2020年 竹原市忠海町「黒滝山・大峯神社」 <5/5>

 

 

 黒滝山山頂からの眺望も充分楽しみましたので、少し下山して「山頂ひろば」に向かってみます事に…
 レストハウスの屋根・鯉のぼりとフラッグが見えます辺りが、「山頂ひろば」なんでしょうネ…それでは、「山頂ひろば」へと下山です(^.-)☆

 山頂ひろばに到着しますと、まず眼に入りますのが、この「大燈籠」であります。この大燈籠は、背丈よりもはるかに高く立派なモノでありました。
 そして中央正面には「宗忠神社」&「天照皇大神宮」が…いずれも祠のようなものはなく、石に名前が彫られているだけでした。石段などがありますので、創建されました当時は、立派な建物があったのかも分かりませんネ(^-^)
 『忠』の文字から何となく「忠海の神社」なんだと思いましたけど、ふ〜ん、WEB上で調べてみましたら「黒住教」の神社なんですネ(^-^)
 「Wikipedia」には、こんな記載がありました(^_^)v

 
◆宗忠神社

 --- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---

 宗忠神社(むねただじんじゃ)は、黒住教の教祖である黒住宗忠を祀る神社である。京都および、黒住宗忠の生地で黒住教の本部のある岡山にある。

 ◇京都の宗忠神社

 黒住宗忠は嘉永3年(1850年)に歿し、安永3年(1856年)に朝廷から「宗忠大明神」の神号が与えられた。文久2年(1862年)、宗忠の門人の赤木忠春らが、吉田神社より社地の一部を譲り受けて宗忠を祀る神社を創建した。慶応元年(1865年)には朝廷の勅願所とされ、皇室や公家から篤い崇敬を受けた。明治時代には県社に列格した。
 岡山の宗忠神社との区別のため、鎮座地名から「神楽岡宗忠神社」とも呼ばれる。
 流造の本殿は明治45年(1912年)に改築されたものである。本殿の北には、二条家より遷された天照大神を祀る神明宮がある。他に、白山比淘蜷_を祀る白山社、赤木忠春(赤木忠春神)を祀る忠春社がある。

 ◇岡山の宗忠神社

 岡山の宗忠神社は、宗忠の生地である岡山県岡山市北区上中野(通称 大元)に明治18年(1885年)に創建されたものである。
 京都の宗忠神社と混同を避けるため、教祖生誕地という意味で「大元神社(おおもとじんじゃ)」とも呼ばれる。鎮座地区名の「大元」はこれに由来している。かつて黒住教教団本部が置かれていたが、現在は岡山市北区尾上(通称「神道山」)に移転している。
 毎年4月に例祭として黒住教最大の行事である「宗忠神社御神幸」が行われる。神体を載せた鳳輦が岡山の街中を巡行して後楽園まで往復する祭で、岡山さくらカーニバルの中心行事ともなっている。

 ◆天照皇大神宮

 --- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---

 ・天照皇大神宮(てんしょうこうたいじんぐう)

 @皇大神宮(伊勢神宮内宮)の別名。
 A神奈川県川崎市中原区井田中ノ町にある神社。
 B福岡県糟屋郡久山町猪野にある神社。 旧社格は県社。通称は伊野天照皇大神宮・伊野皇大神宮・伊野神社。

 仲哀天皇9年(200年)、熊襲征伐の途中、仲哀天皇は「われを祭れば、戦をせずとも財宝の国を得ることができる」という神の託宣を疑ったために、その祟りをうけ香椎宮で崩御したといわれる。そのことを知った神功皇后は、小山田の村に斎宮(いつきのみや)を建て、自ら神主となり、天照大神を祀ったとされる。
 『三代実録』巻卅二に、元慶元年(877年)12月15日辛巳(原作壬午)授筑前国従五位下織幡神正五位下。正六位下天照神従五位下。とある。

 室町時代の末期には、都で大神の祭祀を司っていた豊丹生有時が、座列争いの罪で豊前国英彦山の麓に流されたとき、大神の御神体も豊前に移した。有時の子・兵庫大夫は神のお告げをうけて、御神体を伊野(猪野)に移し、宮居を建てた。天正14年(1586年)、立花城を攻めた島津氏は伊野にも侵入すると、兵庫大夫は御神体を守ろうと竃門山にかくしたが、島津兵はこれを奪って薩摩国に持ち去ろうとした。しかし途中で神の祟りを恐れて豊後国柞原八幡宮に納めた。その後、柞原の宮司に「伊野の里に帰すべし」との大神の託宣があり、柞原の宮司はその旨を伊野に知らせたので、兵庫大夫は御神体を再び伊野に迎え、以前のとおりお祀りすることができるようになったと伝えられている。

 立花城主戸次道雪、名島城主小早川隆景、筑前藩主黒田長政など大名も崇敬した。筑前藩第3代藩主黒田光之は、延宝5年(1677年)に別所に社殿を造営し、大神宮を遷移し、造営に際して宮司豊丹生信重と工匠工藤太夫清重を伊勢神宮に派遣して、本殿から鳥居に至るまで伊勢神宮に模して造らせた。

 天照皇大神宮では20年毎の式年遷宮も行われている。前回は平成19年(2007年)4月8日に挙行された。


 …と、こんな記載がありましたけど、忠海の「天照皇大神宮」も、こうした関係の神社なのでしょうネ。まぁ、よく分かりませんけど(^-^)
 時間はと見ますと、もぅ正午過ぎでありました。レストハウスでは、ご家族連れの皆様が丁度、お食事中でありました(^-^)//"

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それでは、下山開始です。
 やっぱり下山は楽ですネ、アッと言う間に休憩所・展望台、幸福の鳥居くぐり、乃木将軍腰掛の岩へと下りて来ました。休憩所付近からは、再度、「観音堂&大岩」を振り返りです(^.-)☆
 そして、「乃木将軍腰掛の岩」ではGONsanも腰掛けまして、遠い昔の乃木将軍への想いを馳せます事に(^-^)//"

 

 

 「乃木将軍腰掛の岩」からの眺望を楽しみました後は、駐車場へと歩行続行です。が、結構、ノンビリと下って来ました積もりなんですけど、ご家族連れに追い付いてしまいましたネ(^.-)☆
 よほどノンビリと歩いておられましたのでしょうねぇ〜
 時計台(時計塔?)まで下りて来まして時間を確認しますと、P.M.0:30丁度でありました。この時計が正しく時を刻んでおればですけど(^-^)

 駐車場をスタートしましてからスタート地点に戻って来ますまでの所要時間は、丁度、1時間30分でありました。
 意外に速かったようにも感じますけど、黒滝山散策には丁度イィ所要時間でしたかも(^_^)v
 それでは、福山にと帰ろう(^-^)//"

 

 

 

 

 

 

 

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