2020/06/20(土) 広島県府中市「あじさい寺(神宮寺)」&「南宮神社」散策 <3/6> |
本堂を通り過ぎ、一旦、境内から外の山道へと進みます。
境内から出ますと二つ目の蓮池が…この蓮池に沿って「順路」の標識に従って進行です。色んな紫陽花がありますし、種類によっては、非常に大きな花を付けており見応えがありますネ。良く手入れもされておりました(^_^)v
直進しますと、山の上には「南宮神社」が(^-^)//"
皆さん思い思いにカメラを向けて楽しんでおられます(^.-)☆
中には、難解な構図でカメラを構えておられます方も…GONsanも真似して同じ場所からカメラを向けてみるのですけど、凡人のGONsanには、どぅ撮ってイィものやらサッパリ(^-^;
その内に、南宮神社入り口の石標にヤッて来ました。手前には「遊歩道入口?」の案内標識も…
どちらに進もうか…と暫し思案のあげく、先に「南宮神社」に進みます事に(^-^)//"
山門は八脚門の隋神門で、高床になっておりましたネ。
・隋神門(ずいしんもん)
随身とも書く。神域に邪悪なものが入り来るのを防ぐ御門の神をまつる門。
隋神門は、瓦葺で三間一戸の八脚門である。貞亨4年(1687年)に建立されたと伝えられ、建物の様式からもその時の建立と考えられる。また、神像が2組残っており、記述とおり以前は随身門が2か所あったと思われる。
◆南宮神社
・交通案内 -- 府中駅 南2km 神宮寺の隣
・祭神 -- 孝靈天皇 伊邪那岐神 伊邪那美神 金山毘古神 多岐理比賣命 多紀津比賣命 市寸嶋比賣神 大屋都比賣神 抓津比賣神 速玉男命 事解男命 意富加牟豆美命 岐神
・境内摂社 -- 出雲神社
・由緒 --『広島県神社誌』から --
南宮の称は、美濃国一の宮の南宮大社を勧請したものとも言われるが、備後国の国府の南に鎮座したとめとする説が有力である。古くより備後一の宮の吉備津神社につく大社と称され、一宮・南宮・真宮を備後の国中の三社の大社と言う。
大同二年(807)の創祀と伝え、殿舎や神宝の精美を極め、また神田五十余町を有したが保元(1156)平治(1159)の乱により神宝等を散失した。その後応永六年(1399)正殿(本殿)再建の時、それまで左右の別宮に祀っていた神を正殿の脇座に遷したという。
現在の本殿は寛文九年(1669)に再建された壮大な建築であり、内内陣に奉安する御神像は鎌倉時代を下らない古き木造である。
なお、往古は神宮寺を擁し、応永二九年(1422)相国寺沙門中高等の奉納した大般若教六百巻を蔵す。
大屋都比賣神と抓津比賣神は、五十猛神と共に樹種を蒔いた神として著名である。共に素戔嗚尊の御子神である。
◆南宮神社
広島県府中市 南宮神社
広島県府中市に在る南宮神社は、大同二年(807)の創建で、大昔は宮内の吉備津神社と肩を並べる備後三大社の一つであった。一説には、吉備津神社が一ノ宮に昇格以前は、当社が一ノ宮であったとも伝える。祭神は孝霊天皇、伊弉諾、伊弉冉、金山彦を主祭神として十四柱を祭る。
◆南宮神社
・所在地 -- 広島県府中市栗柄町2980
・祭 神
孝霊天皇・伊弉諾尊・伊弉冉尊・金山彦命を主祭神として十四柱を祀る。
大同二年(807年)の創建で、大昔は宮内の吉備津神社と肩を並べる備後三大社の一つであった。一説には、吉備津神社が一ノ宮に昇格以前は、当社が一宮であったとも伝える。
現在の本殿は、寛文九年(一六六九年)の造営と考えられ、正面五間、側面三間で入母屋造りである。大規模な五間社は県内に例が少ない。特徴として向拜は千鳥破風・唐破風付。
内部は身舎柱が立ち仏堂的な建築様式である。
近くには神仏習合を物語る別当の神宮寺があり、また、境内に鐘楼が残っている神社は珍しく、往古は非常に隆昌を誇った神社である。
…と、こんな由緒のあります神社のようです。
本殿に向かって進んで行きますと、『修理固成』と刻まれました二本の石柱…「固成修理」?…「修理固成」?…これも、WEB上で検索です。
◆修理固成
--- https://blog.goo.ne.jp/amenouzmet/e/f1d357fcdadb1d36d47b388b8a1e1f21 ---
「この漂える国を、理を修し固め成せとのたまいひ…」
「このただよえるくにを、すじをただし、かためなせと、のたまいひ…」
これは、日本最古の書物とされる古事記に書かれている一文です。
まだ天地が別れたばかりで、ドロドロとしている下界を指し示し、天上の神々がイザナギ(伊邪那岐)とイザナミ(伊邪那美)の2柱の神に話した言葉として記されています。
イザナギさんとイザナミさんはこの言葉とともに、天上の神々からアメノヌボコ(天沼矛)と呼ばれる矛(ホコ)を授かり、その矛を「天の浮橋」という天空の虹のような橋の上からドロドロとした下界に差し下ろして、コオロコオロ…と音を立ててかき回し、そのかき混ぜた矛を引き揚げると、矛の先から滴り落ちたしづくが固まって、「オノコロジマ」と呼ばれる下界最初の島になったと。
そう書かれています。
これが日本国における「国産み」の神話。
この後、イザナギさんとイザナミさんは次々と沢山の島々を産んでいきます。それらがやがてこの日本列島になったのだ…と。
そういう神話。昔から、この国の創造に関わる大切な話として語られてきた物語です。
原文を記してみると…
修理固成(すじをただしかためなせ) 是多陀用幣流之國(このただよえるくにを) 賜天沼矛而(あめのぬぼこをたまわりて)
ここより、神道(しんとう)においてとても大切なモノしてとして抜き出された言葉が「修理固成=しゅうりこせい」「作り、固め、成せ」
一度作り、その後も何度も何度も見直して、修正し、修理し、そうして少しづつ固めて行く。それが作るということなのだ。
この言葉こそ神道の奥義と言っても差し支えない…と言う様な方もいますし、神道において、それぐらい古来より重要視もされてきた言葉。
…と、こんな記載がありましたけど、う〜ん、GONsanには仲々難解な内容ですネ(^-^)//"
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