重ねて造られた積石塚と呼ばれるもの・・・一見、角が丸い大きな石が目立ちますが、これは、海の波などで削られ、丸くなった石だそうです。
 古墳の周辺は「塩出」と呼ばれる地名。古墳時代当時は、このうのべ山古墳の近くまで海水が入っていたと想像されます。なので、古墳周辺から持ってきた石だということが分かりますね。
 香川の石と言えば・・・何と!昔から超有名・ブランド石だったそうです!!!
 「香川県の石は、権力の中心であった畿内や、九州の方の古墳造りにも使われているんですよ」
 「しかも、その古墳を造る時期も畿内に遅れる事なく!!!」「それって・・・もしかしたら、香川がトレンドの先を行ってたかもしれないって事?!」
 やるね!!香川、うどん以外にブランド石!

 そして・・・古墳全体を見渡してみると・・・
 こんな感じ!!前方の方は木に覆われていて、ほとんど見る事ができませんが・・・それでも、後円部に立って見渡すと・・・小っちゃい、しっぽのような前方部を感じることができます。しかも・・・かなり低い!!!
 …ということは、古墳時代前期・・・しかも、古墳出現期!!!
 四国最古級という事が分かって来ています。そして・・・この古墳の発掘はまだされておりません。
 「海辺に建てられる墓は、女帝の墓が多い」とも言われてますが・・一説には、渡来人の墓の可能性も・・・?
 また、この「うのべ山古墳」は、海辺から見える方向部分だけ、大きく作られており、後円部の裾も広げてあるんです。
 海からくる来客に、より大きな印象を与える為では?…と考えられています。
 う〜ん・・・ますます発掘してみたくなる神秘の場所です。

 この古墳を守ってきている方々にお話しを伺いました。
 【うのべ会の代表を務める川渕さんご夫婦と、同じくうのべ会の宮崎さん】
 この、うのべ山古墳の魅力に惹きつけられ、古墳を綺麗に守っていこうと活動されて7年目のみなさん。寒川町にお住まいの皆さんは、もっともっと地元、津田の方にも、うのべ山古墳を知ってもらいたいと言います。その為に、古墳まつりを開催したり、地元小学生を招いて分かりやすく説明するなどの活動を続けて来られました。
 そして今・・・想いが一つとなり始め、みんなで古墳を守ろうと、地元の方の協力が増えてきたという事。
 古代より・・・想いがつながってきているんですね!!!

 古墳まつりの様子はここ(http://sanuki-asobinin.seesaa.net/article/298412338.html)をクリック。
 毎年10月に行われている「うのべ山古墳まつり」は、今年は5月19日の第3日曜日に開催される予定だとか。今年はご家族揃って、この古墳まつりに参加されてみては、いかがですか。


 …と、こんな記載が(^-^)/"

 

 

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