2021/12/04(土) 消滅寸前の鞆・山田街道と未知の山城を探索(^.-)☆ <1/3> |
■2021年12月24日12:18
12/4(土)は、消滅寸前の鞆・山田街道と未知の山城を探索でした(^.-)☆
12/4(土)は、「備陽史探訪の会『消滅寸前の鞆・山田街道と未知の山城を探索』」に参加となりましたGONsanで、A.M.9:00に、集合場所であります旧鞆中学校校舎跡に集合です。
「備陽史探訪の会」の参加者募集案内には、こんな記載でありました。
◆12月4日【進め探検隊】消滅寸前の鞆・山田街道と 未知の山城を探索する
近世まで備後内陸と鞆を結ぶメインストリートとして使われ、足利義昭や水野勝成も通ったであろう鞆・山田街道を探索します。
この街道は昭和まで現役で使われていましたが、現在は消滅しかけており、足を踏み入れる最後のチャンスになるかもしれません。ただし、比較的峻険な山道が続き崩落している場所もありますので、こちらは第1部とし足に自信がある方のみの募集とします。
また、この街道の山頂部に山城の痕跡らしきものがありましたが、ここには間近まで車で来れますので、体力的に街道探索が難しい方向けに第2部として募集いたします(ただし、藪漕ぎはあります)。
【主な見学場所】
第1部 -- 旧鞆・山田街道
第2部 -- 未知の山城?
【募集要項】
実施日 -- 12月4日(土) ※雨天決行
集合時間 -- 第1部:午前9時00分、第2部:午前11時00分
集合場所 -- 第1部:旧鞆中学校校舎横(当日誘導します)、第2部:寿量寺下のグリーンライン
参加費 -- 無料
講師 -- 杉本憲宏(中世史部会長)、田中伸治(近世近代史部会)
募集人数 -- 20名
申込方法 -- ネットでのお申込みは下の「参加する」をクリック!
その他 -- 雨天中止 山登りの出来る服装・靴で マスク、飲み物持参。1時間ほどの山歩きになりますので足に自信のない方はご遠慮ください。また、体力の消耗が予想されますが途中に店舗・自販機はありませんので飲料品等各自でご持参ください。
…と、こんな、ご案内でありました。当日の参加者は、総勢14名でしたような(^-^)
定刻に杉本講師の説明が始まりまして、いよいよ廃道寸前の鞆・山田街道を登ります。挿入のGoogleマップで確認しますと、@〜Eの行程で、Aの地点から山田街道に進入開始となりました(^-^)//"
旧鞆中学校から少し下った場所辺りから、いよいよ山田街道を探索です(^.-)☆
昭和時代まで使用されていました街道ですから、整備されていましたら歩き易いイィ道なのですけど、近年は利用する事もなく荒れ放題。積み重なった落ち葉に足を取られ、何度、転けそうになりました事か(^-^;
往路は、かろうじて転倒は避けられましたが(^-^)
鞆から松永・尾道に抜けますルートは、この山田街道のみでした時代には、足利義昭や水野勝成も通りましたのでしょうねぇ〜
山田街道を暫く進んで行きますと、本日の行程ルートの最大の難関の箇所にと到着です。
2年ばかり前の豪雨時に、山田街道の一部に土砂崩れが発生し通行不能。この山田街道は、現在使用されます方はマレと言う事もありまして、復旧される事なく現在にと至っています様子。
ですから、この箇所は、手前の斜面を上に上がり、上側から土砂崩れ部分を通過し、また山田街道にと下りなければなりません。
で、ロープを事前に準備し、下の樹木から上の樹木間にロープを張り、このロープを頼りにまず上に上がり、土砂崩れ部分を過ぎた所で、また同様にロープを張り街道へと下りなければなりません。
お一人、ご年配の方がおられまして、何度かロープを頼りに斜面上がりを試みましたが、残念ながら、この方は断念。車で、鞆の浦スカイライン→グリーンラインへと、向かわれる事となりました。
GONsanも四苦八苦の状況ではありましたけど、どうにかこぅにかクリア(^.-)☆
他の方々は、難なくクリアしておられましたネ(^_^)v
帰路ではまた、この場所を通りますけど、チト心配(^-^;
ここを通過しますと、もぅ懸念箇所はありませんから、後は、落ち葉に足を滑らせ転倒しないよう注意あるのみ。
暫く進みますと、斜面に、石仏が置かれました小さな祠が…道中の安全を祈願し設置されましたのかも…
そしてまた暫く進みますと竹林が…そして、街道の真ん中に石柱と言うか石標が…文字が刻んでありますけど、何と刻んでありますのか、風化も加わり読めませんでしたネ。
竹林を進んでおりますと、樹木・落葉を蹴散らして疾走しているような音が、竹林の斜面下で…う〜ん、イノシシでしょうねぇ〜
この竹林が途切れる場所までヤッて来ますと、鞆の浦スカイラインに到着です(^-^)//"
鞆の浦スカイラインに出て来ましたら、挿入のマップのBの地点でありました。
山田街道は、スカイラインを横断し、そのまま真っ直ぐ北進しますと、熊野水源地にと向かいますけど、GONsan達は、ここで暫し小休止です(^.-)☆
ここからは、弁天島・仙酔島・走島…等の眺望が可能です。日差しこそありますけど、あいにくの曇天ですから、景観的には今一でありました。
今回の、「消滅寸前の鞆・山田街道と未知の山城を探索」には、
・集合時間 -- 第1部:午前9時00分、第2部:午前11時00分
・集合場所 -- 第1部:旧鞆中学校校舎横(当日誘導します)、第2部:寿量寺下のグリーンライン …と、当初のご案内に記載がありましたので、時間を見てみますと、「A.M.10:22」です。
第2部から参加されます方がおられるのか否か分かりませんけど、斜面上りを断念された男性がお一人おられます。この方のお姿が見えませんけど、11時まで未だ時間がありますから、きっと、この周辺を散策しておられますのかも…
「未知の山城探索」のスタート地点は、マップのDの地点からですけど、11時までには40分近く時間的余裕が(^-^)
で、この時間を利用して「寿量寺」まで散策します事に(^-^)
「寿量寺」をWEB上で検索してみましたら、この程度の内容しか出て来ませんでしたネ。
◆福山市熊野町 -- 寿量寺?寺迫の境界石
福山市熊野町上山田(寺迫上)の寿量寺は鞆スカイラインとグリーンラインの交わる寺迫峠の頂上にある。熊野町上山田(村)は鞆町原(村)と接し境界が明確でなかった。この境界争いは古く約180年以前からあったようだ。寿量寺と境界石の関係を紹介。
◆常国寺の次に同じ熊野町甲の寿量寺にお参りしました
日蓮宗の寺院で藥王山壽量寺といい、常國寺2支院の内、東院だそうです。
江戸時代に常國寺7世寂照院日保上人によって常國寺の隠居寺壽量庵として創建され、寛文10年に8世通天院日感上人によって寺に昇格して壽量寺と称したそうです。
ふ〜ん、そぅでしたか…山田街道を、ここまで上って来ます際に、途中、石柱2本が真ん中に存在しましたけど、この石柱は、どうやら「境界石」だったようですねぇ(^-^)
「熊野町上山田(村)は鞆町原(村)と接し境界が明確でなかった…この境界争いは古く約180年以前からあった…」との事ですから、二つの境界石が(^.-)☆
うん、うん、納得です(^_^)v
← 戻る Contentsに戻る トップページに戻る 進む → |