2021/06/02(水) 備後国福山藩第9代藩主「阿部正方公墓所」散策 <3/3>

 

 

 

 

 それでは、この辺で「阿部正方公墓所」より退散ですけど、14歳で家督を継ぎ、激動の幕末に福山城内にて20歳で逝去の阿部正方公。
 あまりにも短い人生の上、陣頭指揮を執らないとなりません大事な時期に病床にあり、さぞ無念の正方公であったものと思います。当時に想いを馳せますと、何とも言えませんやるせない気持ちが生じてしまいますネ。
 わずか20年の人生…正方公ご本人にとられましては、どんな人生でしたのでしょうネ…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 テニスコート横の路上駐車場所まで戻って来ますと、せっかく訪れましたのですから…と、ついでに、久松台団地に上がりまして眼下の木之庄町を眺望します事に…
 職場の異動で転々としていました時期に、この木之庄町に社宅がありました関係から何ヶ月か暮らしていました事が…
 当時は、朝の出勤はバスで福山駅前に…退社時は、ノンビリと歩いて社宅まで帰っておりました。距離にして片道2.1kmでしたような…
 歩くには手頃な距離でありました(^.-)☆
 こんな経緯もありますから、 ごく短期の居住ではありましたけど、福山駅〜木之庄町には精通で隅々まで把握。とは言いましても、早や20年近くも昔の事となりましたけど(^-^)
 でも、こぅして眼下の木之庄町を眺望しましても、当時とさほど変わりませんような気も致します。けど、当時が懐かしく蘇っては来ましたネ(^_^)v

 当時、一緒に暮らしておりましたワン公も、名前は「ゴン(獣医さんのカルテには『ゴン子』と記載)」。
 毎週日曜日には、この高台まで来ますのが散歩コース。ここまで来ますのに石段を上りますけど、毎回、上を見上げては、「おっさん、またこの石段を上らすのか…」と言いたそうに、深い鼻息をしておりました。
 そして、一気に半分当たりまでかけ上りです。
 その後からノンビリとGONsanが上がって行きますと、早く上がれと言わんばかりに吠えまくりでありました(^-^)
 毎回こぅですから…一気に上がりますとシンドイですから、GONsanと一緒にノンビリと上がれば良いのでしょうけど、ワン公にとりましては、一気のかけ上がりの方が楽でしたのでしょうねぇ〜
 もぅ20年以上経ますのかも分かりませんけど、眼下に木之庄町を眺望しておりますと、当時のこんな様子が懐かしく蘇って来ましたネ(^-^)

 それでは、我が家に帰ろう(^-^)//"

 

 

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