2021年 鞆の浦 de ART 2021 <7/13>

 

 

 

 

 

 

 明圓寺とお別れしますと、次は、医王寺に向かいます。が、途中に、「ギャラリー&カフェ さらすわてぃ」が存在しますから、建物内には入りませんけどチョッと立ち寄りとなりました(^.-)☆
 WEB上で「ギャラリー&カフェ さらすわてぃ」を検索しますと、こんな記載が…


 ◆ギャラリー&カフェ さらすわてぃ

 --- 鞆物語 https://tomonoura.life/gourmet/12618/ ---

 医王寺へと伸びる坂道を辿っていくと、その途中にナチュラルな一枚板の看板がふわりと目にとまります。そこから石段をさらに上へ。すると、目の前には素敵な住宅が…それが「さらすわてぃ」さん。
 大正時代の古民家を大改築して、懐かしくて新しい「ギャラリー&カフェ」に生まれ変わりました。昔の梁や柱を活かし、壁やフローリングにもこだわっています。独特な風合いを持つ白壁に、ダークブラウンの深みを湛えるフローリング。2階から望む鞆の浦の絶景も、最高です。
 夏には“涼”、冬には“暖”…穏やかに深呼吸ができる、そんな優しい場所へ、さあ、足を運んでみませんか。

 ・美しいものを眺めながらの一喫、それこそが最高の贅沢
 ウッドデッキから眺める中庭の調和、2階のお座敷から望む鞆の浦の絶景。そんな最高の景色を愉しみながら、おいしいコーヒーやアップルジュースを、すーっとのどに通す。厳選された直輸入の豆を使ったコーヒー、無添加100%のアップルジュース。それを、こだわりの器でいただく、その贅沢。うん、文句なし。
 ◇「コーヒー」500円(セット800円)、「リンゴジュース」500円

 ・こだわりが結実した、豊かなギャラリー
 屋敷内には、衣服やアクセサリー、それに、椅子などの調度類や可愛い置物などが、センス良く並べられています。これらはすべて奥さまが、全国のアーティストの作品の中から厳選したもの。「さらすわてぃ」さんが創り出す世界観は、調和していて、乱れなし。ほっと、なごませてくれる、優しいギャラリーです。
 ◇こだわりの品々―時間を忘れて、見惚れます


 ◆ギャラリー&カフェ さらすわてぃ 新田久子さん

 --- https://nipponianippon.or.jp/story/scene1/1158.html ---

 -- ぬくもりのアートを並べて ギャラリー&カフェ さらすわてぃ 新田久子さんの物語り --

 きっかけは、多くの人との縁でした―潮風の通り道となった古民家カフェで、自然と語らい、人の心に灯をともす
 心安らぐ、自然と一つになる場所を
 「さらすわてぃ」新田久子の物語り

 海や草木、陽の光とともに息づく鞆の浦。 そんな鞆の町を象徴するようなお店がある。そこを営むのは柔和な雰囲気の中に、力強く真っ直ぐな“芯”を秘めている女性。元々は福岡でギャラリーを営んでいたが、人の縁でここ、鞆の浦に辿り着いた。
 気張らない、温かみのあるものを提供したいという信条のもと、店内には選び抜いた置物やアクセサリーを並べている。鞆の浦の自然と語らいながら、訪れる人々の心に、穏やかさの灯をともしていく。
 「ギャラリー&カフェ さらすわてぃ」新田久子(にったひさこ)の物語り。

 階段の向こう調和するいろどり 古民家の名残がある空間
 医王寺へと続いていく参道の途中、控えめに現れる階段を上ったところに、「さらすわてぃ」はある。古い民家だったものを改築したせいもあり、その雰囲気は鞆の浦の景色と見事に調和している。
 高台に位置し、外に大きく開いた縁側をそのまま残してあるから、店内からは、鞆の浦の海を一望することができる。
 潮の香りを含んだ風を嗅ぎながら、刻々と色を変える陽の光を眺めていると、時間が経つのを忘れてしまう。
 店の中には、新田さんが選んだ、“アート”な作品群が並べられていて、それらを見ていると、普段眠っている心の奥深くが、やさしく刺激されるみたいで―。
 出される飲み物も、素材、器ともにこだわり抜かれていて、鞆の浦の景色を眺めながら、誰もが至福のひとときに身を浸すことができる。

 人が繋いでくれた新田さんの想い
 「潰れるなんて、もったいない」新田さんが鞆の浦にやって来たのは、まったくの偶然だった。
 もとは福岡で、まだ世に出ていない才能を、どこよりも早く発信するギャラリーを営んでいた。しかし、様々な事情により、店を一度閉めることに―。
 これからどうすればいいのか。そんなふうに思案していると、新田さんに声をかけてくれる人がいた。
 「こんな良いギャラリーが潰れるなんて、もったいない」新田さんのギャラリーを知る人が、鞆の浦に場所を貸してくれることになり、復活を後押ししてくれた。
 その後も、次々と、新田さんの理念に共感してくれる人たちが現れて、最終的には、古民家を持て余している、福山市在住の方に場所を提供してもらうことになった。
 ギャラリーというかたちで、この場所を甦らせてくれる新田さんにだったら、と、その人は古民家の改築にまで協力してくれた。
 こうして、「ギャラリー&カフェ さらすわてぃ」を、開けることになった。新田さんが困っているときには、いつも助けてくれる人が現れた。それはきっと、このギャラリーの持つ、不思議な魅力のおかげなのだろう。

 改築、そして―その建物は、鞆の浦を体現するかのようで、そうして、新たにスタートを切ることになった新田さん。
 改築には、彼女ならではのこだわりがあった。―“風の通り道”があるようなお店にしたい。
 その想いそのままに、店内を風が踊るようにして吹き抜けていく。ここでは、真夏でも、心地好い涼やかさを感じることができる。また、開放感のある構造が巧みにデザインされているから、「さらすわてぃ」には、古民家特有の暗さは感じられない。
 陽光や、海や石垣からの照り返しという光りが、自然な明るさをもたらしてくれる。それを、光りが歌う、と新田さんは表現する。
 改築の際、新田さんは、ずっと好みの音楽をかけていた。
 草木であれ、動物であれ、ワインであれ、良いメロディをともにすると、目が覚めるような成長、熟成を見せる。きっと、このお店も同じで、だから、「さらすわてぃ」全体から、新田さんの持つ優しさがにじみ出てくるのだろう。

 ギャラリーを飾る置物たち 心惹かれる、その色、そのかたち
 福岡にいた頃は新人発掘を主としていた新田さん。東京よりも、いち早く、と、“アート”に追われる日々だった。しかし、鞆の浦に移ってからは、違う風に考えるようになった。
 鞆の浦では緩やかな時間の流れが漂っている。その中で人は自然と一体となって、大事なものを受け取ることができる。
 新田さんはそうした気風を尊んで、気張らない、人のありのままの心を映してくれるような、自然体の作品たちを置くようになった。衣服も、調度類も、置物も、すべてが建物や外の景色と同じ雰囲気を身に纏っている。
 それらを眺めているだけでも心が安らぐし、どれかを購入して、お店の雰囲気を持ち帰れば、ここの安らぎを、いつでも思い出すことができるはず。

 「さらすわてぃ」を営む意味 人々に“気”を与えていく
 新田さんは、毎日草木の手入れをするなどして、自然と直に語り合っている。そうすることで、調和の度合いは一層濃密なものになり、調和から生まれる“気”は、置物ひとつ、コーヒー一杯にも宿っていく。
 人びとは、その“気”に触れることで、安らぎと元気をもらう。
 人づてにこの場所の存在が伝えられてゆき、そうして、“気”を共有する人の輪は、さらに、どんどん広がってゆく。
 元気をもらった人びとは、また自分の道を歩き出し、新田さんはそれを静かに、微笑みとともに見送る。その佇まいは、はるか昔より鞆の浦を見守ってきた、水先案内人のそれに似ていて―。
 海や草木、陽の光りの変化を楽しみながら、今日も新田さんは「さらすわてぃ」を営んでいる。


 …と、こんな『ギャラリー&カフェ さらすわてぃ』の説明が(^.-)☆
 そして、ここから少し上に上がっていきますと、「後山山荘」が…
 「後山山荘」には、予約がありませんと入れませんようであります。


 ◆後山山荘

 --- http://ushiroyamasansou.com/introduction/ ---

 瀬戸内海国立公園のほぼ中心にある自然景観と歴史の町、鞆の浦(広島県福山市鞆町)を一望する高台に位置する「後山山荘」は、建築家・藤井厚二(1888-1938)が兄・与一右衛門のためにつくった昭和初期の鞆別荘を、現代建築家・前田圭介が受け継ぎ再生(2013)させた建築です。
 後山山荘は、藤井厚二の京都・大山崎「聴竹居」と同じデザインのサンルームがあり、天井に排気口があるなど藤井厚二自らが興した環境工学の考えを示していて、藤井厚二がつくった過去の建築と、前田圭介がつくった現代の建築を同時に見ることができます。
 また、ここには美しい景観や庭園、歴史や文化があります。
 後山山荘の南東方向には、瀬戸内海に浮かぶ島々と鞆の街並みの絶景を楽しむことができます。日の出から夜まで刻一刻と姿を変える海と町の景観に時が過ぎ行くのを忘れるほどです。西側の山手には、藤井のデザインによる日本庭園があり、四季折々に変化を見せるモミジを中心とした植栽、花々の移ろいを楽しむことができます。奥の木陰には「禽浴(きんよく)の滝」があり、小鳥が水浴をする姿が見られることもあります。
 さらに、結城素明(ゆうきそめい)筆「琴棋書画襖絵(きんきしょがふすまえ)」や、この山荘のために書いた藤井与一右衛門の漢詩「鞆八景」も残されています。鞆での生活やその自然景観、季節の移ろいなどが文化となり歴史となって積み重なっているのです。
 私たちは、後山山荘における建築的、景観的、文化的、歴史的な価値を掘り下げて見直すとともに、その価値をさらに高めるため利活用を促進し、地域に根差した生活の美学や空間の魅力を再確認しつつ、維持管理・保存し、もって地域の建築文化や観光の発展に寄与したいと考えています。

 --- 後山山荘倶楽部 共同代表 松隈 章・谷藤史彦 ---

 見学の可能な日時:下表の定期公開日の10時〜15時。次のいずれかの時間帯。
 10時〜/11時〜/13時〜/14時〜(1回あたりの見学時間は概ね50分とします)
 ※ 定期公開日以外の見学について
 見学人数が10人以上の場合、定期公開日以外でもご相談に応じます。
 人数制限:回あたり原則20人まで。
 内部空間をゆっくり実感していただく為に、サンルーム内部へ入る人数は10人までとします。
 引率・解説:簡単な解説を行います。自由閲覧用資料も準備してあります。
 マナーの徹底:後山山荘は、個人所有の別荘です。以下の禁止事項を遵守し、節度ある見学が望まれます。
 室内、敷地内、近辺は禁煙
 窓、襖、障子を開閉したり、家具・備品などを勝手に移動させないこと
 室内での写真・ビデオ撮影原則禁止
 大型の荷物の持込み禁止(手荷物は玄関に保管)
 駐車場:近所の市営駐車場をご利用下さい。近隣のご迷惑となるため、路上駐車は禁止です。
 見学料:1,000円/大人 500円/学生(小学3年生以下は入場できません)

 ◆後山山荘

 --- arch-hiroshima http://arch-hiroshima.info/arch/hiroshima/ushiroyama.html ---

 鞆の浦の高台に建つ住宅建築。建築家 藤井厚二が兄の与一右衛門のために昭和初期に建てた別荘であり、かの「聴竹居」とも共通する要素が織り込まれた名品であったが、空家となり廃屋同然となってしまう。
 相談を受けた前田の提案で残存箇所を修復しながら再生を図ることになり、新旧が絶妙に融合した建築作品となった。なお、本作は個人住宅をオーナーの好意により見学できる状態とされており、見学は特定の日に予約した上で行うことになる。
 訪問してみて最も印象深かったのは鞆港を一望できるすばらしい眺望と、それを巧みに切り取るデザイン。聴竹居と同じとも言われるサンルームは居心地の良い空間に仕上がっているし、追加された箇所もディテールに隙がない。鞆を訪問するなら、ぜひ予約したうえでここまで足を伸ばしてみて欲しい。本作にはそれだけの価値がある。
 内観写真はここには掲載しないが公式サイト(http://ushiroyamasansou.com/category/spe-galle/)で見ることができる。


 …と、こんな「後山山荘」であります(^-^)//"

 

 

 

 

 後山山荘への入口を通り過ぎ、医王寺への石段を上がっておりますと、途中に、これもアート作品なのでしょうか…サクラの木の下に1台の自転車が…アーティストのお名前も作品名も表示がありませんから、アート作品ではありませんのかも(^-^)
 ここで暫し一服で、眼下を眺望です。
 うん、うん、あの赤い屋根の建物は、ジブリ映画「崖の上のポニョ」のモデルになりました家ですネ(^.-)☆
 WEB上で検索しますと、こんな記載が…


 ◆ジブリ映画「崖の上のポニョ」のモデルになった場所・舞台は日本!広島県なのです

 2008年公開された宮崎駿監督によるジブリ映画「崖の上のポニョ」。
 2004年の「ハウルの動く城」以来4年ぶりになる宮崎ジブリということで、話題になり、大ヒットしましたね。『人間になりたいと願っている魚の女の子“ポニョ”と心優しい5歳の少年“宗介”の物語』
 崖の上の一軒家に住む5歳の少年・宗介は、ある日、クラゲに乗って家出したさかなの子・ポニョと出会います。アタマをジャムの瓶に突っ込んで困っていたところを、宗介に助けてもらったのです。
 宗介のことを好きになるポニョ。
 宗介もポニョを好きになります。
 「ぼくが守ってあげるからね」
 しかし、かつて人間を辞め、海の住人となった父・フジモトによって、ポニョは海の中へと連れ戻されてしまいます。
 “人間になりたい!”ポニョは、妹たちの力を借りて父の魔法を盗み出し、再び宗介のいる人間の世界を目指します。しかし、このポニョの行為は海の世界を混乱させ、津波となって宗介たちが暮らす町をまるごと飲み込んでしまうのです。
 さらに、「ぽーにょ、ぽーにょ、魚の子っ♪」という可愛くて軽快な曲も大ヒットしましたね。そんな崖の上のポニョのモデルになった場所が広島県福山市にある…

 ・鞆(とも)の浦 どのような港町なのか?
 自然の景色と素晴らしい街並みが美しい!以前訪れた朝鮮通信使が、「日本で一番美しい景色」と絶賛したそうです。
 そのような名所に宮崎監督は、2004年11月にスタジオジブリの社員旅行で訪れ、「大変気に入った!」そして2005年の春に鞆の浦の海沿いの一軒家に約2ヶ月間滞在しました。
 さらに2006年夏にも再び単身でやってきたそうな。
 こうして広島県福山市にある「鞆(とも)の浦」が次回作であった「崖の上のポニョ」の舞台として出来上がったのです。
 鞆の浦には今だ古い町並みが残っており、1992年には都市景観100選に、2007年には美しい日本の歴史的風土100選にも選ばれました。
 江戸時代の港湾施設である「常夜燈」、「雁木」、「波止場」、「焚場」、「船番所」が全て揃って残っているのは全国でも鞆港のみです。江戸時代中期と後期の町絵図に描かれた街路もほぼすべて現存し、当時の町絵図が現代の地図としても通用します。そのような町は港町に限らず、全国でも鞆の浦以外には例がないほど貴重な町なのです。


 …と、こんな記載が(^.-)☆
 それでは、医王寺の境内へ向かいます。本堂では、法要が執り行われておりました。


 ◆医王寺

 --- 鞆物語 https://tomonoura.life/spot/12669/ ---

 坂道や階段をえっちら上った先の後山(うしろやま)の中腹に、鞆の浦で2番目に古いお寺・医王寺があります。このお寺は826(天長3)年に弘法大師・空海によって開基されたと伝えられています。その後、火災で焼失していますが、慶長年間に、鞆城代・大崎玄藩により再興されました。
 高台にあるため眺めは最高で、鞆湾の全景が一望の下に見渡せます。1826年には、オランダ商館の医師シーボルトもツツジや松の観察のために、この小径を登ったのでしょうね。

 ・オリンピックよりも珍しい、6年に一度のご本尊のご開帳
 医王寺のご本尊は「木造薬師如来立像」。これは広島県の重要文化財にも指定されています。6年に一度しかご開帳されない、ありがたいご本尊です。
 山門には二体の金剛力士像が。なんとなく愛嬌を感じるお仁王さまが出迎えてくれます。
 ◇山門のお仁王さま―ね、愛嬌あるでしょ?

 ・「太子殿」への583段のハイキング
 医王寺の境内からさらに上を目指してハイキング。長い長い階段を登っていくと、「583」と刻まれた階段が。その最後の階段を踏みしめて、ついに「太子殿」に到着!ハイキングのごほうびは、鞆の浦を一望できる最高の眺めです。
 (注)夏場は水分補給に気をつけて、笑。
 ◇階段を上った先には「太子殿」―最高の眺めをプレゼント

 ◆石段の先に待つのは鞆の浦を見渡す最高の絶景 ? 医王寺(太子殿)

 --- https://visittomonoura.com/2020/01/1161/ ---

 後山の中腹に鞆で2番目に古い寺『医王寺』があります。そこからさらに長い長い石段を上った先にあるのが『太子殿』。特に夏場だと心がくじけてしまいそうな長い階段ですが、がんばって上った人にだけ見ることができる最高の絶景というご褒美が待っています。鞆の浦の全景が一望できる太子殿からの景色。オランダ商館の医師・シーボルトもこの小径を上ったのかもしれません。

 ・医王寺を目指して表参道をえっちらおっちら
 「鞆に来たんなら、いっぺんは上がらにゃーいけん」と言われて、行かずにはいられなくなってしまった『太子殿』。絶景スポットとして必ず名前があがる『医王寺』から更に石段を上った先にあり、地元の人でもなかなか行かない隠れた名所です。地元の人によると、「医王寺には表参道を通って行くべし」とのこと。後山の中腹にある医王寺の表参道は、鞆港西側の焚場町と江の浦町の間にあります。
 表参道を進みはじめてすぐ、ひっくり返ってしまうほどの急な坂道に出会います。不安な気持ちを抑えつつ、一歩一歩、えっちらおっちらと上った先には仁王門があり、阿吽の仁王さまがお出迎え。
 医王寺の境内から眺める景色も抜群で、「ここでも十分じゃない?」と心折れそうな自分を鼓舞し、さらに上を目指します。

 ・長い石段を上った先に待つ絶景という名のご褒美
 看板を目印に太子殿へのトレッキングがスタート。つづら折りになった長い長い石段を踏みしめて上ります。うっそうと樹々が茂りとても気持ちが良いのですが、ゴールが見えないため「あとどのくらいあるんだろう…」と不安な気持ちがムクムク。
 途中にベンチが置いてあり、美しい景色を眺めてひと休みしながら前に進みます。すれ違う人たちから「もうすぐゴールよ、がんばれ!」と声をかけてもらいながらラストスパート。
 石段を上り切ったら急に視界が開け、展望台のようになっていました。ゴールに広がっていたのは、想像以上の絶景!鞆の浦の全体を見渡せるまさにベストスポットです。
 トレッキングは少し大変ですが、多少の苦労は吹き飛んでしまうほどの絶景。のんびり楽しみながら歩いてみてはいかが?
 → 坂道の先には絶景という名のご褒美が!「医王寺」


 …と、WEB上にはこんな記載がありましたけど、GONsanも後で「太子殿」に上がってみたいと思います(^.-)☆
 丁度、本堂前には、『修行 竹内康雄 素材:鉄』のアート作品が(^-^)
 ふ〜ん、竹内康雄sanは、福山市のご出身のようであります。WEB上には、こんなご経歴の記載が…


 ◆経歴
 ・2011年 -- 福山工業高校卒業
 ・2013年 -- 溶接人杯準グランプリ
 ・2015年 -- 広島県美展奨励賞
 ・2016年 -- 国展、二科展入選
 ・2017年 -- 躍動する現代作家展福岡アジア美術館展示、名古屋個展、中目黒個展
 ・2018年 -- ZEN展東京埼玉展示努力賞、インドネシア展示
 ・2019年 -- ギャラリーフクヤマツイスト主宰発足
 ・2020年 -- 溶接人杯2020幕張メッセ審査員就任
 ・2021年 -- ZERO展大阪府知事賞


 この竹も、素材は鉄!?…手が届きませんので触れる訳にも行きませんから確認は不能。見た感じは「竹」に見えますから、素材は竹なんでしょうねぇ〜

 

 

 

 

 

 

 アート作品の傍らには、大伴旅人の歌碑が…そして、説明板には、こんな記載が…

 ◆大伴旅人「鞆の浦亡妻挽歌」三首の内の一首
  万葉集巻三-四四八番歌


 天平2年(730)12月、太宰府の長官だった大伴旅人は、大納言兼任となって都に上る途中、「鞆の浦のむろの木」を詠った三首の歌を残した。その三首目がこの歌で、他の二首の歌碑は対潮楼の崖下と歴史民俗資料館の前庭に建っている。
 「磯の上にしっかり根を張って立つむろの木よ。太宰府へ下る時、私は妻や息子といっしょにお前を見たのだ。しかし、その妻はもうこの世にはいない。私の愛する妻が今どこにいるのか尋ねたら、お前は私に教えてくれるだろうか。」
 こう、むろの木に問い掛ける旅人は、神亀5年(728)の初め太宰府に下ったが、まもなく妻を亡くし悲嘆にくれた。一方、奈良の都では、翌神亀6年2月の長屋王の変によって、光明皇后が誕生し、藤原氏の全盛時代を迎えようとしていた。
 子息 家持を伴い、亡き妻の思いを胸に帰京した旅人は、翌天平3年(731)7月、萩の花を気に掛けながら、静かに67年の生涯を閉じた。

 --- 2010年4月27日 鞆の浦ロータリークラブ創立40周年記念 ---

 境内を見廻しておりますと、う〜ん、先ほど法要を執り行っておられます所が本堂かと思っていましたら、本堂は、こちらでありました(^.-)☆
 本堂前には、こんな案内板も。

 ◆医王寺

 桃林山慈眼院医王寺は、平安時代の弘法大師の開基と伝えられる真言宗の寺院です。本尊は木造薬師如来立像で県の重要文化財に指定されています。慶長年間(1600年頃)福島正則が藩主となり、鞆城代大崎玄蕃藩がこれを再興しました。現存する鐘楼は1642年(寛永19年)福山藩主水野勝成の建立、本堂は1685年(貞享2年)四代水野勝種の再建したものと伝えられています。ここから15分ばかり登った所にある太子殿からの展望はすばらしいものです。1826年オランダ商館長の随行医師シーボルトはツツジや松などの観察のためにこの小径を登り、植物・昆虫をを採取しました。

 …と、こんな医王寺の経緯が。
 鐘楼から眺望します瀬戸内の景観…何度眼にしましても実にイィものであります。鐘楼下の崖淵には、女性お二人がノンビリと過ごしておられます。
 先客がおられましたようです。気付きませんでしたけど(^-^)//"

 

 

 

 

 

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