2019年 「鬼ノ城 & 岩屋」散策 <4/5>

 

 鬼ノ城1周コースの散策も、いよいよ終わりが近付いてきましたけど、北門に辿り着きますと、女性3人のグループに遭遇です。
 この方達は、暫く北門の景観を楽しんでおられましたけど、北門を抜け、北門下の遊歩道に進んで行かれました。この方向に進まれますと、岩屋方向に向かうのですけど…
 このグループの装備から推察しますと、本格的なトレッキングのようですねぇ〜中国自然歩道を歩いておられますのかも…GONsanも、鬼ノ城を後にしますと岩屋を訪れますのですけどネ…

 それにしましても、3人ではありますけど、統制のとれました凜々しいお姿の女性グループでありました(^-^)//"

 ◆北門跡
 一辺最大55cmの角柱を用いた掘立柱城門で、門に伴う柱が6本、正面1間、奥行2間ないし三間の城門と考えられる。開口部の床面が敷石なのは、他の城門と同じである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 北門の次は、礎石建物群跡へ散策です。

 ◆礎石建物群跡
 城内の中央部で、7棟が確認されている。礎石をもつ総柱の建物で、食品貯蔵庫と推定される。現在は、礎石が残っているのみで、「礎石建物群」と呼ばれます。

 

 

 

 

 

 礎石建物群跡からは、来た道を戻り、鬼ノ城山(標高約400m)へと進みます。そして程なく鬼ノ城山へと到着です。
 昔はここからの眺望は素晴らしかったのでしょうけど、今では廻りの樹木の成長で決して眺望は良いとは言えませんかも(^-^)
 ここには「のろし場」跡がありましたネ。

 鬼ノ城山を少し下りますと、鬼ノ城1周コースのスタート地点であります角桜に到着です。鬼ノ城山よりも角桜の方が眺望は楽しめます。

 ◆角楼跡

 かつてここには、裏門的な門跡の存在が推定されていたが、平成8年度の発掘調査で城門ではなく、特殊な遺構であることが判明した。
 ここは、南北両方から入り込んだ谷の頭部にあたる背面側の要地で、正面側約13m、奥行側約4mが前方へ突出した長方形の張り出し部が、城壁に付設されている。張り出し部の下部は、推定高さ約3mの石垣とし、その上部は土積みであったようで、張り出し部の本来の高さは約5m以上と推定される。石垣の間にはほぼ4m間隔で、一辺約50cmの角柱が立つ。張り出し部の外側には、通路のような幅1.5mの敷石が巡っており、また、城内側には角楼への昇降のための石段もつけられている。
 張り出し部をもつこの遺構=角楼は、背面からの攻撃に備えるとともに西門防備をも意図した重要な防御施設と考えられる。なお、角楼の存在、石垣の間に立つ柱、敷石が巡っていることは、日本の古代山城では初の発見例である。


 角楼の基礎部分の土塁は古代工法で復元されておりまして、土塁の一部が崩れる恐れもあるとの注意書きがありましたけど、こんな角楼跡のようであります。
 それでは、駐車場まで降りまして「鬼城山ビジターセンター」で少し休憩し、それから「岩屋」へ向かってみたいと思います(^-^)//"

 

 

 

 

 

 

 

 

 鬼ノ城とお別れしますと、次は岩屋へと向かう事に致します。「鬼城山ビジターセンター」から「岩屋駐車場」までは、距離にして2.2kmですから車で所要時間5分程度。
 比較的鬼ノ城から近くではありますけど、訪れます方は誰もおられないのかも…
 ですが、北門でお見掛けしました、あの凜々しい女性3人のグループが向かっておられますかも…

 岩屋に到着しますと駐車場に車を駐め、早速、散策開始です。「鬼の差し上げ岩」→「岩屋寺」→「皇の墓」の順番で。
 駐車場には1台の車が駐まっておりましたけど、少し離れた所から車内の様子を伺いますと、年配の男性が気持ちよさそうに眠っておられましたネ(^.-)☆
 それでは、まず「鬼の差し上げ岩」にと向かいます。
 途中、家の前の崖が崩れ、この状況では怖くてとても住めそうにありません民家が…昨年7月の豪雨で、こんな状況になりましたのでしょうか…
 どなたか住んでおられるような気配も無く、廃墟となりましたのかも分かりませんねぇ〜崖崩れが発生までは、平和に暮らしておられましたのかも…お気の毒に感じてしまいます。

 鬼の差し上げ岩までの路傍には、「岩屋寺」「皇の墓」の案内表示が…まず先に「鬼の差し上げ岩」に向かい、帰路に立ち寄ってみる事に致します。
 WEB上で「岩屋」を検索しますと、こんな記載が…

 ◆岩屋寺

 高梁市から総社市へと移動した。総社市近辺は以前の旅で中途半端に立ち寄っていた。どうしても見ておきたいのは市街地にある総社宮になるが、まだちょっと時間の余裕がありそうなので、ひとつだけ別の寺に立ち寄ることにした。
 市街から史跡鬼ノ城方面に分け入り、そのさらに奥の山中にある寺、岩屋寺である。
 特に事前に下調べをしていた訳ではない。道を走っていて、寺の案内板が出ていたので吸い込まれてしまったのだ。
 寺は近くに駐車場がありそこから少し山に入ったところにあった。石垣はかなり立派。石垣をのぼった先には本堂の観音堂。かなり寂れた雰囲気。

 岩屋寺は平安時代に栄えた山岳霊場で、室町時代末期には戦乱で廃寺となった寺だとのこと。さすがに伽藍を失ってから長い時間が経っているため、大きな寺があったという気配はあまり感じられない。以前、奥州藤原時代の寺の跡を見たときも、こんな感じだったな。
 本堂から左手に石段が見えた。登ってみよう。石段の先にあったのは毘沙門堂。毘沙門堂の横には巨大な岩座いわくらがあった。
 鬼の差し上げ岩といい、桃太郎の鬼のモデル温羅が、岩を積んで造った隠れ家という伝説がある。
 花崗岩が方状節理で風化した大岩が砂の中から露出しているという地形。地質学の知識がなければ、人為的に造られたようにしか見えない。これまでにも山陽地方で何ヶ所か見てきたがやはり神秘的だ。
 むかしの人がこれを見たら、計り知れない力を持った巨人がこの石を児戯のように積み上げたという想像をするのも不思議ではない。

 ◆鬼の差し上げ岩

 ・パワースポット
 総社市の観光名所「鬼ノ城」の一部ではあるが、鬼ノ城からは少し離れた場所にあります。1時間以内で見て周れます。近年、パワースポットとして注目を集めている場所です。

 ・温羅伝説
 鬼ノ城から少し離れた「岩屋」というところにある巨石です。鬼のモデルとされる温羅が岩を持ちあげて造ったという伝説があります。とんでもないほど大きな岩でした。駐車場は、少し離れたところにありました。

 ◆岩屋について

 鬼ノ城から峰続きで約3キロのところにある山上の集落に、岩屋寺というお寺がある。その背後にある、花崗岩の大きな洞窟が「鬼の岩屋」である。吉備津彦命の温羅退治の伝説に出てくる温羅という鬼のすみかといわれる。この巨岩には手形のようなくぼみがあり、「鬼の差上岩」の別名もある。

 ◆岩屋の皇の墓(いわやのおうのはか)

 寺伝によると、岩屋寺の開祖で文武天皇の皇子:善通大師の墓塔と伝えられていることからこの呼び名がありますが、埋葬された人物は不明です。花こう岩製の無縫塔で、基礎・竿・中台は八角形、蓮台・塔身は円形で、すべてが別石造となっています。無銘ですが、特徴から南北朝時代につくられたものとされ、中世につくられた県内の無縫塔の中では最も古い様式をもちます。
 無縫塔:卵塔ともいい、台座の上に卵形の塔身をもつものをいいます。


 …と、こんな記載がありました。これを参考に散策となりましたけど、時期が時期だけに蛇でも出て来そうで、少々怖さも…
 登山用のスティックでも持参すれば良かったのですけど、そこまで気が廻りませんでしたから(^-^)//"

 

 

何年か前までは平和に静かに暮らしておられましたのでしょうけど、実にお気の毒に感じます…

 

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