2016年 春〜夏の話題・景観(^.-)☆ <4/8> |
写真展をご覧になっておられる方は、どなたもおられないのでは…と思っておりましたら、いゃいゃ先客が5名ばかり(^.-)☆
ご年配の方々が5名ばかり熱心に作品に眼を向けておられました。
ひょつとしたら、この写真倶楽部の会員の方達でしたのかも…
展示作品の方は、会員の方の力作ばかりですから、それなりに楽しめました(^_^)v
皆さんカメラがお好きな方々ばかりなのでしょうねぇ〜
高級カメラを2〜3個首からぶら下げ、色んな所に出掛けておられます様子が眼に浮かんで来るようです。
このGWも色んな所に出掛けておられますのでしょうねぇ(^-^)//"
休憩を終え7Fに戻って来ますと、皆さんどちらに出掛けておられますのでしょうねぇ〜セミナールームにおられますのは数名の方々のみ。
6F以下に降りておられますのかも…
とは言いましても、まだ5分ばかり休憩時間は残っておりますから(^-^)
セミナーを終えますと、暫し屋上の駐車場から福山城方向を眺望です。
それなりに新緑がキレイ(^_^)v
すぐ眼の前にはビジネスホテル・東横インの建物が…
ふ〜ん、いつの間に福山に進出しましたのでしょう?
もぅ10数年前になりますけど、GONsanも家に居ますのは土・日曜のみで、後は大概、日本全国を出張の旅でしたが、その際によく利用しておりましたビジネスホテルの一つが東横インでありました。
そんな経緯もありますだけに、この看板を眼にしますとチョッと懐かしさも…
いつの間にか東横インが福山に進出ですねぇ〜
とにかく、今度、機会に恵まれましたら、RiM-f(リム・ふくやま)の1〜6Fも散策してみたいですネ。
そぅそぅ、これも後で知りましたけど、RiM-f(リム・ふくやま)の建物内は写真撮影は禁じられておりました(^-^;
確か、ホームページにそのような記載がありましたような(^-^)//"
■おっ、また建物新築の基礎工事が我が家近隣で…
--- 2016/05/08 ---
これは、4/16(土)でしたか…また我が家近隣で建物新築の基礎工事が始まろうとしておりました(^.-)☆
で、急いでカメラを持ち出し2枚ばかりパチリ。
ついでに周辺の景観も一枚(^-^)
この基礎工事現場の後方のお宅は、いよいよ竣工も間近のようですねぇ〜
いつでしたか…夜になりましても灯りがついて室内工事が進んでおりましたが…
年々農地が住宅に変わって行きまして、次第に窮屈さも感じてきましたGONsan。
以前のように、ユッタリとノンビリとした暮らしは望めなくなりつつありますネ。
まぁ仕方ありませんけど、農地が少なくなって行きますのには、やっぱり寂しさを感じてしまいます。
高齢化が進み、農地の維持も難しくなって行きつつあるようです。
我が家も決して他人事でもありませんで、農地として維持して行きたいとは思うのですけど、息子の代となりますと、さて、どうなんでしょうねぇ〜
■4/16(土)は、義母の七回忌法要で福井県若狭町行きとなりました(^.-)☆
--- 2016/05/10 ---
嫁さんの母の七回忌法要で、4/16(土)は福井県若狭町行きとなりました(^.-)☆
GONsanが初めてこの地を訪れましたのは、もぅ40数年も昔の事となってしまいましたけど、当時と比べますと随分道路事情もよくなりまして、ノンストップで走行しますと3時間半〜4時間で到着です。
自動車道も整備され本当に便利になりましたねぇ〜
ですが、その分、GONsanも歳を重ねて来ましたから、車の走行は楽になりましても身体の方は、それなりに疲れます(^.-)☆
車の走行は楽…
身体は疲れる…
相殺しますと、う〜ん、気持ち的には、結局、昔とあまり変わりませんかも(^-^)
嫁さんと交替しながらの走行ですけど、「随分楽になった…」と嫁さんは言っておりますが…
そぅかも分かりませんけど、ここ近年は自動車道での事故も多発ですから、そんな面にも気を遣いますから、GONsanには疲労度は変わりませんような…
まぁイィのですけどネ(^.-)☆
若狭町には嫁さんの弟夫婦が暮らしておりまして、大阪から姉夫婦、そして広島から私たち夫婦がヤッて来ますと、兄弟3人が勢揃いとなりますねぇ〜
姉ご夫婦とは、この「道の駅・若狭熊川宿」で合流し食事でも一緒に…との事で、道の駅・若狭熊川宿に到着しますと姉ご夫婦の姿はありません。
私たちの方が速く到着したのだろぅ…と、暫し周辺を散策のGONsan。
すると眼に入りましたのが、『鯖街道ミュージアム』(^_^)v
入館無料ですから、これ幸いにと早速入館し、館内を撮りまくりとなりました(^.-)☆
とは言いましても、無料ですから、大して観るモノは無いのですけどネ…
◆鯖街道
鯖街道(さばかいどう)は、若狭国などの小浜藩領内(おおむね現在の嶺南に該当)と京都を結ぶ街道の総称である。主に魚介類を京都へ運搬するための物流ルートであったが、その中でも特に鯖が多かったことから、近年になって鯖街道と呼ばれるようになった。
・概要
狭義では現在の小浜市から若狭町三宅を経由して京都市左京区に至る「若狭街道」を指し、おおむね国道27号や国道367号に相当する。ただし、往時の若狭街道は現在の国道367号ではなく大見尾根を経由する山道であったほか、それぞれの国道ではバイパス道路が建設されているため旧道(指定解除)となっている区間もあるため必ずしも一致しない。広義では現在の嶺南から京都を結んだ街道全てを鯖街道と呼ぶ。
鉄道や自動車が普及する以前の時代には、若狭湾で取れたサバは徒歩で京都に運ばれた。生サバを塩でしめて京都まで運ぶとちょうど良い塩加減になり、京都の庶民を中心に重宝されたといわれている。夏期は運び手が多く、冬期は寒冷な峠を越えることから運び手は少なかったといわれる。しかし、冬に針畑峠を越えて運ばれた鯖は寒さと塩で身をひきしめられて、特に美味であったとされている。運び人の中には冬の峠越えのさなかに命を落とす者もいた。
鯖街道によって、サバだけでなく多くの種類の海産物なども運ばれた。平城宮の跡や、奈良県明日香村の都の跡で発掘された木簡からは、若狭からタイの寿司など10種類ほどの海産物が運ばれたと推定され、鯖街道の起源は1200年以上、あるいは約1300年前と考えられている。また、現在の橿原市にある藤原宮跡から出土した木簡には塩の荷札が多数見つかり、鯖街道を利用して塩も多く運ばれたとみられている。
現代においても、小浜や国道367号沿線などには鯖寿司の製造を生業とした店が多数存在する。
2015年(平成27年)4月24日、文化庁は日本遺産の最初の18件の一つとして「海と都をつなぐ若狭の往来文化遺産群〜御食国若狭と鯖街道〜」を選んだと発表した。
・地域活性化における利用
鯖街道を地域活性化に利用するための取り組みとして、小浜・若狭・高島の3市町による「鯖街道交流促進会議」が2005年度に発足したが、2012年度には「鯖街道まちづくり連携協議会」として組織形態を発展させ、観光や名産品の売り込みなどが広域的に取り組まれている。一方、終点の出町柳付近にある出町商店街では京都府の補助事業(地域商業チャレンジ支援事業)「鯖街道情報発信事業」における地域活性化のモチーフとして鯖街道が用いられたほか、この事業などにおいて街道沿線との交流の試みもなされている。
また、小浜市から京都市(左京区出町柳)までを往時のルートで走り通す「鯖街道ウルトラマラソン大会」が毎年開催されているが、ルートの大半が未舗装路であることや高低差が大きいことから、別名「ウルトラ山岳マラソン鯖街道マラニック(マラソン+ピクニック)」とも呼ばれる。
熊川宿は2007年(平成19年)12月、近畿では8番目の日本風景街道「若狭熊川・鯖街道」として登録された。
…と、こんな鯖街道。
鯖街道ミュージアム裏の「鯖街道」に立ち一服しておりますと、遠い昔に色んな方々が、この「鯖街道」を歩いて京都に向かったのだろぅなぁ〜と少々感慨深い気持ちも湧いてしまいます。
過去に何度もこの「鯖街道」を画像に納めていますGONsanなんですけど、何度眼にしましても遠い昔に想いが向かいます。
こんなGONsanでありますが、嫁さんの方は何の感慨も湧いては来ませんのかも…
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