2021/05/31(月) 福山市駅家町「山の神古墳」散策 <1/2> |
■2021年06月25日11:55
5/31(月)は、福山市駅家町・加茂町の「古墳巡り」を何ヶ所か(^.-)☆
今年の4月でしたか…中国新聞sanの朝刊に、こんな「山の神古墳」紹介記事もありましたから、「二子塚古墳」へと向かう事となりました(^.-)☆
「山の神古墳」には、1台ですと駐車可能なスペースがありましたけど、スグ近くの「福山市駅家東公民館」に駐めさせて頂こう…と、公民館にとりあえず駐車となりました。
そして、館内の女性に駐車したい旨をお願いしますと、「あぁ、イィですよぉ〜」と快く承諾。その上、「他にもイィとこが色々ありますから、マップをどうぞ…」と『駅家東ふるさと発見マップ』まで頂き、大変恐縮のGONsanなのでありました(^_^)v
公民館駐車場の片隅には、『歴史と文化 きらめきの里 駅家東学区ふるさと案内』の観光案内板も設置されてありましたので、マップを片手に、この案内板にも暫く眼を止めますGONsan。
こぅして暫く案内板を見つめておりますと、うん、うん、駅家東学区にも、訪れてみたい場所は結構ありますようですネ。また後日、機会をみつけて出掛けてみたいものであります(^_^)v
それでは。『山の神古墳』に向かいます。
古墳があります小丘陵の上がり口には、「山の神古墳」の説明板が…これには、こんな記載がありました(^-^)//"
◆広島県史跡 山の神古墳 --- 1948年9月17日指定 ---
この古墳は、東に延びる小丘陵の先端に築造されている。墳形は丘尾を切断した前方後円墳と考えられているが、径12m高さ4mの円墳の可能性がある。主体部の横穴式石室は片袖式で平面形は方形に近い。
玄室の側壁は四方から持ち送られ、天井石は2枚である。石室の規模は現状で玄室が、長さ4.1m、幅2.9m、高さ3.3m、羨道の長さ4.1m、幅1.2m、高さ1.2mである。出土遺物としては、金銅製杏葉や雲珠などの馬具類・須恵器・土師器片がある。
6世紀中頃の古墳と推定される。
--- 福山市教育委員会 ---
WEB上で「山の神古墳」を検索してみますと、いずれも類似の内容での記載がありました(^-^)/"
◆山の神古墳(やまのかみこふん)
--- 県指定史跡 昭和23年(1948年)9月17日指定 ---
神辺、加茂、駅家の平野部北辺には数多くの古墳が存在し古墳密集地帯となっている。その中の一つ山の神古墳は、平地内の東に延びる丘陵の先端に築造されている。墳丘は丘尾を切断した前方後円墳と考えられているが、径12m、高さ4mの円墳の可能性が大きい。内部主体は南に開口する片袖式の横穴式石室で、平面形が方形に近く天井の高い玄室を有する。玄室の側壁は四方から持ち送られ、天井石2枚で覆われる。規模は現状で、玄室が長さ4.1m、幅2.9m、高さ3.3m、羨道が長さ2.25m、幅1.26m、高さ1.25mを測る。
出土遺物に金銅製杏葉および鉄地金張り鏡板、雲珠などの馬具類、金銅製丸玉2、須恵器、土師器などがある。
横穴式石室としては特異な形態で、古式のものと考えられる。
所 在 地:駅家町大字法成寺
構造・年代:古墳時代後期
◆広島県の文化財 -- 山の神古墳 --
--- 広島県教育委員会 ---
芦田川中流域の主要古墳の一つで、JR駅家駅の北側丘陵端に位置している。前方後円墳とされているが、円墳とする説もある。墳丘は、径12m、高さ4mを測る。内部主体は横穴式石室で南に開口し、全長6.35m、玄室は長さ4.1m、幅2.9m、高さ3.3m、羨道(せんどう)は長さ2.25m、幅1.26m、高さ1.25mの片袖式で、玄室の側壁を持送ってアーチ状に近い天井部を構成している。出土遺物としては、金銅製丸玉2個分、鉄斧1、金銅製杏葉ならびに鉄地金張りの鏡材片2個分、方形飾金具、鉄針、須恵器・土師器片がある。6世紀中葉前後の古墳と推定される。
◆山の神古墳(福山市)
--- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---
山の神古墳(やまのかみこふん)は、広島県福山市駅家町(えきやちょう)法成寺(ほうじょうじ)にある古墳。形状は円墳(一説に前方後円墳)。広島県指定史跡に指定されている。
・概要
広島県東部、神辺平野北縁の丘陵先端部に築造された古墳である。現在までに墳丘は大きく崩れている。
墳形は円形(一説に前方後円形)で、直径12メートル・高さ4メートルとされる。主体部の埋葬施設は片袖式の横穴式石室で、南方に開口する。平面形が方形で天井部が高い古式の石室とされ、出土品として金銅製丸玉・金銅製馬具・須恵器・土師器などが知られる。築造時期は古墳時代後期の6世紀中葉頃と推定される。
古墳域は1948年(昭和23年)に広島県指定史跡に指定されている。
・埋葬施設
主体部の埋葬施設には、片袖式の横穴式石室が使用されている。石室の規模は次の通り。
石室全長:6.35メートル
玄室:長さ4.1メートル、幅2.9メートル、高さ3.3メートル
羨道:長さ2.25メートル、幅1.26メートル、高さ1.25メートル
石室は側壁を持ち送り、天井部(天井石2枚)をアーチ状に形成する。
・出土品
古墳からの出土品は次の通り。
装身具:金銅製丸玉 2、馬具、金銅製杏葉および鉄地金張り鏡板 2、方形飾金具
工具:鉄斧 1、鉄針
土器:須恵器、土師器
円墳とも前方部の消失した前方後円墳と言われていますが、開口部は、高さ1m余りとチト窮屈ですが、問題なく入室できる大きさです。
玄室は、何か他の古墳とは雰囲気が違います。奥行きが余り無く、幅が広くて天井が高いため、立方体のような空間にいる感覚がします。
似たような石室を挙げるとすれば、兵庫県たつの市の馬立1号墳(姥塚古墳)や、姫路市丁古墳群の山頂古墳等に類似点があるようです。この石室も、割石を持ち送った穹窿式石室の特徴が見られ、広島県では最古級の横穴式石室であると考えられているようです。
天井部は、各面の石材が天井石に集中してきており、そんなに顕著ではないが、やはり穹窿式石室の特徴がみられますようです。
玄室から開口部は、左片袖式。各部の石材は、几帳面なほど長方形に整形された割石を積み上げています。大佐山古墳群などの洗練された切石造りの石室とは対照的で、やはり初期の横穴式石室だろうと思われます。
…と、こんな記載がWEB(http://kofuntokaare.tonosama.jp/page678.html)上に(^-^)/"
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