2017年 福山城あかりまつり <2/3>

 

 

 

 

 

 

 

 暫く幻想的な竹あかりの雰囲気に浸っておりましたら、突如、上空に、UFOらしき物体が出現ですから少々ビックリのGONsanです(^.-)☆
 次第に近付くにつれ、かすかなファンの回転音(羽音)でヤッとドローンと気付く始末(^-^)
 で、急いで周辺を見廻してみますと、うん、うん、おられましたネ(^_^)v

 多分、この「福山城あかつまつり」の主催者の方達なんでしょうけど、数名の方が集まって上空を見上げておられまして、その内のお一人がリモコンを操作。
 この「福山城あかつまつり」を上空から画像に納めておられましたのでしょうねぇ〜
 なら、GONsanはこのドローンを…動いていますからピントは合いませんけど、まぁなんとか1枚撮れました(^.-)☆

 画像に納めながら竹あかりを拝見しておりましたけど、遠くから眺めますより至近距離から拝見します方が実にキレイ。
 何とも言えない幻想的な美しさでありました。
 竹あかりを充分楽しみますと、次は天守閣方向へ。

 ここには、福山とんど実行委員会の協力を得まして、福山市内7学区の皆様の制作によります「とんど」が並んでおりました。
 歴史のあります福山の「とんど」ですけど、WEB上で検索しますと、こんな記載が…

 ◆福山の「とんど」について

 --- 「備陽史探訪:23号」より ---

 ・福山市のとんど祭りの歴史を探る

 福山の「とんど」は、もともと近郊の正月行事として広く行なわれていた「とんど」は(「さぎちょう」の異名)が、元和3年(1613)水野勝成の福山築城に伴って整備されたのに始まるとされている。
 以来明治4年(1871)の廃藩置縣までの藩政時代250年間、正月ごとに福山30町鞆6町の「とんど」36本がきらびやかに繰り出され、囃音頭とともに町内を巡行して、最後に、それが華やかにはやし焼かれたのを想像すると、たしかに城下町福山の正月の偉観であったにちがいない。

 その間、元禄11年(1698)水野家退散、元禄13年(1700)松平家入城、宝永7年(1710)阿部家入城等、為政者の変動にもかかわらず、連綿と引き継がれてきたのは、これが、もともと、民家を基盤とするものであったからであろう。

 福山の「とんど」の代表は、吉津の「とんど」であった。他町もこれを公認してきたのは、はじめて水野勝成公の観覧に供したとき、吉津の「とんど」鶴亀(つるかめ)を筆頭にして、上魚屋町の懸鯛(かけだい)、下魚屋町の伊勢海老(いせえび)、笠岡町の諫鼓鶏(かんこどり)の飾物が、とくに逸であるとほめられたのによるとされている。そのため、この四町の「とんど」の飾物だけは以後変えることがなかったというのは、民衆のものである「とんど」が、一方では為政者によって権威づけられていた事情を思わせるものがある。

 福山の「とんど」は、明治維新以後も小さく形を変えて続けられてきたが、昭和3年(1928)11月10日、現在の天皇の即位式のお祝いに繰り出したのを最後にして、その後、全町が揃って繰り出すことは無くなったようである。
 そして今日、戦災によって焦土となった後、工業都市として再建された福山では、市民会館の緞帳(どんちょう)に、その面影を残しており、福山駅頭に観光用に建てられたこともあり、ばら祭りなどに子供たちによって小さな山車(だし)の形で繰り出されたりしてはいるが、いつしか正月行事のすがたは消え、全福山の「とんど」の姿は見えなくなっている。


 …と、こんな記載がありました。

 GONsanが小学6年生頃までは、福山で随一の賑わいを誇ります「とんど祭り」が、盛大にJR福山駅前通りで開催されておりましたけど、いつしか交通事情により途絶えてしまいました。
 こんな経緯もありますから、「とんど」と耳にしますと、実に昔が懐かしく蘇ってしまいます。
 そして、こぅして「とんど」を眼にしておりますと、小学生時代が懐かしく想い出されてしまいます(^-^)//"

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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