2020/02/01(土) 円通寺・円通寺公園散策 <4/5> |
境内から360度見廻しました後で眼が止まりましたのが、良寛堂に隣接の「友松亭」。これは、何します建物なのでしょう?…
また、WEB上で検索してみますと、こんな記載が…
◆良寛茶会の開かれる「友松亭」
…今の友松亭でもこの詩の趣きは感じられそうだ。この茶室は、大野友松氏が円通寺に寄進したもの。中国風の立礼式茶室だと言う事だが、普段は閉まっていて外観のみ観られる。良寛堂に隣接している。
他にも『圓通寺友松亭大野友松招飲』という題の漢詩が柚木玉邨にはあって、友松亭がどのように使われていたか、伺えそうなのだが、収録の本が図書館には無くて、見る事が出来ない。
何故こんな事を気にしているかというと、大野友松が永田廳泉の弟子と迄はゆかなくとも、七絃琴の指南を受けた人である可能性があるからだ。彼が弾琴をしていた事は分かっている。
東皐心越の流れを汲む琴統の末尾に新たに加えられる人物かも知れないなどと思っているから、出来るだけ彼の琴に纏わる痕跡を追いたいのである。…
…と、こんな記載。
何か難しい内容で、凡人のGONsanには、内容的にはよく分かりません(^-^;ですから、観ますだけ、画像に納めるだけ、でありました(^-^)//"
円通寺境内からお別れしますと、また円通寺公園内を散策続行となりました。
円通寺本堂の境内から南東に下がった石庭を眺めながら進んで行きますと、程なく「山頭火句碑」が(^-^)
案内板「山頭火句碑」には、こんな記載が…
◆山頭火句碑 案内
岩のよろしさも良寛さまのおもいで
種田山頭火(明治十五〜昭和十五)に自由律俳誌「層雲」の同人として諸国を放浪し数々の名句を残した求道の詩人であった。昭和十一年良寛の若き日の修行の地玉島の円通寺に足を運んで詠んだ一句がこれである。
岩の多い寺のその一つ一つに厳しい修行時代の良寛の面影を偲び、後年の遊戯三昧自在の境涯に入った真人良寛様を遠く拝んだ句として有難い。
平成四年十一月三日 玉島文化協会
協賛 玉島信用金庫(川柳たましま社)
★種田 山頭火
作家名:種田 山頭火
作家名読み:たねだ さんとうか
ローマ字表記:Taneda, Santoka
生年:1882-12-03
没年:1940-10-11
人物について:禅僧として各地を行乞の旅。旅のさなかに数多くの句を残した俳人。俳句は荻原井泉水に師事し、同門の尾崎放哉とともに「自由律」の句風で知られる。
そして、手前には、斜面の大岩の上に造られている「青銅露座地蔵菩薩坐像」の案内板も…
◆青銅露座地蔵菩薩坐像
倉敷市指定文化財になっています。
案内板に「…往時霊験あらたかなる伝説がある。」と記載ですけど、玉島円通寺案内ガイドのHPを見ると、
「金仏様(かなぶつさま)。ある年のこと江戸に大火があり、大混乱のまっただなかで、高張(たかはり)ちょうちんを高くかかげて消防に奮闘する一団があった。そのはたらきのめざましさにうたれ、また、見るとちょうちんには備中円通寺と書かれてあったので、人々は二度びっくりした。
この大火の夜、円通寺の住職は夜中にとび起きて「早く金仏様に水をかけろ。」と大声で命じた。雲水たちがおどろいて、水を汲んで行くと、不思議なことがあるもの、金仏様はまっかに焼けていて、水はしゅんしゅんとわきあがった。それからしばらくたって江戸の人がはるばる消火のお礼のために円通寺までやってきた。寺ではそんなはずはないと思ったが、わけを聞いて金仏様のごりやくであるとがてんしたのであった。」という伝説があるようです。
◆円通寺の金仏様
円通寺の境内の自然を利用した築山の巨石の上に、「金仏様」と呼ばれる青銅製の地蔵菩薩坐像がある。江戸時代後期の宝暦8年(1758年)に港問屋の萱谷半十郎が寄進したもの。
この地蔵は、宝暦10年(1760年)の江戸の大火に出向いて、円通寺の定紋入り高張提灯を掲げて鎮火したということで、火消地蔵とも呼ばれ、火伏せの霊験あらたかな仏とて、倉敷市の文化財に指定されている。第二次大戦の金物供出も逃れたということだ。円通寺には、他にも火難除けの神である秋葉宮があり、1月24日の縁日には大勢の参拝者で賑わう。玉島は人家が密集して、かつて大火で町の大半を失ったことなどから、こうした火除けの神や仏が祀られているものと思われる。
(参考)岡山の伝承:小出公大、玉島の民話・伝説:森脇正之、ザ玉島:ホームページ
…と、WEB上には、こんな記載がありました(^-^)//"
← 戻る Contentsに戻る トップページに戻る 進む → |