2020年 広島県三原市「竜王山・筆影山」 <1/3>

 ■2020年06月02日18:07
 5/4(月)は、龍泉寺(白滝山)・大峯神社(黒滝山)を散策でした(^.-)☆


 福山への帰路は、海岸沿いを走行です。お腹も空いてきましたし、今治造船広島工場手前にセブンイレブンがありましたので、ここで暫しランチタイム。
 パンと牛乳を手に、堤防沿いに今治造船を眺望です。昔は、この辺りから「幸陽船渠」の社名が眼に入りましたけど、う〜ん、今では「今治造船」なんですねぇ〜

 
◆幸陽船渠

 --- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---

 幸陽船渠株式会社(こうようせんきょ)は、かつて存在した日本の造船メーカーである。

 ・概要

 今治造船グループに属する中手造船所として、新造船建造を主力事業としてきた。2014年2月1日に今治造船によって吸収合併され、今治造船広島工場となった。
 建造設備として、800t級のゴライアスクレーン4基、200t級のゴライアスクレーン2基、計6基のゴライアスクレーンを所有している。設備規模は今治造船の建造所で最大級。
 大規模な設備を利用してコンテナ船、バラ積み運搬船、タンカーといった大型船舶の建造を行っている。
 また、2002年には高度な技術を要するLNG船、2007年には超大型コンテナ船(8100TEU)の建造に中手造船所として初めて着手している。特に、超大型コンテナ船の建造は、アイ・エイチ・アイ マリンユナイテッド、三菱重工に続いて日本で3番目に建造することになった。
 日本で建造された船舶の中で、技術的、芸術的、社会的に優れた船を日本船舶海洋工学会が表彰する「シップ・オブ・ザ・イヤー2008」の大型貨物船部門賞に、当社建造のLNG船(液化天然ガス運搬船)「TRINITY ARROW」が選ばれた。
 2009年10月LRQAジャパンよりOHSAS18001の認証を取得し、安全面強化。
 元参議院議員の溝手顕正は過去に同社の副社長、社長を務めた。

 ◆幸陽ドックが吸収合併 今治造船広島工場に

 --- 2014年2月15日 せとうちタイムズ ---

 広島県三原市幸崎町の幸陽船渠(こうようドック)が国内最大手の愛媛県今治市の今治造船に2月1日吸収合併され「今治造船広島工場」になった。
 敗戦後、山羊一頭を連れて廃工場跡を守り再興した…と、故木曾清社長の回顧(苦労)談をえんえんと聞かされたことがある。その木曾社長は「尾道出身だが、海ではなく山側の木曾だ」と、こだわっておられた。特に政界と造船業界との疑獄事件もからまって中型造船組合の故大平派(香川)の旗を振り、宮沢派(福山)に反旗をひるがえしていたことでは中選挙区時代から小選挙区に移る過程では注目されてきた。

 同社は1949年設立。戦後の経済復興の波に乗り再興したものの造船業界の構造的不況の波にのまれ86年に今治造船に買収され、今造の広島県側の中核として付加価値の高い船に集約する。最近は大型コンテナ船や液化天然ガス運搬船を建造。船価の高い建造量が増える傾向にあり幸陽船渠を吸収合併、経営を効率化して韓国や中国勢に対する競争力を備える。(村上幹郎)


 …と、こんな経緯のあります今治造船広島工場なんであります(^.-)☆
 そぅ言えば、3年ばかり前ですけど、2017年01月17日の中国新聞sanの朝刊に、こんな記事もありましたネ。
 せっかくの機会ですから、「竜王みはらしライン」を走行し「竜王山」に上がってみましょうか…そして、下山途中に「筆影山」にも立ち寄ります事に(^-^)//"

 

 

 

 

 「竜王みはらしライン」ですか…仲々快適なドライブが出来ますイィ道です(^_^)v
 途中で展望台らしきスペースを見つけ暫し眺望です。穏やかな瀬戸内を臨めますが、海と島の景観です。が、ノンビリとした気持ちにはなれますネ(^.-)☆
 そしてまた走行再開で、スグに竜王山駐車場にと到着です。

 竜王山を訪れています方は、それなりにおられますようです。
 「竜王山」の駐車場付近にある石碑には、「龍王山水神 慰霊観音」とあり、慰霊観音由来には、「太平洋戦争で英霊となった友ら同胞に大慈大悲の眼を注いでいます」と記載がありましたネ(^.-)☆

 WEB上で「竜王山(三原市)」を検索してみますと、色んな記載がありました。その中から少し拾ってみますと、

 ◆竜王山(三原市)

 --- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---

 竜王山(りゅうおうざん)は広島県三原市にある山。標高は445mである。展望台からの眺めは非常に素晴らしく、北東に隣接する筆影山と並び瀬戸内海髄一の眺望と言われている。晴れた日には四国山地も遠望でき、しまなみ海道の10橋のうち7橋を見ることができる。この地は1185年に屋島の戦いで敗れた平家の重臣、秦四郎国重(はたしろうくにしげ)が開いたという伝承があり、三原市の北にある龍王山(665m)と区別して葉田竜王山とも呼ばれている。
 2017年3月26日、三原市幸崎町久和喜から竜王山山頂までを結ぶ総延長4.6kmの竜王みはらしライン(林道久和喜竜王線)が開通した。

 ◆標高445mの竜王山

 竜王山一帯の集落は、1185年に屋島の戦いで敗れた平家の家臣秦四郎國重(葉田重五郎正時という説もあり)が落ち延びて開いたという伝えがある。
 この山並み一帯は地元では畑山(はたのやま)と呼ばれて親しまれてきた。(三原市観光情報サイトより)
 「ハタ」には葉田・畑・畠などの漢字を当てるが、伝説的には「葉田」が古い由来を示しているようだ。1185年2月、屋島の戦いで源氏に破れた平家が更に瀬戸内海を西へと敗走する中で、葉田重五郎国重一族だけは船を龍王山麓(ろく)の海岸に着けて上陸、険阻(けんそ)な山腹斜面や深い谷をよじ登って、尾根や谷間に隠れ里を作ったという。
 山頂付近を境として北西部を和田ハタ・田野浦ハタ(登町)、南西部にかけて須波ハタ(沖浦町)と言われてきた。(毎日新聞より)

 ◆「筆影山山頂、竜王山の展望台」多島美は瀬戸内海随一

 筆影山山頂、竜王山の展望台から眺められる多島美は瀬戸内海随一と評されています。筆影山の標高は311m。名前は、海に映ると山の形が筆の様に見えることから命名されたそうです。
 筆影山の南西に位置し、テレビ塔のある山が竜王山です。
 標高は、445mで二等三角点があります。山頂付近は、いこいの森として整備され、桜の名所です。
 展望台からの眺めは実にすばらしく、晴れた日には四国山地が遠望でき、しまなみ海道の10橋のうち7つの橋を見ることができます。
 この地は、1185年に屋島の合戦で敗れた平家の家臣、秦四郎國重(はたしろうくにしげ)が開いたという伝承があり、三原市の北にある竜王山(668m)と区別し葉田竜王山とも呼ばれています。


 …と、こんな記載がありました。
 では、山頂展望台に向かってみましょう(^-^)//"

 

 

 

 

 

 

 

← 戻る  Contentsに戻る  トップページに戻る  進む →