2017年 中村講中 京都「本山 本満寺」&「伏見稲荷」参拝の旅 <1/4> |
■2017年06月12日18:37
5/28(日)は、中村講中の皆様と京都・本満寺への参詣でした(^.-)☆
5/28(日)は、町内の講中の皆様と京都行き。本満寺・伏見稲荷への参詣となりました。
本満寺には過去にお詣りしておりますので、あまり気乗りしませんGONsanではありましたが、伏見稲荷参拝は初めて。それに、嫁さんも本満寺にはお詣りしているハズなんですけど、「お詣りしていない…」との事ですから、出掛ける事となりました。
…と言う訳で、またこの日の様子を画像でご案内したいと思います(^-^)//"
参加者は、総勢29名でしたでしょうか…観光バスでの京都行きですから、車内は比較的ユッタリ感が(^.-)☆
定刻・A.M.6:30に中村集会所駐車場を出発です。
途中、吉備SA・三木SA・西宮名塩SAの三ヶ所でトイレ休憩ですけど、大概、車内では眠っておりましたGONsanで、バスが駐まります度に眼が醒めておりました(^-^)
西宮名塩SAを出ますと、またスグに睡眠となりましたけど、時折り眼を開けますと観覧車とか上空の旅客機が眼に入っておりました。
そしてまたウトウト。
京都に入ったかな…と眼を開けますと、車窓からお城が…何と言うお城なのでしょうねぇ〜
以降はズッと車窓から景観をボンヤリと眺めておりましたが、定刻・A.M.11:00に本満寺にと到着です。
正確には、本満寺近くの路上でバスから降りまして、本満寺まではテクテクと歩き。道幅が狭いですからバスは進入不能ですから(^-^)
◆本山 本満寺(広宣流布山 本願満足寺)
本満寺(ほんまんじ)は、京都府京都市上京区にある、日蓮宗の本山(由緒寺院)。山号は広布山。塔頭が四院ある(一乗院、守玄院、実泉院、法泉院)。
・歴史
1410年(応永17年)本圀寺から分立し、六老僧の一人日持を崇敬開山として玉洞妙院日秀(関白・近衛道嗣の子)が開基。
当時は上京区元本満寺町(新町通今出川上る西入)付近にあった。1536年(天文5年)天文法華の乱で焼失し、堺に避難する。寺伝によれば、それから間もない1539年(天文8年)、関白近衛尚通が現在の地に移建し、後奈良天皇の勅願寺となるという。ただし、移建の時期については異説もある。
山科言継の日記『言継卿記』の記載によれば、1545年(天文14年)の時点で本満寺は「近衛殿近所」に存在していた。この「近衛殿近所」が具体的にどこを指すかは定かでないが、本満寺の現在地(寺町通り今出川上る)には該当しない。このことから、1590年(天正18年)頃、豊臣秀吉が京都の寺院を寺町通り沿いに強制移転させた時期に本満寺も移建されたとする説もある。
1751年(万治4年)徳川吉宗の病気平癒を祈願し、幕府祈願所となった。
近世にはたびたび火災に遭っており、1661年(寛文元年)の火災、1708年(宝永5年)の宝永の大火、1788年(天明8年)の天明の大火により焼失するが、その都度再建されている。本堂は1911年(明治44年)2月8日にも焼失し、1927年(昭和2年)に再建された。
現住は62世伊丹日章貫首(大阪市雲雷寺より晋山)。莚師法縁(隆源会)縁頭本山。
…と、こんな本山・本満寺(^-^)//"
本堂で参詣・読経後は、暫し本堂内を拝観です。
前回、本満寺を訪れました時にはおられませんでしたけど、今回は住職の息子さん・副住職が本満寺の歴史をご説明。つぃ最近まで教員として勤務しておられましたせいか、仲々分かり易い聞き易いお話しでありました(^.-)☆
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