2021/05/31(月) 福山市加茂町「石鎚山古墳群」散策 <1/2>

 ■2021年07月11日14:41
 5/31(月)は、福山市駅家町・加茂町の「古墳巡り」を何ヶ所か(^.-)☆(23)


 「石鎚山古墳群」は、加茂が丘団地の一角、団地西部に位置します。「石鎚山古墳群」近くまでヤッて来ましたけど、車を何処に駐めてイィものやら(^-^;
 路上駐車やむなしですけど、団地内の道幅が狭くて、どぅしたものやら…暫くぐるぐる廻っておりましたら、墓地内に2台程度駐車可能なスペースがありましたので、とりあえず墓地内に無断駐車となりました(^.-)☆
 車から降りますと、早速、「石鎚山古墳群」へ。
 ですが、進入路入口にはロープが張られ「進入禁止」(^-^;
 う〜ん、どぅしたものか…と、暫し思案はしましたけど、ロープの間から進入し向かってみます事に。

 進入路を上がって行きますと、途中に大きな崖崩れ(^-^;
 このため、危険防止で進入禁止にしておられますのでしょうねぇ〜
 到着しますと、大小二つの墳丘が…とりあえず正面の大きい方の墳丘に。階段が設けられ墳丘に上がりますと、ここにもロープが張り巡らされて「立入禁止」でありました。
 ロープの中には、『排水溝』『1号古墳・第一主体部』『1号古墳・第二主体部』と、三つの案内板が…ですが、雑草が生い茂りました墳丘のみで、何がどぅなっていますのかは分かりません(^-^;
 暫し見廻し、向かい側の小さい方の墳丘にも上がってみようと思います。
 墳丘には、『2号古墳・第一主体部』の案内表示が置かれてありました。1号古墳同様に雑草が生い茂り、特に何にもありません墳丘でありました。

 WEB上に「石鎚山古墳群」で検索してみましたら、こんな記載がありました(^-^)//"

 ◆石鎚山古墳群(いしづちやまこふんぐん)

 --- https://www.city.fukuyama.hiroshima.jp/soshiki/bunka/64094.html ---
 (掲載日:2017年2月27日更新)


 芦田川支流の加茂川によって形成された平野を望む北向きの低丘陵端部に位置し、2基の円墳からなる。
 第1号古墳(直径20m、高さ3m)は、墳丘の裾部と中腹斜面に列石を巡らせ、2基の竪穴式石室を有する。その一つの石室からは、墳丘外にのびた暗きょの排水溝を設けている。
 第2号古墳(直径16m、高さ3m)は、組合せ式木棺と、割竹式木棺を納めたと考えられる二つの土工壙からなっている。
 第1号古墳からは、斜縁二神二獣鏡、玉類、鉄剣、鉄鏃、銅鏃。第2号古墳からは内行花文鏡の破片(割れ口を磨いている)、刀子、ヤリガンナが出土している。いずれの銅鏡も中国製である。
 古墳の築造年代は1号墳は4世紀後半、2号墳は4世紀末から5世紀初頭と考察されている。
 両古墳とも、主体部が竪穴式、副葬品が鏡・武器・玉類という古い時期の特色を示した備後南部の古墳を代表するものとして、学術的価値も高い。発掘調査後、墳丘の盛土・貼石・芝張りの復元を行っている。

 ◆広島県の文化財 - 石鎚山古墳群

 --- https://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/bunkazai/bunkazai-data-206121190.html ---

 【解説
 石鎚山古墳群は、芦田川中流域の加茂川によって形成された扇状地をのぞむ北向きの低丘陵端部に位置し、2基の古墳からなる。
 第1号古墳は、直径20m・現存の高さ3mの円墳で2基の竪穴式石室を内部主体とする。第2号古墳は、第1号古墳の南東約20mにあり、直径約16m・現存の高さ2mの円墳で2基の土壙基を内部主体とする。第1号古墳に見られる列石状葺石(ふきいし)や竪穴式石室の構造などは、古墳時代前期(4世紀)の特徴をよく示しており、この古墳の年代は4世紀半葉から後半の時期と推定される。第2号古墳は、土師器片などから、ほぼ同時期と考えられている。
 この古墳群は、芦田川中流域の神辺平野に分布する古墳の中では、初期の古墳群の一つであり、円墳であるが、その構造的特色、副葬品の組合せも古式の様相をよく示しており、備後南部の前期古墳を代表するものである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

← 戻る  Contentsに戻る  トップページに戻る  進む →