2019/04/06(土) 我が町のサクラ名所散策(^.-)☆ <4/4>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 水呑川土手の散策…満開ではありませんでしたけど、それなりにサクラは楽しめました。この陽気ですから2日後頃に満開となりますのかも…
 月曜日に再度訪れますと、満開のサクラが楽しめますかも(^-^)
 我が家までの帰路は、周辺の景観にキョロキョロと。また一軒、新築工事が進行中。公園内の遊具の一部にはビニールシートが…この公園内では中・高校生が滑り台で遊んでいます光景も見掛けますから、滑り台の一部が破損していますのかも…
 こんな公園は市より委託され各自治会が管理していますけど、当然、自治会から市の方へ修復依頼はしておられるのでしょうけど、予算の関係なのでしょうか…随分前からビニールシートで覆われていますから…

 

 

 

 我が家近くの景観を何気なく画像に納めておりまして、後で画像を確認時に気付きましたのですけど、たまたま正面に駐まっています赤いスポーツカーが画像に撮れておりました(^_^)v
 何と言うスポーツカーなのか分かりませんけど、このロゴマーク(ABARTH)はGONsanにも分かります(^_^)v
 以前からこのスポーツカーを画像に納めよう…との想いはありましたけど、延び延びとなっておりまして、この日ヤッと撮れました。早速、我が家に帰りWEB上で検索です。

 ◆アバルト

 ---出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---

 アバルト(Abarth)は、イタリアの自動車メーカーである。
 1949年、トリノにて設立され、主にフィアット車を用いての自動車競技への参加、自動車部品や改造車の販売などを行っていた。
 1971年にフィアットに買収され、その後しばらくは同社の自動車競技部門に関与するなどしていた。1990年代以降にはフィアット車のモデル名に名を残す、いわゆる社内ブランドとの位置付けとなっていた。
 その後、フィアットの自動車部門を統括するフィアットオートモービルグループ社のもとに、アバルト&C.社(Abarth & C. S.p.A.)が再組織され、2007年に発売された乗用車フィアット・500へアバルトの名を冠するモデルが設定され、現在に至る。

 ・歴史

 1908年にオーストリア・ウィーンで産まれたカール・アバルトは、バイクのレーシングライダーとして活躍したのちイタリアに移住し、カルロ・アバルトと名乗りチシタリア(en:Cisitalia)の技術・モータースポーツ責任者を経て1949年に会社「Abarth & C.」をトリノ市コルソマルケ38に興し、自動車マフラーなどのパーツを販売。それらの資金を元に主としてフィアットの小排気量車をベースにしたエンジン・チューンやレース車の製作を行った。
 自動車にはカルロ・アバルトの誕生月の星座であるサソリのエンブレム(スコルピオーネ)が装着された。「アバルトマジック」とも呼ばれる高度の改造を施された自動車は多くの競技で活躍した。1950年から1960年代にかけて113の国際記録とレースにおいて7400以上の勝利を得、「ジャイアントキラー」「ピッコロモンスター」などの異名も得た。

 1971年、アバルトはフィアットに買収され、さらにその自動車競技部門はオゼッラに分割譲渡された。


 …と、こんな「アバルト」でありますようです。

 車も検索しておりましたら、うん、うん、同型車がありましたネ(^_^)v 車名は「アバルト124スパイダー」なんですネ。
 車両価格は…う〜ん、GONsanにはとても手が出ませんねぇ〜
 この車の所有者は、GONsanよりも二廻りもお若い方なんですけど、ス・ゴ・イ\(^o^)/
 いつの日か機会がありましたら、お願いして乗せて頂かなくちゃぁ!!
 勿論、GONsanが運転するのではありませんで、『助手席』に(^-^;

 だいたいGONsanがスポーツカーを手に入れましたのは、50代の後半ですよ(^-^)
 それも軽四の「コペン」を…おまけに新車ではありませんで中古を(^-^;
 なのに、新車なんですから、ただ、ただ、感心してしまいます。とは言いましても、こぅして拝見していますだけでも楽しくなってしまいます。
 やっぱり、今度お会いしましたら、「乗せてm(_ _)m」と、是非、お願いしなくちゃぁ(^-^)//"

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