2021/05/31(月) 福山市加茂町「猪ノ子古墳・江木神社」散策 <1/2>

 ■2021年07月02日13:39
 5/31(月)は、福山市駅家町・加茂町の「古墳巡り」を何ヶ所か(^.-)☆


 土井の塚古墳とお別れしますと、次は、「土井の塚古墳」からは北東部に位置します加茂町の「猪ノ子古墳・江木神社」に向かいます。
 倉神社への参道下を右折し、狭い市道で倉神社の東側を道なりに進んで行きますとむ、ほどなく『←猪ノ子古墳 0.1km』の案内表示が眼に入り、そこには江木神社の鳥居が存在です。が、鳥居には『妙見宮』と記載です(^-^)
 狭い市道ではありますけど、どぅにか対向車との擦れ違い可能なスペースがあります路傍に駐車。
 早速、鳥居をくぐり石段を上がってみます事に。
 石段を上がりきった所に拝殿が…そして、その後方に本殿です。境内の左奥には「猪ノ子古墳」の墳丘が見えますネ(^.-)☆
 WEB上で「猪ノ子古墳・江木神社」を検索しましたら、こんな記載がありました(^.-)☆


 ◆広島県の文化財 -- 猪ノ子古墳

 【解説】
 芦田川中流域の古墳のなかでは、谷奥の傾斜地に立地する。江木神社の南西端に、直径14m、高さ3mの円墳であるが、墳丘の形態・規模とも原形をとどめていない。内部主体は横口式石槨の前に羨道をとりつけた終末期のもので、石槨(せっかく)の長さ約2.8m、幅約1.1m、高さ0.95mで5枚の花岡岩の切石で組合せ、羨道(せんどう)部は長さ約3.8m、幅1.7m、高さ1.25mで、両側壁1枚、天井石2枚からなる。石と石の間隙には漆喰をつめた痕跡がある。7世紀代の古墳と考えられる。横口式石槨を内部主体とする古墳は、飛鳥地方を中心に分布しており、これからみると畿内地方との密接な関連を想定させる。

 ◆猪ノ子古墳(いのここふん)

 加茂の平野部を形成する加茂川と百谷川の流域には、数多くの古墳が存在している。猪の子古墳は、加茂川と百谷川の合流地点に築かれ、平野部を南に一望できる位置にある。墳丘については、削平と土盛りにより墳形、規模を明確にしがたい。内部主体は切石の花崗岩を使用し、南に開口するいわゆる横口式石槨である。石槨部は長さ2.82m、幅1.09m、高さ0.89m〜0.95m、羨道部は長さ東3.84m、西3.63m、幅1.46m〜1.70m、現高1.25mを測る。石材の接合部には組合せのための加工が施され、天井石と各壁との間隙には漆喰が残っている。
 出土遺物は知られていないが、芦田町曽根田白塚(県史跡)、新市町尾市1号古墳と共に古墳時代終末期の古墳として貴重である。

 所 在 地:加茂町大字下加茂 江木神社境内
 構造・年代:古墳時代終末

 ◆猪ノ子古墳

 --- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---

 猪ノ子古墳(いのここふん、猪の子古墳)は、広島県福山市加茂町下加茂にある古墳。広島県指定史跡に指定されている。

 ・概要

 広島県東部、神辺平野の北の谷奥傾斜地の、平野部を一望する位置に築造された古墳である。現在は江木神社境内に所在する。これまでに2014年度(平成26年度)に発掘調査が実施されている。
 墳丘は著しく流失しているため、墳形は明らかでない(直径14メートルの円墳とする説、一辺14メートルの方墳とする説がある)。主体部の埋葬施設は横口式石槨で、南方向に開口する。副葬品の内容は詳らかでない。
 この猪の子古墳は、古墳時代終末期の7世紀代の築造と推定される(一説に7世紀第3四半期頃)。本格的な横口式石槨を使用する古墳は畿内地方以外では極めて珍しいが、備後地方では本古墳のほか尾市1号墳(福山市新市町常)・曽根田白塚古墳(福山市芦田町下有地)が知られており、当地の豪族と畿内地方との強い結びつきが示唆される。特に本古墳の場合には畿内の古墳にほぼ同型式の例が認められることから、畿内からの直接的な影響が指摘される。
 古墳域は1950年(昭和25年)に広島県指定史跡に指定されている。

 ・埋葬施設

 主体部の埋葬施設としては横口式石槨が構築されており、南方向に開口する。石槨の規模は次の通り。
 石槨部:長さ約2.8メートル、幅約1.1メートル、高さ0.95メートル
 羨道部:長さ約3.8メートル、幅1.7メートル、高さ1.25メートル
 石槨部は花崗岩の切石5枚を組み合わせて奥壁・側壁2枚・天井石・床石とすることで構築される。また羨道部は石槨部より一回り大きい規模で、側壁1枚・天井石2枚によって構築され、羨道部の床面は石槨部の床面から30センチメートルほど一段下げる。石材同士の間隙には漆喰の使用も認められる。
 横口式石槨の様式は典型的なもので、畿内の巨勢山323号墳(奈良県御所市)・平尾山102号墳(大阪府柏原市)との類似が指摘される。

 ・文化財
 広島県指定文化財 史跡
 猪ノ子古墳 -- 1950年(昭和25年)9月16日指定

 ◆江木神社

 --- 福山市加茂町下加茂(平成20年3月22日) ---
 (http://www.komainu.org/hirosima/fukuyamasi/egi/egi.html)

 東経133度20分38.4秒、北緯34度34分17.89秒に鎮座。
 この神社は加茂小学校の西約700mに鎮座しています。この社を探していたとき、すぐに入口は見つけられたのですが、鳥居の額に「妙見宮」と書かれていたので、「此処は違うんじゃない?」といったんは通りすぎてしまいました。けれど付近に他には神社は見あたらず、「やはり此処なんでしょう。」と戻ってきての参拝となりました。江戸時代までは「妙見宮」のようでしたが、明治以降いつの頃か社名変更されているようです。
 高台にある境内は明るくのびのびとした感じで、拝殿はただいま建立中で、気持ちの落ち着く木の香が漂っていました。又境内西側には「猪の子古墳」という、7世紀後半に作られた円墳の様な土盛りが有りました。

 御祭神:月夜見命、速進男命、蛭子命
 由 緒:創建は不詳ですが、昔中野岡に鎮座していたのを江木に遷座したとの伝承があります。棟札によると正徳3年(1713)妙見殿造営、文化8年(1811)妙見社本殿造営とあります。

 ◆猪ノ子古墳発掘調査現地説明会(要旨概)

 --- 沼隈文化財研究所 2015年05月04日 ---

 広島県史跡指定されている「猪ノ子古墳」の発掘調査現地説明会が開催され、参加して来ました。
 日時:平成27(2015)年3月21日(土)13:30〜15:30
 場所:福山市加茂町(江木妙見宮境内・荒神社境内)
 主催者:福山市教育委員会文化課
 参加者:約80名

 [発掘調査概要]
 現在地の立地状況は、加茂川と百谷川の合流地点のやや小高い丘陵上の先端に築かれて、平野部を南に一望出来る位置に存在します。
 古墳の内部主体は、切石の花崗岩を使用し、南に開口する横口式石槨で、石槨部の長さ2.8m、幅1.1m、高さ0.9mで、羨道部は、長さ3.8m、幅1.7m、現高さ1.25mの状況です。
 内部の石材の接合部には、組合わせのための加工が施され、全国的に見ても数少ない古墳時代終末期の特異な古墳として注目されています。
 この神社境内一円や後背地の山を含め、「猪ノ子遺跡」とされ、弥生時代の石斧や弥生土器などが出土していますが、具体的な内容は不明です。

 [猪ノ子遺跡について]
 今回の調査によって、弥生時代の遺構は検出されませんでした。
 調査中の遺物の出土状況・周辺調査から、荒神社背後の尾根部に関連遺構の存在が予想されます。

 [猪ノ子第2号古墳について]
 周辺調査により、奥壁と考えられる石材から6〜8mの尾根部に凹地を確認し、直径12〜16mの円墳の可能性が考えられます。

 [猪ノ子第1号古墳について]
 幅約5m・深さ0.3〜1mの周溝がおおよそ古墳の中心から約9.5m〜14mの地点を取り巻くように、掘削されているのを確認。

 古墳は、山から延びる丘陵先端部を大きく削平し造成した平坦面に、周溝・内部主体部(羨道・石槨)・墳丘を設けている。周溝の東から北側に幅2m前後の平坦面も残るようです。
 今回の調査から墳丘の直径は、19mを測り備後地方の終末期古墳の中では、最大級の古墳と判明した。
 また、「横口式石槨墳」は、飛鳥地方に多く存在し、それ以外の地として、備後地方の存在が知られている。
 墳丘の盛り土については、今回の調査で古墳構築時の盛り土では無く、かなり近い時代に盛り土をした形跡を確認されている。
 また、『広島県文化財解説図録(昭和54年)』によると、「(前略)墳丘の形態・規模とも原形をとどめるものではない。(後略)」と記載されていて、早い時期から墳丘の形態は、後の世に改変されていた事が、知られていた。
 (概略報告 福之山鳳来記)
 尚、本文中の記載記事は、当日配布された「現地説明会資料」を用いた。(図面も含む)

 

 

 

 

 

 

 

 境内の左側には、「福山古墳ロード案内板」「猪ノ子古墳・江木妙見宮案内板」「ミレニアムカプセル」「手水石」「猪ノ子古墳説明板」が設置されていますので、順番に眼を通してみます。

 ・福山古墳ロード案内板
 古代探索の小道「福山古墳ロード」は、ABCの3コース有りますようで、猪ノ子古墳が属しますのは「服部Bコース(服部大池〜猪ノ子古墳)」のようです。
 駅家・加茂地区の古墳に詳しい方のガイド付きで福山古墳ロードを歩きますのは、さぞ楽しい事でしょうネ。こぅして案内板に眼を向けておりますと、出掛けてみたい所は、まだまだ結構有りますねぇ〜

 ・猪ノ子古墳・江木妙見宮案内板
 
この説明板は、GONsanにとりましては仲々難解でありますからして、記載してあります内容を、単純に書き写し転載です(^-^)

 ◆猪ノ子古墳・江木妙見宮

 Inoco Tumulus Egimyoukengu Shtine
 吉備国守・当麻公広島被葬者説は、加茂吉備国庁説の原点。

 ■猪ノ子1号墳(広島県指定史跡)/福山市加茂町下加茂(猪ノ子)

 ●古墳の概要/皇族と並ぶ規模の横口式石槨を持つ古代風水墓。
 造営年代は全国的に古墳が造られなくなる古墳終末期(飛鳥時代・7世紀後半)。様式は横口式石槨墳。石室(写真1)の石槨部(箱形の石で棺を納める部分)は、長さ2.82m、幅1.03m、高さ0.95m。羨道部の長さは東3.84m・西3.63m、幅1.7〜1.46m、現高1.25mである。石室の石を平滑にした切石で、石組みの目地に白い漆喰の跡が残る。墳丘の縦横約14m、高さ3m、形状は未調査で方墳・円墳・八角地形の説がある。出土物は残存しない。立地・造墓は古代風水思想によると考えられる。

 ●畿内・岡山県の横口式石槨墳と、猪ノ子古墳の吉備国守、当麻公広島(たいまのきみひろしま)墳墓説。

 古墳終末期、畿内に集中する横口式石槨墳を造営できたのは、天皇をはじめとした皇族か最高支配者層である(大阪府立近つ飛鳥博物館白石太一郎館長)。同じ様式で有名なものに壁画を持つ高松塚古墳(写真2)、天武・持統陵、牽牛子塚古墳(斉明天皇陵に比定)等がある。
 猪ノ子古墳は畿内と同じ様式で、石槨部の酷似したものに巨勢山323号墳(写真3・奈良県御所市)がある。この地は古代の鴨(賀茂)氏や波多(秦)氏の居住地で会った。当加茂町にも両氏が奉斎した賀茂神社や当江木妙見宮があり、畿内支配者との濃密な関係が伺える。
 福山市北部の横口式石槨墳は、当墳・尾市古墳(新市町)・曽根田白塚古墳(芦田町)・北塚古墳(駅家町服部)の合計4基があり、畿内と並ぶ集中地域である。猪ノ子・尾市の両墳は飛鳥時代に定められた「薄葬令」の王墓に相当し、石槨は畿内の天皇・皇子に劣らぬ規模である。一方。古代吉備の中心とされる岡山県には長砂2号墳1基のみである。規模は王墓に次ぐ上臣級で総社市の西外れに立地する。
 そのことから、当墳の被葬者吉備(備前・備中・備後)国主・当麻公広島説(賀茂氏と近い聖徳太子の甥の皇族・壬申の乱<672>直前に吉備で落命)、この説を受けた吉備国庁加茂町所在説がある。

 ■江木妙見宮(江木神社)/妙見菩薩(北辰=北極星・北斗七星)を祀る、聖徳太子縁の古代風水の宮。

 当社は古くから妙見菩薩(北辰)を祀り、江戸期の「備陽六郡誌」に石鳥居の妙見尊篇額の記録が残る。妙見菩薩は古代風水(天文・地理)の中核となる道教・仏教の習合神で、日本の風水(陰陽道)の宗家・賀茂氏、法華経を説いた聖徳太子と縁が深い神である。東向こうにある岡廃寺の妙見堂の可能性もある。

 古代風水・吉備の原郷/福山市加茂町
 設置/2014(平成26)年3月吉日
 製作/福きた「元気な町つくろう会」
 助成/一般社団法人 義倉

 ・ミレニアムカプセル
 
う〜ん、これは、何かタイムカプセルでも埋めてありますのかも…よく分からない(^-^;

 ・猪ノ子古墳説明板
 
これには、簡潔に「猪ノ子古墳」の説明書きが…

 ◆猪ノ子古墳(広島県史跡)

 直径約12m・高さ約3mの円墳とみられ、内部は羨道の奥に横口の組合せ式石槨を設けた特殊な横穴式石室です。羨道は長さ3.84m、幅1.09m、高さ0.89m、石槨・羨道ともに花崗岩の巨大な切石を使って築かれています。
 この古墳は、古墳時代終末期(7〜8世紀)の地方豪族の墓と推定されています。

 
--- 環境庁・広島県 ---

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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