2018年 玉泉寺「春彼岸会 施餓鬼法要」 |
■2018年03月21日15:32
今日・日曜日は、彼岸会施餓鬼法要でお寺・墓参りでありました(^.-)☆
今日・日曜日は、あいにくの降雨の中、春彼岸会「施餓鬼法要」でお寺・墓参りとなりました(^.-)☆
天候のせいか、参拝者はいつもより少ないようでしたネ。
◆施餓鬼
・概説
餓鬼道で苦しむ衆生に食事を施して供養することで、またそのような法会を指す。特定の先祖への供養ではなく、広く一切の諸精霊に対して修される。施餓鬼は特定の月日に行う行事ではなく、僧院では毎日修されることもある。
日本では先祖への追善として、盂蘭盆会に行われることが多い。盆には祖霊以外にもいわゆる無縁仏や供養されない精霊も訪れるため、戸外に精霊棚(施餓鬼棚)を儲けてそれらに施す習俗がある、これも御霊信仰に通じるものがある。また中世以降は戦乱や災害、飢饉等で非業の死を遂げた死者供養として盛大に行われるようにもなった。
水死人の霊を弔うために川岸や舟の上で行う施餓鬼供養は「川施餓鬼」といい、夏の時期に川で行なわれる。
・由来
不空訳『救抜焔口陀羅尼経』に依るものである。釈迦仏の十大弟子で多聞第一と称される阿難尊者が、静かな場所で坐禅瞑想していると、焔口(えんく)という餓鬼が現れた。
痩せ衰えて喉は細く口から火を吐き、髪は乱れ目は奥で光る醜い餓鬼であった。その餓鬼が阿難に向かって『お前は三日後に死んで、私のように醜い餓鬼に生まれ変わるだろう』と言った。驚いた阿難が、どうしたらその苦難を逃れられるかと餓鬼に問うた。餓鬼は『それにはわれら餓鬼道にいる苦の衆生、あらゆる困苦の衆生に対して飲食を施し、仏・法・僧の三宝を供養すれば、汝の寿命はのび、我も又苦難を脱することができ、お前の寿命も延びるだろう』と言った。しかしそのような金銭がない阿難は、釈迦仏に助けを求めた。すると釈迦仏は『観世音菩薩の秘呪がある。一器の食物を供え、この『加持飲食陀羅尼」』(かじおんじきだらに)を唱えて加持すれば、その食べ物は無量の食物となり、一切の餓鬼は充分に空腹を満たされ、無量無数の苦難を救い、施主は寿命が延長し、その功徳により仏道を証得することができる』と言われた。阿難が早速その通りにすると、阿難の生命は延びて救われた。これが施餓鬼の起源とされる。
一方で目連「盂蘭盆経」による釈迦仏の十大弟子で神通第一と称される目連尊者が、神通力により亡き母の行方を探すと、餓鬼道に落ち、肉は痩せ衰え骨ばかりで地獄のような苦しみを得ていた。目連は神通力で母を供養しようとしたが食べ物はおろか、水も燃えてしまい飲食できない。目連尊者は釈迦に何とか母を救う手だてがないかたずねた。すると釈迦は『お前の母の罪はとても重い。生前は人に施さず自分勝手だったので餓鬼道に落ちた』として、『多くの僧が九十日間の雨季の修行を終える七月十五日に、ご馳走を用意して経を読誦し、心から供養しなさい。』と言った。目連が早速その通りにすると、目連の母親は餓鬼の苦しみから救われた。これが盂蘭盆の起源とされる(ただしこの経典は後世、中国において創作された偽経であるという説が有力である)。
この2つの話が混同され、鎌倉時代から多くの寺院において盂蘭盆の時期に施餓鬼が行われるようになったといわれる。
…と、施餓鬼法要には、こんな経緯がありますようですネ。
法要が終わりますと、いつもでしたら、どなたか招かれまして和やかな時間を過ごします事になるのですけど、今回は久し振りにお上人の法話となりました(^.-)☆
法話ですと、お上人のお父上でありますご老僧が担当して来られましたけど、お上人も仲々お話はお上手のようですねぇ〜
家に帰りまして、この時間ともなりますと、何を話されましたのか忘れてしまいましたけど、結構面白いお話でありました(^_^)v
塔婆を手にお寺を後にしますと、ご先祖様の墓参り。
途中、鐘楼脇の河津桜を何枚かパチリ。
例年、この時期には満開の河津桜なんですけど、あいにくの降雨で随分散っておりました。2〜3日前に墓参りした時には、満開で大変キレイだった…と嫁さんは言っておりましたが(^-^)
墓地から眺望の我が町内の景観も今一。
とは言いましても、降雨の中での眺望もまた、それなりにイィものではありました(^-^)//"
← 戻る Contentsに戻る トップページに戻る |