2019年 「鬼ノ城 & 岩屋」散策 <1/5> |
■2019年05月19日00:10
5/2(木)は、古代山城「鬼ノ城」を散策でした(^.-)☆
GWの大型連休に入りました5/2(木)は、10何年か振りに総社市の古代山城「鬼ノ城」を散策となりました(^.-)☆
嫁さんを誘いますと、予期しました通り「忙しいから独りで行ったら…」との回答でありました(^-^)
岡山市に暮らしておりました10数年前に、GONchan連れて嫁さんと出かけた事がありましたので、気乗りしなかったのでしょうねぇ〜
◆鬼ノ城
--- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---
鬼ノ城(きのじょう)は、岡山県総社市の鬼城山(きのじょうさん)に築かれた、日本の古代山城(神籠石式山城)である。城跡は国の史跡「鬼城山」(1986年(昭和61年)3月25日指定)の指定範囲に包含される。
★概要
白村江の戦いで唐・新羅連合軍に大敗した後、大和朝廷は倭(日本)の防衛のために、対馬〜畿内に至る要衝に様々な防御施設を築いている。鬼ノ城は史書に記載が無く、築城年は不明であるが、発掘調査では7世紀後半に築かれたとされている。
鬼ノ城は、吉備高原の南端に位置し、標高397メートルの鬼城山の山頂部に所在する。すり鉢を伏せた形の山容の7〜9合目の外周を、石塁・土塁による城壁が鉢巻状に2.8キロメートルに渡って巡る。城壁で囲まれた城内の面積は、約30ヘクタールである。城壁は土塁が主体で、城門4か所・角楼・水門6か所などで構成される。そして、城壁を保護するための敷石の発見は、国内初のことであった。城内では、礎石建物跡7棟・掘立柱建物跡1棟・溜井・烽火場・鍛冶遺構などが確認されている。鬼ノ城は、山城に必要な設備がほぼ備わり、未完成の山城が多い中で稀な完成した古代山城とされている。
鬼ノ城は、「歴史と自然の野外博物館」の基本理念に基づき、西門と角楼や土塁が復元された。その他、城門・水門・礎石建物跡・展望所・見学路などの整備とともに、「鬼城山ビジターセンター」と駐車場を整え、「史跡・自然公園」として一般公開されている。
城壁は、幅7m×高さ6〜7mの版築土塁が全体の8割強を占める。しかし、城壁最下の内外に1.5m幅の敷石が敷設されており、石城の趣が強い。そして、防御正面の2か所の張り出しは、石垣で築かれている。流水による城壁の崩壊を防止するための水門が、防御正面に集中する。城壁下部の2〜3mに石垣を築いて水口を設け、通水溝の上部を土塁で固めた水門が4か所ある。他の2か所は、石垣の間を自然通水させる浸透式の水門である。また、水門の城内側の2か所の谷筋で、土手状遺構が発掘された。土石流や流水から城壁を守るためと、水を確保するための構築物である。そして、第0水門の城壁下部で、マス状の石囲の浅い貯水池が発掘され、多くの木製品が出土した。
城門は、防御正面に東門・南門・西門、防御背面に北門の4ヵ所が開く。主の進入路と思われる場所に西門があり、西門の北側約60メートルの隅かどに角楼がある。各々の城門は、門礎を添わせた掘立柱で、門道は石敷きである。西門は平門構造で、他の門は懸門構造である。東門は間口1間×奥行2間で6本の丸柱構造。南門は間口3間×奥行2間で12本の角柱構造。中央の1間が出入り口で、本柱は一辺が58cm角である。西門は南門と同じ柱配列で、本柱は一辺が60cm角である。そして、門道の奥に4本柱の目隠し塀がある。北門は間口1間×奥行3間の8本の柱構造。本柱は一辺が55cmの角柱で、他は丸柱である。そして、門道に排水溝が埋設されている。また、西門周辺と角楼に至る土塁上面の柱穴の並びは、板塀のための柱跡とされている。
城内の中心部には、食糧貯蔵の高床倉庫と思われる礎石総柱建物跡5棟、管理棟と思われる礎石側柱建物跡2棟が発掘された。また、12基の鍛冶炉の発掘は、鉄器製作の鍛冶工房とされ、羽口・鉄滓・釘・槍鉋・砥石などが出土する。他の出土遺物は、須恵器の円面硯・甕・壺・食器類に加え、土師器の製塩土器・椀・皿などがある。
鬼ノ城の南麓の低丘陵が南北から突出して狭くなった田園地帯に、水城状遺構がある。版築状の土塁で、長さ約300m×高さ約3m×基底部幅約21mを測り、土塁の上部に人々が集住する。水城と大野城の関係と同様に、城への進入路を遮断した軍事施設とされている。
瀬戸内海は、いにしえから海外交流交易の主海路である。東端の難波津(港)の西方、約180キロメートルに吉備津(港)は位置する。吉備津の西方、約240キロメートルに那大津(港)の博多湾がある。吉備津は、東西航路のほぼ中間点に位置する。鬼ノ城の山麓一帯は、勢威を誇った古代吉備の中心部であり、鬼ノ城は吉備津から約11キロメートルである。
鬼ノ城は、いにしえから吉備津彦命による温羅退治の、伝承地として知られていた。苔むした石垣が散在する状況から、城跡らしいと判断され、「キのシロ」と呼んでいた。「キ」は、百済の古語では城を意味し、後に「鬼」の文字をあてたにすぎない。「鬼ノ城」は「シロ」を表す、彼の地と此の地との言葉を重ねた名称である。
礎石建物群の周辺では、仏教に関わる瓦塔・水瓶・器などの遺物が出土している。鬼ノ城の廃城後の飛鳥時代から平安時代にかけて、山岳寺院が営まれている。
鬼城山の山頂では、眼下に総社平野・岡山平野西部・岡山市街が一望できる。児島半島の前方は瀬戸内海、海の向こうの陸は香川県である。坂出市の「讃岐城山城」と高松市の「屋嶋城」が視野に入る。
…と、こんな古代山城「鬼ノ城」でありますようです(^.-)☆
駐車場近くに「鬼城山ビジターセンター」が存在しますので、とりあえずここで「国指定 古代山城 鬼ノ城」のパンフレットを頂き、まずは「学習広場」に向かう事に致します。
ここには展望台が設置され、真正面に丁度、西門が臨めます。まず鬼ノ城の概要を学習ですネ(^.-)☆
それでは、西門に向かってみます。
西門から入りまして左手に向かいますと、ここにも展望台が…
ここからは、先ほどの学習広場の展望台が臨めます。
眼下の眺望を暫し楽しみますと、今からいよいよ散策開始です。
頂いたパンフレットによりますと、「鬼ノ城1周コース(学習広場・西門・東門・屏風折れの石垣・北門・礎石建物群など)」は、約4〜4.5km(所要時間 約1時間30分〜2時間)のようであります。
時間的余裕はタップリ有りますGONsanですから、迷わず「鬼ノ城1周コース」を選択です。
眼に入ります景観を出来るだけ画像に納めたいと思いますので、2時間は要します散策になるものと思います(^-^)//"
・西門跡
平成8年度の調査で新たに発見された城門である。正面3間(12.3m)、奥行2間(8.3m)の大規模な城門で、中央1間が開口する。12本柱で構成される堀立柱城門で、開口部の床面は大きな石を敷いており、その両側に6本の角柱が立つ。門扉のつく柱は、一辺最大30cmもあり、これに精巧な加工をした門礎を添わせている。門礎には方立・軸摺穴・蹴放しが刻まれている。両側の門礎とも原位置を保っていることから、開口部は間口約4mで、うち3mが出入口となる。
扉は内開きである。扉を開け、4段の石段を上がると城内となるが、ほぼ3mか間隔で4本の柱が立っている。この柱は、城内の目隠しと敵兵を分散させる板塀の柱と思われ、大野城(福岡県)大宰府口城門でも見つかっている。
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