2015年 某協会福山支部の皆様と「山陰研修旅行」行きでした(^.-)☆ <6/13>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 来待ストーンミュージアムを後にしますと、この日の最後の訪問地「いずもまがたまの里伝承館」行きとなりました(^.-)☆

 ◆いずもまがたまの里 伝承館

 いずもまがたまの里 伝承館(いずもまがたまのさと でんしょうかん)は、島根県松江市玉湯町にある勾玉やめのう等の製作・販売する会社である。

 ・概要

 出雲の地は、神話や古代遺跡が数多く残されていた。玉造は古代より、勾玉や玉類の国内有数の生産地だった。その伝統ある「出雲型勾玉」の製作技術を継承するために、勾玉の歴史がわかるミュージアムを、勾玉を製作する細工職人の技術の継承を行うために、間近で「見て」「触れて」「体験できる」施設が建設された。
 「古事記」には、玉造の勾玉が天照大神に献上され、皇位継承の印である三種の神器の一つ「八尺瓊勾玉」になったと記されている。

 ・出雲めのう

 1500万年前、花仙山から噴出した溶岩が冷え固まり安山岩となり、地下の熱水の温泉成分が化学反応を起こし「めのう」ができた。特に青緑色の碧玉が、良質、豊富で「出雲石」と呼ばれた。
 古代、玉は装飾品ではなく、お守りや厄除の意味があり、青は自然や生命を表す色とされ、出雲製の玉は尊いものとされた。
 玉造りは、平安中期に途絶えたが、江戸時代末期、同じ「めのう」産地の若狭国(現福井県小浜市)で学んだ職人が加工技術を持帰り、櫛や簪(かんざし)などの装飾品を作り復活させた。
 明治・大正期には、出雲地方の主要産業となったが、昭和初期には過当競争から廃業が相次ぎ、現在、技術を継承するは僅か一軒である。しかし、近年のパワースポットブームで、玉作りの文化は脚光を浴びている。3年前、50年ぶりに花仙山で「めのう」原石の採掘が行われた。

 ・施設情報

 勾玉ミュージアム -- 独立行政法人奈良文化財研究所大賀克彦の監修により、勾玉の歴史資料、天然石が展示されている。日本一の「出雲型勾玉(青めのう、重量75.45kg)」が展示されている。
 勾玉製作工房 -- 細工職人による出雲勾玉の製作を目の前で見る事ができる。
 勾玉づくり体験工房 -- 専属のスタッフの指導により、天然石を使って各種アクセサリーを作ることができる。
 宝探し体験館 -- 水槽の中の砂利の中から、宝石を探し出し持ち帰ることができる。

 ・宝石

 宝石(ほうせき)とは、希少性が高く美しい外観を有する固形物のこと。一般的に外観が美しく、アクセサリーなどに使用される鉱物を言う。
 主に天然鉱物としての無機物結晶を指すが、ラピスラズリ、ガーネットのような数種の無機物の固溶体、オパール、黒曜石、モルダバイトといった非晶質、サンゴや真珠のように生物に起源するもの、コハクのように有機物であるもの、キュービックジルコニアを代表とする安定化剤という名の添加物を混合した人工合成物質など様々である。
 古の中華文明圏では、このような石を『玉(ぎょく)』と呼んだが、非透明、あるいは半透明のものだけが珍重され、その中でも翡翠が代表的だった。透明なものは『玉』として扱われず、石の扱いであった。例えばダイヤモンドを表す漢語は「金剛石」であり、玉ではない。一方で西欧を含む非中華文明圏では、ダイヤモンドに代表される透明な鉱物が宝石として特に珍重された。

 ・条件

 宝石としての必須条件は何よりその外観が美しいこと、次に希にしか産しないこと(希少性)であるが、第三の重要な条件として、耐久性、とりわけ硬度が高いことが挙げられる。これは、硬度が低い鉱物の場合、時とともに砂埃(環境に遍在する石英など)による摩擦風化・劣化のために表面が傷ついたりファセットの稜が丸みを帯びたりして、観賞価値が失われてしまうためである。例としてダイヤモンドはモース硬度10、ルビー・サファイアはモース硬度9である。石英のモース硬度は7であり、これらの宝石の硬度は石英のそれより高いことに注意されたい。例外的に硬度が7以下であってもオパール、真珠、サンゴなどはその美しさと希少性から宝石として扱われる。

 硬度以外の耐久性の条件としては、衝撃により破壊されないこと(じん性)、ある程度の耐火耐熱性があること、酸、アルカリといった化学薬品に侵されないこと、経年変化により変色、退色しないことなどが挙げられる。その他、大きさ、色彩、透明度などの鑑賞的価値、知名度などの財産的価値といった所有の欲求を満たす性質が重要である。
 ただし、宝石と云う扱いを受けても、知名度があまり高くない石は、収集家やマニア向けの珍品逸品、いわゆるコレクターズアイテムの位置に留まり、見た目の美しさと希少性だけが取り上げられ、その他の条件についてはかなり緩くなっている場合が多い。この手の石にはモース硬度2〜5などといった傷つき易い石、空気中の湿気を吸い取ったり、酸化が進んで変質する石、紫外線を吸収して自然と退色する石、1カラットに満たない小さなそれしか取れない石、はてはお湯をかけるだけで溶けてしまう石などがあり、当然取り扱いには注意を要する。

 知名度が高い石であっても取り扱いに注意を要する石もある。例を挙げるとオパールやトルコ石は石内部に水を含んでいるため乾燥により割れたり、オパールの場合その一大特徴である遊色効果が消失することもある。サンゴや真珠は酸には極端に弱く、レモン汁や食酢が付着しただけで変色する。コハクは高温に弱くすぐ溶ける。エメラルドは内部に無数の傷を抱えているので、とりわけ衝撃には弱くたいへん割れ易い


 …と、こんな「いずもまがたまの里 伝承館」でありました。

 館内では、勾玉ミュージアム・勾玉製作工房・勾玉づくり体験工房・宝探し体験館…等の施設がありましたけど、GONsan達はそのうちの『宝探し体験館』を楽しむ事とむなりました。
 水槽の砂利の中から、「宝石」を探し出し持ち帰ることができるのですけど、結構探し当てましたネ(^.-)☆
 GONsanも12個ばかり持ち帰りとなりました。多い人で23個探した…と言っておられましたが(^_^)v
 但し挿入の画像のように大きいモノではありませんで、もぅ一回り小さいモノを(^-^)

 水槽の中には小さくて加工不能で商品価値の低いモノを入れておられましたのでしょうねぇ〜それでも皆さん、結構楽しんで水槽内の砂利を掘り返しておられましたねぇ(^-^)
 孫達への良いお土産にはなりました(^-^)//"

 

 

 

 

    

 いずもまがたまの里 伝承館での宝探し体験を終えますと、この日の宿であります「玉造グランドホテル 長生閣」へと向かう事となりました(^.-)☆
 ホテルの観光パンフによりますと、

 ◆玉造グランドホテル 長生閣

 出雲・玉造温泉/政府登録国際観光旅館(登録第235号)
 〒699-0201 島根県松江市玉湯町玉造331
 TEL 0852-62-0711 FAX0852-62-0772

 松江藩の温泉管理役職「湯之介」の末裔。
 玉造温泉は、三名泉(枕草子)とされ、規模、歴史ともに県下随一、城崎温泉や皆生温泉や三朝温泉らと共に山陰を代表する温泉地です。奈良時代開湯といわれる古湯で、少彦名命が発見したと伝えられ、出雲国風土記抄にも記載があり、神の湯として知られています。また江戸時代には松江藩藩主の静養の地となっており、湯之介と呼ばれる温泉を管理する役職も設けられておりました。
 当館は、その湯之介の末裔…。「お湯ひとすじに生きよ」の家訓の元、守り続けて来たお湯をご堪能下さい。

 ・光輝く宿であり続けたい

 神話にみる三種の神器「玉・鏡・剣」。古来日本人はその輝く姿を豊かなものの象徴として敬愛し、ここ出雲の地にも語り伝えられてきました。さらにこの地には、神湯と呼ばれる玉造の湯や風光明媚な自然の風景が今も大切に受け継がれています。
 神代の光を今に伝え―。その輝きに、より一層の磨きをかけて神器のごとく光輝く宿であり続けたいと願っております。

 玉造温泉の歴史は古く、奈良時代(713年)に編さんされた『出雲国風土記』に記されています。
 『出雲国風土記』の中で“一度温泉を浴びればたちまち姿麗しくなり、再び浴びればどんな病気もすべてなおる。昔から今にいたるまでききめがないということがない。土地の人は神の湯と言っている”と記されており美人の湯として有名です。
 『出雲国風土記』以外でも平安時代に書かれた清少納言の『枕草子』には“湯はななくりの湯、有馬の湯、たまつくりの湯”と記述もあり、玉造温泉が遠く京の都にまで聞こえていたことがわかります。

 時代は変わり江戸時代になると玉造温泉は湯治場としても有名になりました。
 その当時、玉造温泉を管理していた役職は『湯之助』と呼び代々長谷川家の世襲でありました。
 実はこの『湯之助』の末裔…長生閣・長楽園・保性館が本家とされています。


 …との、こんな記載でありました。

    

    

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