2020/09/19(土) 井原市野上町「千手院・浪形岩」 <1/3>

 

 

 

 ■2020年10月04日18:04
 9/19(土)は、また美星町界隈を散策となりました(^.-)☆


 鬼ヶ岳ダムとお別れしますと、井原市野上町の「千手院(せんじゅいん)」に出掛けてみます事に。ここには、岡山県の天然記念物であります『浪形貝化石岩自然庭園』が有名ですから(^.-)☆
 鬼ヶ岳ダムからですと、ナビ通り走行しますと、一旦北上し、そして南下。少し遠廻りになるのかも分かりませんけど距離にして18km余り。所要時間は30分程度のようですから、ナビに従い走行です(^-^)//"
 途中、気が向きましたら『白糸の滝』にも立ち寄ってみたいと思います(^-^)/"

 

 鬼ヶ岳ダム〜千手院までのルートでは、「白糸の滝」の前を通過しましたハズなんですけど、う〜ん、案内看板に気付きませんでした(^-^;
 また次の機会に訪れてみたいと思います。
 ナビ通り走行し、難なく「千手院」にと到着です。WEB上で検索してみますと、こんなお寺のようであります(^.-)☆

 ◆千手院

 ・住所 -- 岡山県井原市野上町971
 ・本尊 -- 十一面千手観世音菩薩
 ・御詠歌 -- いたみやま 月の光の かがやけば くらき道にも いかで迷わん
 ・見所 -- 浪形貝化石岩自然庭園(岡山県の天然記念物である浪形貝化石岩の露出を巧みに取込んだ自然庭園)

 ◇由来

 聖武天皇の天平九年三月、行基菩薩により開創され七十二坊を有した。千手院は、その統轄としての寺格をもち大坊といわれ、一山の行事を執行する。また、往時は、八丁四面の地をもち、その四隅に諸天善神を勧請安置し「シメ」を張り、真言密教の霊地と定められていた。
 保元年間、火災により消失のところ、建長三年藤原資泰(那須与一一族)再建し、梵鐘を寄進した。くだって天文年間、尼子・毛利両雄の戦場となり、一山の宝物文書一切焼失した。
 梵鐘は猿掛城に持ち去られ、のち笠岡市持宝院に寄進されたが、現在、和鐘としては三十九番めに古いものである。
 慶長二年、隆慶上人再興。
 現在の建物は寛政六年改築したものである。鎮守は八幡社で、天慶年間に一国一社八幡宮として勧請したものである。

 ◆瀬戸内三十三観音霊場 第15番 頂見山 千手院
  (岡山県井原市野上町971)

 ・浪形貝化石自然庭園の寺

 奈良時代に行基が創建したと伝えられる真言宗頂見寺(ちょうけんじ)の坊の一つで、神社や本坊跡、石仏などに往時繁栄の姿がしのばれます。本堂裏の庭には露出した、岡山県指定天然記念物の浪形岩(なみがたいわ)があり、頂見(いたみ)山五景の一つとして親しまれています。
 裏庭には浪形岩(岡山県指定天然記念物)と呼ばれる地層が露出しています。約2千万年前浅海であったものが造陸運動によって隆起した新生代第三紀層中の海成層で、その層はカキ、ハネガイ、ベンケイガイなどの貝類の化石から形成されていて、まれにサメの歯、ウニの化石が密集堆積してできた含化石砂岩層が 存在しています。この化石を含む石灰岩が浪形岩(なみがたいわ)と呼ばれています。
 国道486号に沿って井原鉄道があります。「早雲の里荏原駅」の北方、井原ゴルフクラブ西側の道をさらに北へ約800m進み、南西へ鋭角に曲がり、山道を3〜400m進むと、広場へ寺の石柱が見えます。そこから寺への道を進むと、山門下に駐車場があります。

 ・千手院浪形石(平成21年5月15日追加作成)

 真言宗頂見山千手院の裏手には浪形石を使った、落ち着いた雰囲気の庭があります。幕末の時に住職であった証算和尚が作られたということです。
 浪形石はおよそ1500万年から2000万年前(新生代第3紀)、中国地方が浅い海であった頃に貝殻や砂が堆積して出来た砂岩で、別名浪形石灰岩とも呼ばれています。ハネガイ、ベンケイガイといった多くの貝化石の他に、まれにホウジロザメの歯の化石なども見つかります。
 また浪形石はこうもり塚古墳、王墓山古墳、牟佐大塚古墳といった県下屈指の古墳の石棺に使用されています。古の人々は、山の上に貝の姿が見えるということに、畏怖の念を抱いたためではないかと思っています。
 千手院のある頂見山一帯は、かつて行基の開いた頂見寺が隆盛を誇り、盛時には72坊を数え、鎌倉期には那須氏の外護を得たということです。しかし戦国の尼子、毛利の戦いによって灰燼に帰し、以後曲折を経て、本尊は塔中であった千手院に遷座されました。


 …と、こんな由緒のあります「千手院」であります(^-^)//"

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 千手院境内をじっくりと拝見しましたので、それでは裏庭に向かってみます事に…裏庭への進入口には『岡山県指定天然記念物 浪形岩』案内板が…

 ◆岡山県指定天然記念物 浪形岩

 標高約260m、千手院の庭に露出した石灰岩で、浪形岩の名称をもっています。この石灰岩は、カキ、ハネガイ、ベンケイガイなどの貝類の化石から形成されていて、まれに、サメの歯、ウニの化石も見られます。時代は、中新世(約2000万年前)で、当時このあたりが浅い海であったことがわかります。その後、この土地は、造陸運動を経て、現在の位置に隆起しました。幕末に、千手院の住職証算和尚が、庭をつくる時に浪形岩を掘りだしたことにより、すばらしい景観を織りなしています。

 
--- 指定年月日 昭和27年8月5日 井原市教育委員会 ---

 WEB上には、色んな方々が「浪形岩」について綴っておられまして、こんな記載もありました(^.-)☆

 
◆千手院地域(せんじゅいんちいき)[井原市]

 --- https://www.pref.okayama.jp/seikatsu/sizen/sizenkouen.etc/area/329senjuin.html ---

 ・ガイド

 千手院を中心とするこの地域は、以前は典型的なアカマツ林で起伏する山並みと相まって吉備高原特有の風土景観を構成していましたが、現在はマツに代わって広葉樹が主体となっています。千手院は、奈良時代に行基が創建したと伝えられる真言宗頂見寺(ちょうけんじ)の坊の一つで、神社や本坊跡、石仏などに往時繁栄の姿がしのばれます。
 この地域の地層は、約二千万年前浅海であったものが造陸運動によって隆起した新生代第三紀層中の海成層で、その層には貝類やサメの死骸等が密集堆積してできた含化石砂岩層が存在しています。この化石を含む石灰岩が浪形岩(なみがたいわ)と呼ばれ、当地域が発祥の地とされており、吉備の古墳から出土した棺にも浪形岩で作られたものがあります。また、千手院裏庭には、この地層が露出していて、頂見(いたみ)山五景の一つとして親しまれています。

 ・浪形岩(県指定天然記念物)

 標高約260m、千手院の庭に露出した石灰岩。カキ、ハネガイ、ベンケイガイなどの貝類の化石から形成されていて、まれにサメの歯、ウニの化石も見られます。幕末に千手院の住職証算和尚が庭をつくる時に浪形岩を掘りだしたことにより、すばらしい景観を織り成しています。


 それでは、千手院裏庭の浪形岩(県指定天然記念物)を、じっくりと隈無く拝見です(^-^)//"

 

 

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