2016年 蒜山・鳥取日帰り旅行(^.-)☆ <4/5>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とっとり花回廊にお別れ致しますと、次の訪問地は「お菓子の壽城」でありました(^.-)☆
 「お菓子の壽城」をWEB上に検索致しますと、こんな記載がありました(^_^)v

 ★お菓子の壽城

 米子自動車道・米子ICから車で1分。目の前に飛び込む大きなお城の風景。これは天守閣から東に秀峰大山、北に日本海を一望する米子城をモデルにした「お菓子の壽城」。
 城内では、全国菓子コンクールで金賞にも輝いた壽城オリジナルの「とち餅」をはじめ、山陰の銘菓、特産品が勢揃い。
 実演コーナーもあり、できたてのおいしさをその場でいただくことも可能です。

 また「菓子工房」では、でき上がりまでの全工程をガラス越しに見学。ミュージアム性に富んだ施設内容も好評で、2階には、「喫茶福ふく」も営業。お茶と銘菓の組み合わせで、のんびり午後のティータイムを楽しむこともできます。
 大型観光バスが相次いで乗り入れるなど、今やツアーのお決まりポイントとしてすっかり定着。 そんな「お菓子の城」には、甘〜い誘惑が盛りだくさんに詰まっています。


 …と、こんな記載でありました(^.-)☆

 駐車場に到着しますまでに、随分遠くからこのお城が眼に入ります。
 駐車場には何台かの観光バスが(^.-)☆
 うん、うん、確かに色んなツアーの定番ポイントとなっていますようですねぇ〜

 中に入りますと山陰の銘菓、特産品が勢揃い。
 お城の石垣脇の表示板には『栃の木』の説明が(^-^)

 ★栃の木

 ・特徴

 落葉性の高木で、温帯の落葉広葉樹林の重要な構成種の一つ。水気を好み、適度に湿気のある肥沃な土壌で育つ。谷間では、より低い標高から出現することもある。サワグルミなどとともに姿を見せることが多い。
 大木に成長し、樹高25m、直径1mを越えるものが少なくない。葉も非常に大きく、全体の長さは50cmにもなる。長い葉柄の先に倒卵形の小葉5〜7枚を掌状につけ(掌状複葉)、葉は枝先に集まって着く。
 5月から6月に、葉の間から穂状の花が現れる。穂は高く立ち上がり、個々の花と花びらはさほど大きくないが、雄しべが伸び、全体としてはにぎやかで目立つ姿である。花は白?薄い紅色。
 初秋に至り、実がみのる。ツバキの実に似た果実は、熟すにつれて厚い果皮が割れ、少数の種子を落とす。種子は大きさ、艶、形ともにクリに似ているが、色は濃く、球状をしている。一般的に「栃の実」と呼ばれて食用にされるのは、この種子である。

 日本では東日本を中心に分布し、特に東北地方に顕著に見られる。

 ・人間との関わり

 木材として利用される。木質は芯が黄金がかった黄色で、周辺は白色調。綺麗な杢目がでることが多い。また真っ直ぐ伸びる木ではないので変化に富んだ木材となりやすい。比較的乾燥しにくい木材で、乾燥が進むと割れやすいのが欠点である。
 巨木になり、大材が得られるのでかつては臼や木鉢の材料にされたが、昭和中期以降は一枚板のテーブルに使用されることが多い。乱伐が原因で産出量が減り、21世紀頃にはウォールナットなどと同じ銘木級の高価な木材となっている。

 種子はデンプンやタンパク質を多く含み、「栃の実」として渋抜きして食用になる。食用の歴史は古く、縄文時代の遺跡からも出土している。渋抜きはコナラやミズナラなどの果実(ドングリ)よりも手間がかかり、長期間流水に浸す、大量の灰汁で煮るなど高度な技術が必要だが、かつては耕地に恵まれない山村ではヒエやドングリと共に主食の一角を成し、常食しない地域でも飢饉の際の食料(救荒作物)として重宝され、天井裏に備蓄しておく民家もあった。

 積雪量が多く、稲作が難しい中部地方の山岳地帯では、盛んにトチの実の採取、保存が行われていた。そのために森林の伐採の時にもトチノキは保護され、私有の山林であってもトチノキの勝手な伐採を禁じていた藩もある。また、各地に残る「栃谷」や「栃ノ谷」などの地名も、食用植物として重視されていたことの証拠と言えよう。山村の食糧事情が好転した現在では、食料としての役目を終えたトチノキは伐採され木材とされる一方で、渋抜きしたトチの実をもち米と共に搗いた栃餅(とちもち)が現在でも郷土食として受け継がれ、土産物にもなっている。


 …との事のようですネ(^.-)☆
 城内では、全国菓子コンクールで金賞にも輝いた壽城オリジナルの「とち餅」が、勿論、ありましたねぇ(^-^)//"

 

 

 

 

 

 

 

 

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