2020/10/18(日) 蔵王山散策 <4/4>

 

 

 猿田彦神社まで下りて来ましたけど、ここではもぅ立ち寄らず素通りで下山続行。
 神社の少し下まで下りて来ますと、下山道脇に黒い手袋の忘れ物が(^-^)
 忘れ物…落とし物…の、いずれか分かりませんけど、傍らに花が咲いておりました。何と言う花なのか分かりませんけど、とりあえずパチリ(^.-)☆
 う〜ん、ひょっとしたら、こぅして立ち止まられ、花を画像に撮られました方なのかも…その際に、手袋をそのまま置き去りで下山されましたのかも…でも、それでは気付かれますでしょうから、やっぱり落とし物なのかも(^-^)
 まぁ、イィのですけど(^-^)/
 そして、また暫く下山が続きます。
 そぅしていますと、上る際には気付きませんでしたけど、「f天大明神」の祠が…何枚か画像に納めはしましたけど、「f天大明神」が何なのか分かりませんのでササッとスルーのGONsanなのでありました(^-^)//"

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 下りは楽ですから、アッと言う間に上り口まで下りて来ました(^_^)v
 訪れました時には、結構、車も駐まっておりましたけど、さすがにこの時間ですから随分減っておりました(^.-)☆
 駐車スペースの突き当たりには、「蔵王歩道 野鳥の広場」への上り口が…次回、蔵王山を訪れます時には、こちらの上り口から蔵王山頂きへ散策しますのもイィかも分かりませんねぇ〜
 では、退散です。
 蔵王小学校付近で車を駐め、振り返る形で、先ほど上りました蔵王山を数枚パチリ(^-^)
 帰路では、GONsanの前方を「アストンマーチン」が\(^o^)/
 この車の社名は何と言いますのか分かりませんけど、「アストンマーチン」と言いますと、GONsanには『ボンドカー』のイメージが強すぎて(^-^)

 中学生〜高校生にかけて『007シリーズ』の映画は大概鑑賞しておりますけど、この映画の中でボンドカーとして登場しますのが「アストンマーチン」でありました。
 既に55〜6年も昔の事となってしまいましたけど、ボンドカーには既にナビが装着しておりましたネ(^_^)v
 当時は、ナビなんぞは映画の中での創作物程度の認識しかありませんでしたけど、今では、当たり前に大衆車にも装着ですから、当時を振り返ってみますと実に感慨深い気持ちが…
 そんな経緯もありますから、「アストンマーチン」を眼にしまして画像に納めない訳にはいきません。
 信号待ちで駐まりましたので、待ってましたとばかりに即座に一枚パチリです(^_^)v

 暫く後方を走っておりましたけど、GONsanは信号に掛かりまして、アストンマーチンはいずれかに…
 どちらに向かって行かれましたのでしょうねぇ(^-^)//"

 ◆アストンマーティン

 --- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---

 アストンマーティン(Aston Martin))は、イギリスの乗用車メーカーでありブランドの名称である。正式な社名は「アストンマーティン・ラゴンダ」である。

 ・概要

 設立以来イギリスを代表する高級スポーツカーメーカー。創業以来高価格帯のスポーツカーを中心に生産しており、品質を重視し、美しさを追求する車作りを一貫して手がけている。イギリスでは数少ない民族資本の高級車メーカーであり、1960年代より愛用しているプリンス・オブ・ウェールズからロイヤル・ワラントを授与されている。
 モータースポーツでも長い伝統をもち、1959年には世界三大レースの一つであるル・マン24時間レース優勝と、世界スポーツカー選手権(WSC)制覇を果たした(同年にはF1にも参戦)。現在もFIA 世界耐久選手権(WEC)のLM-GTEクラスに参戦している他、F1ではレッドブル・レーシングと提携しており、2021年からはレーシング・ポイントを買収してアストンマーティンF1としてワークス参戦する予定。またイギリスの諜報部員を扱った映画『007シリーズ』では、DB5等が「ボンドカー」として登場している。


 …と、こんな「アストンマーティン」ですけど、そぅ言えばつぃ先日でしたか…ショーン・コネリーsan、お亡くなりに…

 
◆初代「007」俳優サー・ショーン・コネリー死去 90歳

 --- 2020年10月31日 BBC NEWS JAPAN ---

 映画で初めて「007」ことジェイムズ・ボンド役を演じた英スコットランド出身の俳優、サー・ショーン・コネリーが亡くなった。家族が31日、明らかにした。90歳だった。
 家族によると、サー・ショーンはバハマ諸島の自宅で家族に囲まれて、眠りながら息を引き取った。
 「ここしばらく体調が悪かった」と息子ジェイソン・コネリーさんが明らかにした。「バハマまで来て父のそばにいられる家族は全員、集まっていた」という。
 「こうなったばかりなので、この巨大な出来事を理解しようと家族全員が努力している」とジェイソンさんはコメントし、「父を知って愛していた全員にとって悲しい日です。そして、父の俳優としての素晴らしい才能を楽しんだ世界中の人にとって、悲しい損失です」と述べた。
 現在のボンド俳優、ダニエル・クレイグさんは、「サー・ショーン・コネリーはボンドとして、そしてそれ以外の本当にたくさんのものとして、記憶されていく。ひとつの時代、ひとつのスタイルを決定した人だ。スクリーン上で表現したウイットや魅力は、メガワット単位で計れるほどだった。現代のブロックバスター映画を作り出した1人だ」とコメントし、コネリーさんを「映画にとって本当に偉大な存在の1人」とたたえた。
 「これからもずっと俳優や映画人に影響を与え続ける」とクレイグさんは続け、さらにコネリーさんがゴルフを愛していたことを念頭に「どこに行ってもそこにはゴルフ場がありますように」と追悼した。

 ・「歴代最高のボンド」とも

 7本の「007」映画でイギリス情報部のスパイを演じ、「歴代1位」の評価を広く得ているほか、「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」、「レッド・オクトーバーを追え!」、「ロシア・ハウス」、「薔薇の名前」、「ロビンとマリアン」、「ザ・ロック」、「丘」など数々の作品に出演した。
 映画「アンタッチャブル」ではシカゴ・マフィアと戦うアイルランド系警官の役を演じ、1988年にアカデミー賞助演男優賞を獲得した。この役ではゴールデングローブ賞も獲得している。また、「薔薇の名前」では同年の英アカデミー賞主演男優賞も受賞している。
 若いころはサッカー選手を目指したこともあったが、演劇にひかれるようになり、俳優を志した。1953年にはボディビル大会に出場するためロンドンを訪れ、ミュージカル「南太平洋」にコーラスの一員として出演するきっかけをつかんだ。そこから舞台俳優の道が開け、テレビ・ドラマやテレビ映画にも出演するようになり、やがて1961年にはついに初のボンド映画「ドクター・ノオ」(1962年英米公開)でボンド役に抜擢された。
 2000年にナイト爵となり、故郷エジンバラの英王室ホリールード宮殿で、エリザベス女王から叙勲された。

 

 

 

 

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