2021/06/22(火) 矢掛町「下道氏墓」& 真備町「琴弾岩・まきび公園・箭田大塚古墳」散策 <8/10> |
拝殿まで戻り、そして通り過ぎ、鳥居方向に戻って行きますと、こんな所に狛犬が(^.-)☆
拝殿に到着まで眼に入りませんでしたから、「そぅ言えば、神社なのに狛犬がいないなぁ…」と何気なく思っていたのですけど、帰路でヤッと気付きました。こんな場所に存在しますと、何気なく歩いておりますと見逃してしまいますネ(^-^;
鳥居をくぐり暫く進みますと、往路でも眼に入りましたけど、参道脇に『御大典記念神木・招霊の木(おがたまのき)』が…
WEB上で「御大典」の意味を調べてみますと、
★だいてん【大典】
@重大な儀式。大儀。大礼。「即位の大典」
A重要な法典。大法。「不磨の大典」
B律令制で、大宰府の主典(さかん)で少典の上に位するもの。…と、ありましたから、「昭和天皇御大典記念神木」ですネ。
★昭和天皇御大典記念神木
--- グーグルマップ https://maps.google.com/?cid=5113018254012924442 ---
・昭和天皇の御大典は昭和3(1928)年11月10日。
・「おがたまの木」-- 天照大神が天岩戸に隠れた時、天岩戸の前で舞った天鈿女命が手にしていたとされる木。御神木としてはポピュラーな木です。
…と、こんな記載がありました。昭和天皇の即位が1928年と言う事は、既に93年ばかり経ていますのでしょうけど、93年もの年月の流れを感じさせますような木でもありませんでしたネ。
「おがたまの木」は、成長が遅いのかも(^-^)
◆オガタマノキ
--- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---
オガタマノキ(黄心樹・招霊木・小賀玉木 学名:Michelia compressa)は、モクレン科オガタマノキ属の常緑高木。日本に自生するモクレン科では唯一の常緑樹である。別名オガタマ、トキワコブシ。
大賀玉の木(おがたまのき)と呼ばれる正月の飾りは、別の種類の木(文化の項目参照)。
・特徴
葉は倒卵状楕円形でやや肉厚の革質、表面には強い光沢がある。2-4月にかけて芳香の強い直径3cmの花冠が帯黄白色で基部がやや紅紫色を帯びた花を、枝の先端近くの葉腋につける。通常樹高は10-15mの高木であるが、樹齢数百年を閲した木には20m以上に達するものも少なくない。また、ミカドアゲハの食樹としても知られている。
・分布と近縁種
日本列島の本州の関東中南部以西と四国の海岸部、九州の低地、南西諸島に分布し、原名変種は日本固有。八重山にはタイワンオガタマ(var. formosana Kanehira)があり、この種は台湾、フィリピンにも分布する。ただし、別種とする判断もある。
日本では中国原産のカラタネオガタマ(別名、トウオガタマ M. figo(Lour.)Sprengel)が栽培されることが多く、オガタマノキよりも出合う機会が増えている。
…と、こんな「招霊の木(おがたまのき)」で、『樹齢数百年を閲した木には20m以上に達するものも少なくない』との事。と、言う事は、樹齢93年程度ですから、まぁこんなもんなのかも分かりませんネ(^.-)☆
…と、こんな事を考えております内に、まきび公園を見下ろせます場所まで戻って来ましたネ。平日ですから、訪れます方も無く寂しい八田神社でありました(^-^)//"
まきび公園の中国風庭園まで下りてきましたので、また池の周辺を散策です(^.-)☆
池に水を注ぎますのは三頭の龍なんですねぇ〜これを横目に「まきび記念館」方向に進んでいますと、茶室が…屋根下に表示がありますので見てみますと、「竹茶庵」?…
WEB上には『竹葉庵』と記載が…GONsanには「竹茶庵」に見えるのですけど、『竹葉庵』と書いてありますのでしょうねぇ〜
◆竹葉庵
茶室『竹葉庵』は、まきび公園内、まきび記念館の隣にあります。
※ H29年度より茶室管理はまきび記念館が管理しております。(お問い合わせはまきび記念館にお願いします)
…と、WEB上にはこんな記載がありました。
ノンビリと歩いていますと、喫茶や食事も出来る「たけのこ茶屋」前の駐車場まで戻って来ました。喉も渇きましたので「たけのこ茶屋」で何か求めます事に(^-^)
入口を入りますと、スグに眼に入りましたのがソフトクリーム。で、早速、ソフトクリームを(^.-)☆
「まきび公園」には、約1時間半ばかりの滞在となりましたけど、今から「吉備真備公産湯の井戸」と「箭田大塚古墳」に立ち寄り、帰路につきたいと思います(^-^)//"
「吉備公産湯の井戸」に向かいますと、スグ近くに「吉備公館址」がありましたので、まずは先に、そちらを拝見です。とは言いましても、「吉備公館址」の石碑と、ラテン語らしき文字で書かれた顕彰碑のみで、何にも無いのですけどネ(^-^)
「吉備公館址」をWEB上で検索してみますと、こんな記載が…
◆吉備公館址
--- https://tabioka.com/ruins-of-birth-place-kibi-no-makibi/ ---
吉備公産湯の井戸から50m程南の道路脇に吉備公館址と刻まれた石碑とその隣に何故かラテン語で書かれた石碑が建っている。この付近は吉備真備の父下道圀勝氏の館が有った跡あるいは吉備公の御家人の子孫が住んでいた跡ともいわれている。
◆吉備公館址概要
--- https://www.okatabi.com/mabi/yakata.html ---
・吉備公館址
この地は吉備真備が生まれた地と伝えられる場所で、近くには真備が生まれた時に使ったという産湯の井戸が残されています。真備はこの地域の有力豪族で、唐に留学後は聖武天皇や光明皇后から寵愛され朝廷内で大きな影響力を持ちました。政敵であった藤原仲麻呂との抗争に敗れると左遷されますが、再び唐に渡り学者として登用されるようになり、天平神護2年(766)、悪政を敷いた藤原仲麻呂を排除して右大臣として復権しています。
◆吉備公館址と真備公産湯の井戸
--- https://www.kurashiki-tabi.jp/blog/13015/ ---
その<真備公>が生まれた屋敷跡とされているのが、真備町の<吉備公館址>です。いまは屋敷などはなく、道端に明治33年建立された<吉備公館址>という自然石と、なぜかラテン語で書かれた<真備公>の顕彰碑があるだけです。
<真備公>はこのあたりで生まれたのか、と感慨あらたに歩いていると、まさにそれを裏付けるような<真備公産湯の井戸>がありました。<吉備公館址>からわずか10mばかりのところです。
<真備公産湯の井戸>は中国風の朱塗りの建物を真ん中に小さな公園になっていて、建物の下にコンクリートで密閉された井戸があります。井戸の中は覗き込んでも見えませんが、地元の人によると清水が湧き出ていて、その水は3mばかり離れたところの蛇口から出るようになっています。水は少しぬるめでした。
◆吉備公館址(岡山県倉敷市真備町箭田)
--- http://tansaku.sakura.ne.jp/sp/walk_kodai/kodai_okayama/kibikou_yakata.html ---
吉備公廟がある「まきび公園」から一旦国道486に出て東へ、まもなく案内板がある所を北に進むといいよ。
産湯が目に入り、その手前に館址の碑があります。
公は生まれつき聡明であったので神童と呼ばれ、特に学問を好み一を聞いて十を知るという才人であったと云われています。
この地は、昔天原(てんばら)といい、吉備公の御館があった所で、真備が生まれる前夜この井戸へ星が落ちたので、星の井と言われるようになりました。
この井戸の水が公の産湯に使われ、子酒川(しさい:またの名を子洗川)と名づけられました。駐車場があるのが嬉しい、水が出る蛇口があったらしい。
◆吉備公館址
--- https://www.facebook.com/mabisenjo/posts/2851321448518267 ---
真備陵南高校から北に進んでいくと、中国風の建物が見えてきます。ここが『吉備真備公産湯の井戸』です。真備町写真洗浄会の会場からは徒歩10分ほどです。
現地の説明によると、
吉備公の御館があったところで、吉備真備が生まれる前夜に井戸へ星が落ちたので星の井と呼ばれるそうです。この井戸の水を吉備真備の産湯に使ったので、「吉備真備公産湯の井戸」と伝わっているそうです。
この井戸の近くには、「吉備公館址」の碑とラテン語で書かれた「吉備真備顕彰碑」があります。
真備町のお隣り矢掛町にある吉備真備公園も吉備真備公の館址で、産湯の井戸もあります。
…と、こんな「吉備公館址」のようであります(^.-)☆
それでは、「吉備真備公産湯の井戸」へ。
ここには、説明碑がありまして、これには、こんな記載がありました。
◆吉備真備公産湯の井戸
この地は、昔天原といい、吉備公の御館があった所で、真備が生まれる前夜、この井戸へ星が落ちたので、星の井と言われるようになった。
この井戸の水が公の産湯に使われ子洒川(しさいがわ)(またの名を子洗川)と名付けられた。
公は生まれつき聡明であったので神童と呼ばれ、特に学問を好み一を聞いて十を知るという才人であったと伝えられている。
公の遺徳を偲んで、産湯の井戸を整備したのを記念してこの碑を建立したものである。
---平成2年3月 建立 真備町 ---
…との事であります(^-^)//"
← 戻る Contentsに戻る トップページに戻る 進む → |