2021年 福山市新市町「大佐山白塚古墳・尾市古墳」散策 <5/5>

 

 

 

 

 

 石室内をジックリ見廻しました後で墳丘の上に立ってみますと、うん、うん、最初から墳丘に上がっておりましたら、古墳の入口はスグに分かったのですけど、古墳廻りを確認しておりましたから、分かりづらかったようですねぇ〜
 古墳からは地元の集落が…見下ろしておりますと、畑の一角から白煙が…実にのどかな光景でありました(^-^)//"

 

 

 

 

 

 

 

 それでは、この辺で「尾市古墳」とお別れです。
 落ち葉が重なり滑りやすい下山道ですから、慎重に、ユックリと(^-^)
 下山開始間もなく、下の方から話し声?…叫び声?…らしき声が、微かに…
 うん、うん、スッカリ忘れ去っておりましたけど、尾市古墳上り口の路傍に車を駐めておりました。上下のいずれからか分かりませんけど、車がヤッて来ましたのでしょうねぇ〜
 少し急いで降りて行きますと、「おぉ〜い!!」と叫んでおられるような声が何となく(^.-)☆
 で、「はぁ〜い、今、急いで降りてますぅ〜〜〜!!」と、GONsanも叫びますと、きっと、届きましたのでしょうネ…以降は、何も聞こえなくなりましたから…

 ヤッとの想いで降りて来ましたら、ふ〜ん、森林組合の方達の車輌でありました。ラッキーにも、上から降りて来られましたから助かりましたネ。もし、下からの車でしたら、どちらかがバックしなければなりません。バックしますとなると、きっとコペン号のGONsanなのかも…ですが、農地側は崖ですから、C級ライセンスのGONsanなんぞは崖下に落っこちてしまいます。危ないところでしたネ(^_^)v

 森林組合のトラックには、3名の方が乗車です。
 「済みません、このまま下山しますから、チョッと待って下さいねぇ〜」と、詫びますと、「あぁ、えぇよ、えぇよ(^-^)」と、優しいお三人。
 それをイィ事に、「もぅ2枚ばかり写真を撮らせ下さい」と、またパチリ。
 そぅして下山して行きますと、集落の三叉路にと出ましたので、GONsanはここに停車で、森林組合の皆様を丁重なお辞儀でお見送りとなりました(^.-)☆
 次回、いつの日かまた「尾市古墳」を訪れます機会がありますかどぅか分かりませんけど、次回来訪時には、この三叉路の路傍に駐車しますとイィのかも…
 とにかく、上から降りて来られました車で、本当に助かりましたネ\(^o^)/

 

 

 

 尾市古墳からお別れしますと、せっかく、ここまでヤッて来ましたのですから…と、GONsanが社会人となりまして間もない頃にお世話になりました先輩を訪れます事に(^.-)☆
 GONsanより一廻り先輩ですけど、もし、ご健在・ご在宅で、お会い出来ましたら、35〜6年振りの再会となりますのかも…
 ご自宅は、福山市立常金丸小学校のスグ近くと記憶しておりますけど、間違ってもイケませんので、メモして来ました住所をナビに登録です(^-^)
 そして、ナビに従い走行となりました(^.-)☆

 そぅしますと、来た道を戻り、広島県道26号線に出ましてから北上かと思いましたら、途中で右折し山越えのルートをナビは指示。うん、うん、確かに、このルートの方が距離的には短いですねぇ〜
 で、逆らわずに山越えルートを走行しておりましたら、途中、『屋敷荒神古墳』の大きな案内板が…
 ふ〜ん、こんなところにも古墳が存在です。勿論、この案内板の傍らに車を駐め、立ち寄る事となりました(^.-)☆
 早速、案内板に眼を通してみますと、こんな記載が(^_^)v

 
◆屋敷荒神古墳

 1988年(昭和63年)2月14日、神社建て替えのために敷地を拡幅していたところ、神社裏側から横穴式石室が発見された。
 発掘調査の結果、現存する石室は、西側壁二枚と奥壁一枚の計三枚のみである。石室内からは、ほぼ完全なふた付きの須恵器九点と刀身の一部や飾り金具などが出土し、六世紀末から七世紀初(古墳時代後期)にかけての地方豪族の古墳である。
 新市町内では、石室内が手付かずのままで保存されていた例の発見は珍しく、確実に時代がおえるものとして貴重な資料である。

 --- 新市商工会 青年部 ---


 …と、こんな記載がありました。
 拝見してみますと、案内板に記載の通り、『現存する石室は、西側壁二枚と奥壁一枚の計三枚のみ』でありました(^-^)
 「石室内が手付かずのままで保存されていた」との事ですから、もっとチャンとした石室を期待していたのですけど、う〜ん、残念(^-^;
 WEB上で、もっと「屋敷荒神古墳」を検索してみましたら、こんな記載も…

 ◆新市町遺跡巡りEどうも解せない… 〜「屋敷荒神古墳」(新市町常)〜

 --- 2014年02月02日 07:10 http://blog.livedoor.jp/geibi/archives/36785196.html ---

 1月15日夕方、新市町常の「尾市古墳」(十字塚)見学を終え、日暮れまでもう少しあるので、同じく新市町常にある市指定史跡の「常権現1号古墳」に向かうことに。すると途中でこんな看板が目に入り、寄ってみることに。
 後で看板をよく読むと、「壁2枚と奥壁1枚」って書いてありましたが、つい「古墳じゃー!」と先走ってしまい、期待はずれの現状にテンション。
 しかし、光くんは「古墳っておもしれーな」って、思わぬ発言。(・_・;)この前に見学した十字塚なら子供でも楽しめるとは思いますが、ここでこの反応は…、何か光くんの中に古墳巡りの楽しみ方が芽生えたのでしょうか。
 それにしても解せないのが、説明板に「発掘調査の結果、現存する石室は、西側壁2枚と奥壁1枚の計3枚のみである。…新市町内では、石室内が手つかずのままで保存されていた例の発見はめずらしく」とあるのは、どういうことなのでしょう?
 境内拡幅工事で発見された際、未盗掘であったのに、石室の石は3枚だけ?工事の際に壊れた、あるいは「発掘調査の結果」壊れた、それで3枚だけでも現状保存したということなのでしょうか?
 それとも、発見時に石室は既に3枚の石のみになっていたのに、盗掘はされていなかったということなのでしょうか?そうだとすると不思議なことですね。
 何にしても、未盗掘古墳との出会いって、ロマンを感じますね。一生に1回でもそんな現場に立ち会ってみたいものです。( ̄∀ ̄)ノ
 結局、この古墳と辻堂で道草したために、「常権現1号古墳」に行く時間が無くなってしまいました。またの機会を楽しみにしたいと思います。


 …と、こんな記載で、GONsan同様に期待外れでしたようですネ(^.-)☆
 それでは、「屋敷荒神古墳」とお別れで、先輩のお宅に向かいます事に(^-^)//"

 

 

 

 

 

 

 

 

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