3/29(月)・3/30(火)は、芦田川河川敷-白萩団地を散策でした(^.-)☆ <1/4> |
■2021年04月18日18:14
3/29(月)・3/30(火)は、芦田川河川敷-白萩団地を散策でした(^.-)☆
3/29(月)の午後は、ウォーキングで芦田川河川敷行きとなりましたGONsan。
一見、陽気で気持ち良さそうな晴天なのですけど、まるで春霞に覆われたような景観の河川敷。
そぅなんですねぇ〜この日は、春霞と錯覚しそうでありましたけど、黄砂現象なんですねぇ〜晴天なのに、曇天と勘違いしてしまいます(^-^;
そのせいかどぅか分かりませんけど、この日の午後は、人影もありません河川敷でありました。
そんな中、ノンビリとウォーキングですけど、何気なく西方の山側に眼を移しますと、満開と思われます二ヶ所のサクラが大変キレイです。
んっ!?…白萩団地に、あんなサクラの木が存在したかなぁ…こんな時期に、こんなアングルで白萩団地に眼を向けます事は有りませんでしたから、今まで分かりませんでした。結構、大きなサクラの木であります(^_^)v
明日の午後も河川敷でのウォーキングを予定しておりますけど、明日はウォーキングコース変更で、白萩団地のサクラ巡りに向かうのもイィかも分かりません。
小水呑橋が近付いて来ましたら、護岸近くの河川敷ではカモsan達が日向ぼっこ中でありました。
人間は危害を加えません事は知っていますカモsan達ですけど、そぅは言いましても、人が近付きますと、皆さん川面へと非難です(^-^)
小水呑橋下へと到着しますと、我が家から1.7kmで、ここでUターン。復路は、護岸上をウォーキングとなりました(^-^)//"
翌・3/30(火)の午後は、早速、前日、河川敷から眼にしました白萩団地の満開のサクラの場所へとウォーキングとなりました(^.-)☆
我が家を出まして、中村→浜→平木、そして白萩団地へと、各町内をノンビリと、あちこちキョロキョロしながらの歩行です。ウォーキングと言いますよりも散策ですネ(^-^)
この散策コースでの景観は、子供の頃ですと見慣れた景観ではありますけど、歳を重ねるにつれ記憶から薄らいでいます箇所もチラホラ…でも、昔とさほど変わっていませんような気も致します。白萩団地は激変ですけど(^-^)
あちこち、眼に入ります景観を画像に納めておりましたら、いつの間にか、河川敷から眼にしましたサクラの木の場所にと辿り着いてしまいましたネ(^_^)v
ふ〜ん、ここでしたか…「片山最上稲荷神社」入口に存在します公園の東端にサクラは咲き誇っておりました。満開は既に過ぎ去ってはおりましたけど、ほぼ未だ満開状態ではありますネ(^-^)//"
どちらのサクラも満開ですと大変キレイです(^_^)v
この日は曇天でしたけど、晴天でしたら、もっとキレイでしたのでしょうねぇ〜せっかくここまで訪れましたのですから、この便を利用して「片山最上稲荷神社」に参詣です(^.-)☆
◆片山最上稲荷神社
稲荷神社の三大稲荷神社といえば、京都伏見稲荷大社、佐賀県の祐徳稲荷神社、茨城県の笠間稲荷神社である。(神事の吉舎知識より・日本神道のすべてより)
片山稲荷神社は備中高松(岡山県)の最上稲荷神社の分体を祀ってある。稲荷にキツネの意味は、水田の蟹類や貝類など田んぼの害となるものを食べてくれる、水田の守護者(食物神)として眷属(けんぞく)だという説がある。(眷属とは血の繋がった一族)
◆旧街道と片山最上稲荷神社
--- 鞆の浦ロータリークラブ ---
古代から近世まで福山が海であった頃、この道は田尻・水呑村から草戸千軒町や長和村へ通じた街道でした。
片山最上稲荷さんは、ここ片山の麓に万延元年備中高松の最上位経王大菩薩(伏見の豊川と並ぶ日本三大稲荷)の御分躰を妙顕寺三十六世日修上人(後、九代目日蓮宗管長・総本山身延七十五世法主大僧正日修上人)の開眼によって祀られました。
昭和の初め頃までは、毎年春の祭礼には、鞆、田尻、水呑村はもとより、多治米、川口、新涯方面から多くの参拝者が訪れ大変な賑わいでした。
…と、こんな「片山最上稲荷神社」なんですけど、GONsanが小学生時代には、まだ賑やかに祭礼が催されていましたように思います。中学生以降は出掛けていませんので、どんな状況なのか分かりませんけど…
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