2022/06/12(日) 神辺町道上「岡山神社・亀山弥生式遺跡」散策 <1/4>

 ■2022年06月13日19:25
 6/12(日)は、「岡山神社・亀山弥生式遺跡」を散策でした(^.-)☆


 こんな中国新聞sanの朝刊記事に誘われて、6/12(日)は、福山市駅家町の「岡山神社・亀山弥生式遺跡」を散策となりましたGONsanです(^.-)☆
 WEB上で「岡山神社」を検索しますと、こんな記載がありました(^-^)

 ◆岡山神社(広島県福山市神辺町道上981)

 --- https://a-wi.hatenablog.com/entry/2021/09/03/235657 ---

 深安神社めぐりとしてお詣りした神社三社目が十七番目の岡山神社です。ここも山の中ではなく、住宅地のそばにあるから特に問題なくお詣りできました。まあ、これが普通です、たぶん。山の中で、ぽつんとなんとか状態の林道?を延々走って冷や汗かくのはストレスでよくありません。

 ・【御祭神】
 吉備津彦命 日本武命 孝霊天皇

 ・【岡山神社への道】
 東からだと広島県道215号が池を真っ二つにして、つまり左右が池という所があります。この池の西側すぐ、池に沿って走る道へ曲がり丘の上の方へと向かうとすぐに西側の鳥居が見えます。ここに駐車できるスペースがありますがこれはお墓参りのためのものかもしれませんので、藤棚の下にとめるのがよいのかもしれません。他の人はそこに止めていました。駐車場の看板がなかったので本当はどこにとめてよいのかわかりません。
 西から来るとファミリーマートがあるので、ここの道上小学校前交差点を右折してすぐ左に深安神社めぐりの看板があります。
 これに従って道上公民館横を進んで左に曲がると社頭に着きます。
 公民館に人がいればお詣りの間駐車してよいかたずねてもいいかもしれません。たくさんとめられますが無断駐車は避けてください。他所からお詣りしにくくなります。
 一の鳥居はコンビニを曲がった道沿いにあります。そこから上まで少し距離があります。上の方にとめてから一の鳥居まで戻るのは参道を戻らないとかなり大回りすることになります。

 ・【車椅子使用の方のための情報】
 石段は複数あります。向かって右側に折れ曲がった坂道があります。幅は120pほどあるので車椅子そのものは通れるかもしれません。ですが…かなりの傾斜です。筋肉モリモリな漢に押してもらわないと無理だと思いました。写真で判断してください。
 上がれれば拝殿前まで行けます。

 ・【お詣りをおえて】
 石碑によると定期的に神社を改修してきたそうで、こんな所に大きく立派な神社があるのかというのが最初の感想です。
 ご由緒によると、備中の吉備津神社からご分霊を備後へお迎えする時に、泊した地に806年に宮が建てられたのが始まりのようです。かなり古い神社ですね。

 一の鳥居から歩きました。ここでは変化は微妙です。中ほどにある注連柱からさらに変化し始めて。横切る道から先の注連柱からは一気に澄んできます。実質、舗装路の上からが神域なのかなと思いました。
 本殿そばでは、気が上下に波打ちながら絶え間なく打ち寄せてくるようでした。あくまでもその時の感覚なので、そうだったのかなくらいでお願いします。
 この神社の境内は横長です。風の強い日があったのか端っこはちょっと落ち葉が溜まっている所がありました。これはご神職だけでは掃除は大変でしょう。数人程度お手伝いで清掃されても翌日にはまた落ちているでしょうね。社殿回りは綺麗なので決して疎かにされている神社ではありませんので誤解なきようお願いします。
 他の方のブログ等を読むと春は桜で秋は紅葉が綺麗だとか。藤棚があるので桜の後は藤かな。どうやら一番殺風景な時期にお詣りしたもよう。
 県道215号はそれなりに車が走っている道ですが、少し距離があるので騒音は聞こえません。静かで落ち着いて境内の気を感じられるいい神社でした。

 ◆岡山神社 -- 福山市神辺町道上(平成20年3月22日)

 --- http://www.komainu.org/hirosima/fukuyamasi/okayama/okayama.html ---

 東経133度21分48.55秒、北緯34度33分14.23秒に鎮座。
 この神社は181号線と215号線が交差する道上小学校入り口信号の80m程南に入口があります。
 神社は亀山公園となっている標高37mの小丘上に鎮座しているのですが、ここは弥生時代の遺跡・亀山弥生式遺跡で、広島県内で最も古くから稲作が行われた環濠集落跡なのだそうです。
 公園と一体となった感のある境内は樹木が多く、社殿も周囲の環境も良く整備され、とても気持ちの良い落ち着いた気分になれる、心地よい神社でした。

 御祭神:大吉備津彦命
 例祭日:10月10日
 由緒:大同元年(806)備中国一宮・吉備津宮の御分霊を備後国宮内へ勧請した際、この地へ一夜の宿を取り、その跡に宮を建て一宮大明神と崇めました。
 宝暦9年(1757)神社書付差上の節「岡山大明神護国寺別当」と書上、以後「岡山社」と改称しました。
 明治4年村社に列し、同6年現社名に改称しました。大正2年、村内の小社を合祀し、同3年十九軒屋田中神社を合祀しました。
 詳しくは、下記由緒書きにてどうぞ。


 車の駐車場は、挿入していますマップ画像の「亀山公園」にありましたネ(^-^)//"

 

 

 

 

 

 

 

 

 社殿へと上がります石段の両脇には、色んな石碑が(^.-)☆
 岡山神社改築記念碑・岡山神社創建千二百年記念碑・行幸記念碑(陸軍特別大演習昭和天皇行幸記念碑)・日露戦役記念碑(砲弾が埋め込まれていました)…と(^_^)v
 「陸軍特別大演習昭和天皇行幸」に関しましては、GONsanのホームページの下記URLに綴っておりますので、ご覧戴けたら(^-^)

 ◆昭和天皇行幸

 --- http://gon.mbsrv.net/2020shoutoyama01.html ---

 1930年(昭和5年)昭和天皇が行幸され、正戸山の山頂から視察統監される中、岡山方面から来る東軍と広島方面から来る西軍が正戸山南方で決戦する想定で、陸軍特別大演習が行われました。昭和天皇の行幸を仰ぐため、当時の両備軽便鉄道(現JR福塩線)では、正戸山臨時駅を設置しました。
 大演習から5年後の1935年(昭和10年)、昭和天皇の御野立所となった正戸山の山頂に記念の石碑「御統監之跡」が建てられました。

 

 

 

 

 それでは、石段を上がって社殿・本殿を拝観し、その後で亀山公園の「亀山弥生式遺跡」を拝見しましょうか(^.-)☆
 仲々立派な神社のようであります(^-^)//"

 

 

 

 

 

 

 

 

← 戻る  Contentsに戻る  トップページに戻る  進む →