2019年 水呑学区「ふれあい文化祭」2019 <1/5> |
■2019年11月11日14:06
11/3(日)は、水呑学区ふれあい文化祭の『史跡巡り』に参加でした(^.-)☆
11/2(土)〜12/3(日)の2日間は「水呑学区あれあい文化祭2019」の開催で、GONsanは今年もまた『水呑の史跡めぐり(日の出丘・竹ヶ端方面)』への参加となりました(^.-)☆
史跡巡りへの参加者は、A.M.9:50に井上記念館に集合です。
いつものように、9:50少し前に井上記念館に到着で資料を頂きますと、「はい、これで定員いっぱいです…」との事ですから、「んっ!?」のGONsanです。
で、よくよく聞いてみますと、何でも今回は参加者が多くて、六方学園san提供のバスの乗車定員をオーバーするとの事のようでありました。
ですが、GONsanの後から未だ数人来ておられます。
結局、この人数の問題は、どなたかが車を出されます事で、一応、解決(^.-)☆
でも、珍しいですねぇ〜GONsanは、もぅ10年ばかりこの「史跡巡り」に参加しておりますけど、バスの定員を超えます事はありませんでしたような…チョッと意外でありました(^-^)
今回の史跡巡りは「日の出丘」「竹ヶ端」方面ですから、まずバスは鞆街道を田尻方向に走行し佐須良池脇に停車です。
ここでは、バスから下車し佐須良池脇で、「山分坂(さんぷんざか)」「大谷新涯」「新立古墳(しんたちこふん)」の説明です(^-^)
今回は、実際に「新立古墳」を訪れますのかも…と期待していたのですけど、従来通り説明のみで、う〜ん、残念(^-^;
ここからは、またバスに乗車し竹ヶ端へ。
鞆鉄バスsanの竹ヶ端バス停の駐車場で下車し、次の訪問地は、資料によりますと「法界碑と葬斂場(そうれんば)」でありました。
WEB上で「葬斂(そうれん)」を検索してみましたら、「葬斂(そうれん):なきがらを棺に納め、ほうむること。また、その儀式。」との記載が…
要するに、火葬場ではなくて、ここに、今で言う祭典場が有りましたようですネ。
この「葬斂(そうれん)」の言葉は、GONsanには結構懐かしさも漂い響きます。GONsanが幼少時には「葬儀(そうぎ)」とは言わず「葬斂(そうれん)」と言っておりましたネ。漢字ではこのように書くのですねぇ〜意味も分からず使っていたのですネ(^-^)
とにかく、ここに葬斂場(そうれんば)が存在しましたようです。
史跡巡りの講師の方が、当時の写真を皆さんに…ふ〜ん、昭和初期までは、ここに存在しましたようですネ。
今まで「史跡巡り」で3〜4回訪れています竹ヶ端なんですけど、「葬斂場(そうれんば)」跡地を訪れましたのは、今回が初めてでしたネ(^-^)//"
葬斂場を後にしますと、次は「諏訪神社 護法大権現」方向へ向かいます。途中、「平谷川」を通り抜け「小山」へ。そして、「諏訪神社 護法大権現」にと到着です。
・平谷川
髭ノ墓山〜宮崎山より集落の中部を流れる谷川。上流は水田の用水路、下流は海へ。
・小山
水呑漁協の北方30mにある高さ10mの岩山。頂上付近に恵比須社があった。麓に『二本竹(力士)』の碑あり。
・諏訪神社 護法大権現
祭神:健御名方神(タテミナカタノカミ)、御利益:勝利祈願・商売繁盛
文久四年(1864)以前、通称「権現さん」と呼ばれている。鏡・木札を御神体とし旧8月17日祭礼。
・恵比須社
諏訪神社の境内、祭神:事代主命(コトシロヌシノミコト)、古代より猟師が豊漁を願い祀る。他にも御利益として海上安全、商売繁盛、子孫繁栄。以前、子山の上にあった。
明治20年頃建立の地神石碑あり。
祭礼:旧9月2日 御神体:石
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