平成28年11月〜平成29年04月間の 話題・景観を集めてみました(^.-)☆ <9/10>

 暫く観戦しておりまして、選手の皆様の通過が途切れましたところでゴンchanと散歩続行となりました。
 それでも、また選手がヤッて来ましてジャマしてもイケないから…と、垣根代わりの樹木脇を遠慮がちに歩いておりましたら、こんな表示板が…
 『被爆アオギリ二世…2005年6月14日広島原爆被害者の会福山支部』の説明書きが…

 この竹ヶ端運動公園内は熟知していますGONsanにも拘わらず、今まで何故かこの表示板の存在には気付かずにおりました。
 設置が今から12年前の2005年6月と、比較的最近の設置ですから気付きませんでしたのかも(^-^;
 今回こぅして初めて眼にしまして、少し不思議な気持ちも抱きます。

 GONsanが小学生時代には、原爆が投下され70年間は草木も生えないと言われておりましたが、最初に新しい芽が出て花を咲かせましたのは「キョウチクトウ」であった…と教えられておりました。
 だからこそ、放射能にも公害にも強いだろうと…と、JFEの外周には「キョウチクトウ」が植えられております。
 なのに、ここには「アオギリ」称賛の内容が…

 そもそも「キョウチクトウ」は、

 
・毒性

 キョウチクトウは葉、茎、根、花、種子などすべてが有毒で、オレアンドリン、アディネリン、ギトキシゲン、ジギトキシゲンなど複数の有毒成分を含んでいます。肉を焼くのに生木の枝を串代わりにしたり、箸として利用して中毒を起こした例が知られています。また、生木を燃やした煙も有毒とされます。死に至る症状として、心臓麻痺などが挙げられます。
 毒も使いようによっては薬となり、葉や樹皮を乾燥させたものは強心剤や利尿剤となりますが、決して素人が用いてよいものではありません。毒性のイメージが先行するのか、校庭に植栽されているものをすべて伐採しようとしたり、市花として指定されていたものを取り消された事例などがあります。過度に恐怖心を抱かず、正しく知って適切な用途や距離感で植物と永くつきあいたいものです。

 ・その他

 キョウチクトウは大気汚染や悪環境に耐えると言うより、有害物質を体内に取り入れない仕組みができていると言われています。キョウチクトウの葉は裏側に肉眼では見えないくぼみがあります。くぼみの内側にはびっりと毛が生えおり、その奥に空気を取り込んだり、呼吸するための気孔があります。 毛がフィルターの役割をし、気孔から有害物質が入ることを防いでいるようです。

 
…と、こんな有毒植物でもあるようですから、いつしか放射能に打ち勝った強い植物「キョウチクトウ」のイメージは消滅してしまいましたのかも分かりませんねぇ〜

 被爆アオギリをWEB上で検索しますと、


 ◆被爆アオギリ

 被爆アオギリ(ひばくアオギリ、英:Phoenix Trees (またはChina Parasol Trees) Exposed to the A-bomb)とは、広島県広島市中区中島町の広島平和記念公園内に生息する、被爆した樹木のアオギリ。

 ・概要

 広島市が選定した被爆樹木の一つであり、その中でも代表的なものである。現在は、広島平和記念資料館東館の北側に2本生息している。6月から7月にかけて黄色い花を咲かせる。なお、その付近に被爆アオギリ二世と見られているアオギリも自生している。
 最初の植樹時期は不明。元々は別の場所に植えられており、戦中は広島逓信局の中庭(現日本郵政グループ広島ビル付近)に、4本生息していた。
 1945年8月6日広島市への原子爆弾投下により被爆。爆心地から約1.30キロメートル離れたところに位置した。
 逓信局敷地内の建物の影にならず爆心地方向からまともに原爆の熱線と爆風を浴び、4本のうち1本が焼失したものの、残り3本は奇跡的に助かった。
 翌1946年春には芽が咲いている。
 1973年、中国郵政局が新庁舎に建て替えることになったことを機に、被爆アオギリは現在の平和公園内に移植された。なお、移植当初は3本生存していたが、うち1本は1996年に枯れてしまった。また残った被爆アオギリも落書きの被害を受けたり、平成16年台風第18号で倒壊したりしているが、市により復旧保全されている。
 残る2本から取れる種やそこから育てた苗木「被爆アオギリ二世」は、広島市の平和活動の一環として日本国内のみならず世界中に配布され、植えられている。あわせて長崎市では、長崎原爆における代表的な被爆樹木である山王神社の「被爆クスノキ」二世も同様に配布されている。原爆投下命令を下したハリー・S・トルーマンアメリカ合衆国大統領が建てたトルーマン図書館(英語版)の庭には、彼の孫の手により被爆アオギリ二世が植えられている。


 …との事であります。
 が、GONsanの心の中では、原爆からの復興の象徴としましては、依然として「キョウチクトウ」であるかも分かりませんねぇ〜

 まぁそのような事はさて置きまして、ゴンchanと弓道場方向に進行です。
 そぅしますと、弓道場近くの陸上競技場出入り口付近からは次々に選手の皆様が出て来まして、またまた歩行は中断です(^-^)
 ここでもまた、暫し選手の皆様の応援、そして観戦となってしまいましたネ(^-^)//"

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゴンchanに従って芦田川土手の歩道に上がり川面方向に眼を向けましたら、薄日の下でカワウの皆さんがノンビリと日向ぼっこ中でありました(^.-)☆
 日頃見掛けましても、あまり可愛いぃとは思いませんけど、この日のカワウは何故か可愛いく見えてしまいましたネ(^_^)v

 今度は選手の皆様を上から見下ろす形で…
 ふ〜ん、今年の福山マラソンは3/19(日)に開催のようですネ…また、選手の皆様の応援に行かなくては(^-^)//"

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何処で折り返すのだろう?…と、ゴンchanと市営プール近くまで戻って来ましたら、うん、うん、ここで折り返しでしたか(^.-)☆
 丁度、市営プール前で(^-^)

 薄日が差して暑くもなく寒くもなく、絶好の駅伝日和のこの日でしたが、GONsanと同年代くらいの選手でしょうか…さすがに若者の皆様には付いて行けません。
 足取りが軽やかでありませんのは、致し方ありませんのかも…
 ですけど、こぅした大会に参加しておられますのが凄いかも(^_^)v

 

 

 折り返し地点で旗振りをしておられます方が、まだ選手がヤッて来ていますにも拘わらず赤いコーンを片付けようとしておられましたから、きっとこの選手が最終ランナーなのでしょうネ…
 少々お疲れ気味の最終ランナーさん。
 お疲れ様でございました(^-^)

 ゴンchanと散策しながらの観戦でありましたけど、それなりに楽しく拝見出来ました。
 今回が節目の丁度50回目の「福山駅伝競争大会」。結構、歴史があります大会ですネ。

 昔は、福山〜鞆間を結びます往復区間で、中学生から一般までの駅伝大会がありましたけど、交通事情で廃止。
 第50回と言いますと、多分、この福山〜鞆間往復駅伝が廃止されましての直後から、新たに「福山駅伝競争大会」として生まれ変わったのかも分かりませんねぇ〜
 か、どぅか、真偽のほどは分かりませんけど、今回が「第50回目」のようですから、逆算しますとつじつまは合いそうです。

 とにかく、「第50回福山駅伝競争大会」とは永い歴史を感じてしまいましたネ(^-^)//"

 

 

 ウォーキングロードをノンビリと歩いておりますと、市営プール横の土手に梅の花がありますけど、ピンク色の鮮やかさに眼が向いてしまいます(^.-)☆
 まだ蕾もありましたけど、仲々キレイ(^_^)v
 ゴンchanも、GONsanが立ち止まります事は充分理解しておりますようです。
 毎年の事ですから(^-^)

 いつの間にかGONsanより先行ですけど、梅の木に近付いて行きますと振り返りです(^.-)☆
 「オッサン、いつものようにここで休憩か?…」とでも言いたいのでしょうねぇ〜
 もう少し先に進みますと水道がありますから、本当は、ゴンchanはそのまま歩きたいのでしょうけどねぇ(^-^)/

 

 竹ヶ端運動公園での散策も、いよいよ終わり近くとなりました。
 水飲み場が近付きますと案の定、駆け足のゴンchan。
 つぃ先ほどまでGONsanより先行ですけど、ノラリクラリと歩いていましたにも拘わらず、よほど喉が渇いていましたのでしょうねぇ〜

 水道脇にちょこんと座り待機です。
 この水道の水、基本的には不味いのでしょうねぇ〜
 あまり飲みたがらないゴンchanですけど、この日ばかりは随分飲んでおりました(^-^)

 夏場ですと、味が気に入りませんのか…それとも臭いがしますのか…喉に乾きはあるのでしょうけど、舌でペロペロし怪訝顔。
 それとも生ぬるいからかも分かりませんねぇ〜とにかく、この日は随分と(^.-)☆

 

 

 

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