2019年 神辺町上御領の「八丈岩」への散策(^.-)☆ <5/5> |
◆堂々川(どうどうがわ)
堂々川は福山市神辺町中条東山を起源として高屋川に合流する約4kmの渓流。江戸時代に渓流砂防工事が実施されました。
1673年、堂々川の氾濫で国分寺が流失し、下御領村(現在の神辺町下御領)では63人もの犠牲者を出しました。こういった災害から村を守るため、堂々川では1730年頃から砂留(砂防ダム)が建設されました。
現在でも16基が現存し、その中で最も大きな6番砂留は、堤高13.3m、堤長55.8mもあり、「大砂留」とも呼ばれ、国の登録有形文化財に登録されています。
川の上流部には、堆砂敷きを利用して造られた堂々公園があり、四季を彩る樹々や、石組みの水路などが整備されています。
毎年5月下旬から6月上旬にかけてはホタルが飛び交い、多くの観光客で賑わいます。
◆堂々川砂留群
--- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---
堂々川砂留群(どうどうがわすなどめぐん)は、広島県福山市神辺町にある、芦田川水系堂々川流域に建設された複数の砂防堰堤である。
江戸時代中期から後期にかけて当地を治める備後福山藩により建設され、その後増改築および修復を重ね現在でも砂防ダムとして機能している。2006年国の登録有形文化財に登録。流域は県により整備されている。
地元住民による任意団体「堂々川ホタル同好会」により周辺美化が行われている。
・背景
堂々川は、福山市中心部から北にある神辺町東中条東山を源流とし、南下した後、神辺中心部を流れる芦田川支川・高屋川に合流する、芦田川の二次支流である。延長約4km、流域面積約2?、いわゆる天井川である。古くは百瀬川と言われ、砂留からとうとうと流れ落ちる水を見て菅茶山が書に残したことから堂々川の名が定着したという。
堂々川の北側上流には大原池・淀ガ池といったため池が数ヶ所ある。堂々川下流域は「下御領」と呼ばれ、御領遺跡という縄文時代後期から中世にかけての集落遺跡が点在しており、つまり古くから人が住んでいた。古代には備後国の国分寺である備後国分寺が創建される。更にこの地は古代から交通の要所となり、古代山陽道の駅家安那駅が置かれ、中世には神辺城の城下町、近世以降は近世山陽道(西国街道)と石州銀山道/笠岡道が交わう宿場神辺宿として発展した。
気候は瀬戸内海式気候で梅雨台風を除けば降水量は少なく温暖な気候が続く。芦田川は流域のほとんどを花崗岩で占められ、下流は風化した花崗岩が堆積し平野を形成した沖積平野となっている。この風化した花崗岩が堆積した砂状の土を西日本では特に「マサ土」と呼ばれる。この土は崩れやすく広島県における土砂災害の主因である。この地で起こった江戸期の土砂災害で亡くなった人たちの墓が現存している。
・発端
延宝元年(1673年)5月14日、梅雨の大雨により堂々川最上層部にある大原池が決壊し土石流が発生、下流の農地・住居に加えて国分寺を全壊、当時の住民150人弱のうち63人の死者がでてしまった。
福山藩主水野勝種は元禄7年(1675年)、国分寺を再建する。更に、藩政として農業に重点を置いていた勝種は、農民および田畑保護のため砂留普請を計画した。この勝種藩主時代の元禄10年(1697年)、あるいは翌年水野勝岑が藩主となった元禄11年(1698年)、堂々川に砂留普請を実施する計画が立てられていた。ただし、この計画は享保7年(1722年)まで進められなかった。
元禄13年(1700年)元禄検地の記録『下御領御検地水帳』に「とうとう砂畑三ヶ所」という記載がある。砂畑とは収穫の見込めそうもない砂地の畑を意味するが、とうとう砂畑は検地帳に記載されるほどの石高評価された畑であったとして、砂留の背後地を利用していた可能性が高いと考えられている。なお、とうとう砂畑は現在の4番砂留上流側の狸ヶ原であるとされている。以上より、現段階では堂々川砂留普請の開始年をこの1700年としている。
・近代以降
明治30年(1897年)砂防法施行に伴い山地そのものの防護を重視し、明治35年(1902年)からの積苗工・谷留石積などの山腹工事を施工していった。こうして、江戸時代の砂留と近代以降の砂防施策が複合的に機能することでこの地域の砂防対策が実現した。江戸期に造られた砂留も嵩上・増築を繰り返して現在でも機能している。
なお、その存在は戦前まで全国的に知られておらず、砂防学会で紹介されたのは戦後のことになる。1990年代に広島県により砂留整備および親水護岸・堂々公園と周辺環境整備の計画が立てられ、あわせて発掘調査も行われた。
2006年(平成18年)、国の登録有形文化財に登録される。
◆広島県の文化財 -- 堂々川六番砂留
芦田川水系堂々川に建設された江戸時代の砂留の中で最大のものである。五番砂留の約200m上流に位置する。ほぼ1割の勾配で大型のを階段状に積み、その上部を等によりげする。藩政時代に築かれた堂々川筋の砂留の内最大規模で、地域のランドマークとして親しまれている。
堂々公園での散策を終えましての帰路には、せっかくだから…と、ついでに「御領古墳群」と「古墳の丘」に立ち寄ります事に(^-^)
御領古墳群を通り過ぎ、先に古墳の丘へ。
ほどなく古墳の丘に到着ですけど、古墳の丘へ上がりますのはチョッと躊躇(^-^;
WEB上で見つけましたこの画像…多分、5〜6年前の画像なんでしょうけど…こんな感じでしたら難なく古墳の丘を散策可能ですけど、今では草木が生い茂りまして、足を踏み入れようものならヘビでも出て来そうですねぇ(^-^;
で、今回は、周辺から古墳の丘を見上げ済ます事に(^-^)
古墳の丘とお別れし、次は先ほど通り過ぎました「下御領古墳群(J支群)」へと向かってみます。
ここには、狭いのですけど駐車場もありますから、5〜6台の車でしたら駐車可能(^_^)v
到着しますと、早速、古墳巡りです。
WEB上で「神辺町古墳群」「古墳の丘」を検索してみましたら、こんな記載が…
◆神辺町古墳群
福山市神辺町上御領・下御領、福山カントリークラブの南東の山地に整備保存されてる古墳群。ここ数年で発見・整備された古墳群で、総数200基を越える古墳が整備保存されています。
そのほとんどが横穴式石室を持つ後期古墳で、地元の有志の方々によって整備が進められています。
一部ですが見学路が整備されている古墳もあるので、ぜひ訪問していただきたい古墳群です。(2015年12月訪問)
◆見渡す限り古墳!古代日本の謎がいまも眠る「御領古墳群」。全国にこのスゴさを伝えたい!
公開日:2017年11月10日文化・伝統・産業振興
「草刈りをしていたら山城跡が見つかった」「それがきっかけで次々と古墳が見つかる」。日常のように歴史の重大発見ができる。そんな可能性を秘める広島県福山市の「御領古墳群」。
西日本最大級の古墳群で、市民の有志団体「御領の古代ロマンを蘇らせる会」が維持活動を行っています。
歴史の新たな扉を開ける鍵が眠っているかもしれないこの古墳群を、より多くの方々に知ってもらうため、PR映像の制作にご支援お願いします。
「ウチの裏山、かなり古代です!?」「市民が発見した古墳!?」「市民の手で守る古墳!?」
重厚な古墳のイメージとかけ離れた気軽なフレーズに一瞬目を疑いますが、広島県福山市には市民の手で発見され守られてきた西日本最大級の古墳群があります。
福山市神辺町にある「御領古墳群」。古墳周辺の清掃や探索活動に参加するもよし、ハイキングコースとして御領の山を巡り古代の風を感じるのもよし、そんな新感覚のワクワク体感型古墳です!
神辺の平野には、吉野ヶ里遺跡の約4倍もの規模をもつ御領遺跡が広がります。山頂にはあまりにも大きな磐座が、それはまるで自らの末裔たちを見守るかのように悠然と佇みます。
・草刈りをしていたら、古墳時代の山城跡が見つかった
これらの古墳群を何年も時間をかけて守ってきたのは「御領の古代ロマンを蘇らせる会」の皆さん。
この御領の古墳群をはじめ古代人たちの遺跡と出会ったのは本当に偶然のことだったそうです。最初に古墳を発見した佐藤さんは、発見時の様子をこう語ります。
佐藤さん「家の裏山の草刈りをしていて、山城の跡を発見したんです。それから山の中の探索を始めました。墳丘らしき盛り上がりや、石室らしきものを見つけて、専門家に聞いてみるとれっきとした古墳と言われ驚きました。それもひとつやふたつじゃない。みんなで山に入るとどんどん石室を見つけるようになったんです。
これは只事ではないと、町に残る古い記録を探したり、地元の詳しい人に話を聞いてみたり…知れば知るほどに、だんだんとこの土地に隠れているものの大きさが尋常ではないのではないかと思いはじめました。
まずは御領古墳の素晴らしさと楽しさを知ってもらうために道を整えて簡単なスタンプラリーを開催。これが好評で、会の活動が本格化していきました。今は高校生から40代後半の広い世代で活動を行っており、小学生のときからずっと継続して活動に参加している子もいます。
古代の香りに魅了され、御領山の場所としての素晴らしさ、そして歴史をこの手で掘り起こすという感動をより多くの人と共有していきたいという想いが芽生えていき、「御領の古代ロマンを蘇らせる会」は人生をかけた大きなプロジェクトとなっていったのです…
…と、こんな記載が(^.-)☆
ふ〜ん、そぅだったんですねぇ〜これらの古墳群が発見されましたのは、ごく最近のようですネ\(^o^)/
この辺一帯には、まだまだ未発見の石室が多数存在しますのかも分かりませんけど、地元の方々による整備も大変ですネ。
それではこの辺で、帰路につくことに致します(^-^)//"
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