2016年 12/11(日)は、久し振りに松山行きとなりました(^.-)☆ <4/14> |
◆石手寺 三重塔
石手寺は四国八十八箇所51番礼所であり、寺伝によれば728年に勅宣により大領・越智玉澄が伽藍を創建したという。
特にその二王門は鎌倉期の傑作とも言われ国宝に指定されているほか、三重塔をはじめ、数多くの重要文化財を有する。
(仏塔訪問日記)
http://shirokokuho.shakunage.net/ishiteji.html
この日は都合上、どうしても日帰りで決行しなければならなかったのだが、せっかく、大阪から高い高速代を払って松山市までやって来て、石手寺参拝だけで帰るのは、あまりにも勿体無い。そこで、観光コースに道後温泉本館と、松山城も加えて日帰り松山観光はなかなか充実したものになった。
日帰り旅行のメインである三重塔に関しては、鎌倉時代後期建造と、古い仏塔が多くない四国においてはずば抜けて古い歴史を持つ。
和様で均整の取れたその塔は、派手さは無いが、鎌倉期の仏塔の特徴をよく示しており、重要文化財でありながら、国宝クラスの名塔といえるだろう。
ただし石手寺は、四国有数の名刹であると同時に、日本有数のB級スポットとしての裏の顔も併せ持つ。
詳しくは『石手寺奥の院』で。
あやしい建造物や像の数々の前では、貴重で古い歴史を持つ三重塔のほうが、逆に場違いに見えてしまった。
四国有数の古刹である石手寺は、一体いつからこういう方向性に走ってしまったのか、なかなか興味の尽きぬところである。
-- 初回訪問&撮影日 2011年03月28日 --
石手寺・三重塔をWEB上で検索致しますと、↑↑こんな記載がありました(^.-)☆
指差された「愛媛パコダ」の案内表示に従って進んで来たのですけど、「鎮魂」と書かれた建物に到着です。
その建物の前には、何語か分かりません横文字で綴られました表示板(^-^;この建物が「愛媛パコダ」とでも記してありますのでしょうか…
建物内部を覗きますと、洋風の建物にも拘わらず内部は純和風(^-^)
一人の男性がお祈りと言うか読経中でありました(^-^)
中には入りませんでしたけど、入りましたら良かったのかも…
WEB上で「愛媛パゴダ」を検索してみますのですけど「愛媛パゴダ」を詳細に説明したモノは何にもありませんでしたネ(^-^;
ただ、こんなページはありました(^.-)☆
◆愛媛パゴダ
さて、指さす「愛媛パゴダ」へ進んでいると…ドーンっ!!!!! どうやらここが愛媛パゴダのようです(^-^)
洋風??…教会???…と、ここはお遍路・石手寺、そんなわけありません。入口もなんだか洋風な感じですよね。
壁もレンガでできているみたいですし…なんなんだろう…中に入れるみたいなので、入ってみましょう。
おぉおおおwwwww中は外見とは違い和風wwwwwww
調べてみると…パゴダ(pagoda) とは仏塔(ストゥーパ)を意味する英語だそうです。日本ではもっぱら、ミャンマー様式の仏塔のことを意味するみたいです。
どんな物があるのか見てみると、1941年〜1945年の4年の間続いたビルマの戦い(今のミャンマー)での
戦没者の慰霊品などがありました…ビルマの戦いで多くの方が亡くなられたそうです。
…と、こんな記載。
ミャンマーで言う仏塔と言えばそぅなんでしょうし、慰霊館みたいなもんなのでしょうねぇ(^-^)//"
「愛媛パコダ」を通り過ぎ先に進んで行きますと、何となく妙なエリアでありました(^.-)☆
この像は何を?
チョッと不思議な空間でありました(^-^)//"
境内をジックリ観て廻りますと随分時間を要しそうですから、今から少し早足で廻ってみる事に致します(^.-)☆
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