2022/02/28(火) 福山市熊野町「一乗山城跡」散策 <1/4>

 

 ■2022年03月23日13:49
 2/28(火)は、「一乗山城跡・常國寺」を散策でした(^.-)☆


 鐘楼の奥へ直進しますと、墓地に出ましたネ。確か、この墓地から一乗山城跡への上り口に向かう道に下りられるハズなんですけど、墓地の下に眼を向けますと、草木に覆われ下る道が分かりません。
 で、仕方なく、鐘楼方向に逆戻り。山門付近まで引き返します事に。
 山門近くの一乗山城跡上り口に進みます道まで戻りますと、またノンビリと歩行です。
 途中、先ほどの墓地からの下り道への分岐点が…やはり、近道があったようですけど、分かりませんでしたねぇ〜
 暫く進みますと、一乗山城跡登口にと到着です。
 下側の池添いの登口に向かいますと、ここにはフェンスで遮断され進入禁止でありました。最近は何処に出掛けましても、こぅしたイノシシ避けのフェンスが設置されています場所が多くなりましたネ(^-^)
 では、少し先の、正規の一乗山城跡登口へ(^-^)//"

 

 

 すぐ先が正規の一乗山城跡登口ですので、少し進みますと、また注意書きと一乗山城跡の説明板が…
 これには、こんな記載がありました。

 ◆登山者にお願い

 イノシシ進入防止柵を設置しています。
 入山される際は、入口の防止柵を下記の要領で開閉して下さい。
 帰られるときは、必ず柵を閉めてお帰り下さい。

 この場所の針金をはずして、柵を手前に引いて入山し、柵を閉めて登山して下さい。
 お帰りの際も同じ要領でお願いします。

 ◆福山市史跡 一乗山城跡

 --- 福山市熊野町大字上山田 1964年(昭和39年)3月31日指定 ---

 戦国時代、熊野盆地を支配した渡辺氏によって築かれた山城跡です。渡辺氏は、初め草戸に本拠を置いていましたが、戦国時代の初頭、越中守兼の代に毛利氏後押しでこの地に入り、この城を築きました。
 城は、熊野水源地に半島状に突き出た尾根を利用して築かれたもので、背後を掘切で断ち切り、前面に曲輪を階段状に並べた戦国期の山城の遺構がよく残っています。

 --- 福山市教育委員会 ---


 早速、柵を止めてあります針金をはずし柵の中へ。荒れてはいますが舗装された山道を上がって行きますと、チョッとしたスペースが…
 ここには、「←本丸跡」の案内板が…
 右に石段を上がって行きますと、正面に社が…マップ上には「七面明神」の記載。その上に更に上がって行きますと「本丸跡」なんでしょうネ。
 左に石段を下って行きますと、熊野水源地の池渕に行けるものと思います。真っ直ぐ直進しますと、何処に出ますのでしょう…後で、進んでみたいと思いますけど、先に、左の石段に進み池渕に下りてみたいと思います(^-^)//"

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 石段を下って行きますと、平らなスペースが…当時は、ここに曲輪が存在ましたのでしょうねぇ〜
 更に進んで行きますと、また石段が…これを下ると池淵にと到着です。
 石段を下りきりますと両側に石灯籠というか常夜灯が二つ。ここを右に進んで行きますと、フェンスで遮断され進入禁止。仕方なく、左に進んで行きます事に(^-^)
 池の淵を道なりにノンビリと歩行となりましたけど、この道は一乗山城跡登口に向かい、フェンスで遮断された場所に出ますのでしょうネ(^-^)/"

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 う〜ん、やっぱり、一乗山城跡登り口近くのフェンスで遮断されました場所に到達ですネ。それを確認し、また往路を引き返しです(^-^)
 こぅして水源地に眼を向けながらノンビリと歩きますのも、ヒマ人のGONsanには楽しいものではあります(^.-)☆
 常夜灯の石段まで戻って来ますと、これまた、下って来ました石段を戻らなくては…
 七面明神・本丸跡への上り口まで戻って来まして、このまま七面明神へと上がって行きましても良いのですけど、左に進みます道もありますので、何も無いのかも…とは想いながらも、左に向かってみます事に(^-^)//"

 

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