友人から貰った画像の数々です(^.-)☆ <1/3>

 

 ■2013年01月19日
 
おっ、女子プロゴルファーの「古閑美保」sanですねぇ(^.-)☆

 
おっ、女子プロゴルファーの「古閑美保」sanですねぇ(^.-)☆
 これは、昨年末に友人が届けてくれました画像なんですけど、ゴルフショップ・ダイナマイトで昨年の12月15日に開催されましたトークショーの一コマのようですネ(^_^)v
 
 ◆古閑 美保
 
 古閑 美保(こが みほ、1982年7月30日- )は、日本の女子プロゴルファー。熊本県熊本市東区出身。2007年4月より東京都在住。身長167cm。体重60kg。血液型B型。所属はフリー。ビジュアル系ゴルファーの元祖とされ、2008年には賞金女王の座に就いた。古閑のキャディーも務めた、4歳年下の妹が1人いる。
 
 ◆経歴
 
 3歳より父の指導により野球を始め、熊本市立託麻東小学校3年次より野球部に在籍。5年次よりエースで4番を任される。当時の将来の夢は甲子園に出場しプロ野球選手になることだったが、親戚一同に将来のためゴルフに転向することを薦められ、家族を喜ばせるためにも、小学5年次(10歳)よりゴルフに転向することを決意、坂田信弘が主催する坂田ジュニアゴルフ塾に1期生として入塾する。当初は野球部の活動と両立していた。
 
 熊本市立二岡中学校在学時にジャパンカップ、世界ジュニアゴルフ選手権、日本ジュニアゴルフ選手権競技で優勝するなどの成績を修める。東海大学付属第二高等学校時代に現日本女子プロゴルフ協会会長の樋口久子に師事、全国高等学校ゴルフ選手権大会連覇などの成績を修める。2001年1月より元・日本女子プロゴルフ協会会長の清元登子に師事し、同年9月にプロテスト一発合格(73期生)。翌月10月に行われた日本女子オープンゴルフ選手権競技で国内プロ初出場を果たす。
 
 初優勝は2003年ヨネックスレディスゴルフトーナメントで、同年にLPGA新人賞と日本プロスポーツ新人賞を獲得している。
 2004年3月にクラフト・ナビスコ選手権で日本国外メジャー初出場。
 2006年は33試合で優勝2回、2位4回、その他10位以内が6回、賞金ランキング6位、獲得賞金約8,632万円。
 2007年11月25日、リコー杯女子ゴルフ最終日において、5バーディー・ノーボギーの67、通算13アンダーの275を記録し、初日から最終日スタートまで首位を保っていた不動裕理を逆転し、公式戦初優勝を果たした。
 2007年の賞金ランキングは4位、賞金総額は約9,429万円。
 2008年、賞金総額1億2,085万4,137円で初の賞金女王に輝いた。
 
 左手首の故障を理由に、2011年シーズン限りでトーナメントプロを引退した。ただしトーナメント以外のプロゴルファーとしての活動(解説者、ジュニアレッスン、トークショー等)は引き続き行うとしている。
 
 …と、こんな古閑 美保san。
 
 ふ〜ん、昨年末に福山に来られましたのですねぇ(^-^)//"

  

  

  

  

  

 

  

  

   

 

友人から貰った画像「2012/12/01みろくの里」A

 

 

 

 

   

   

 

 

 ■2013年01月21日
 
友人から貰った画像「2012/12/24広島県小学生ゴルファー育成レッスン会」@

 
んっ?!…これは、なんと上野忠美プロとのツーショットじゃぁないですか(^_^)v
 久し振りに上野プロのお顔を拝見ですよ(^.-)☆
 
 ■上野忠美
 
 --- 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---
 
 Tadami Ueno
 基本情報
 出生国 日本
 生年月日 1948年12月9日(64歳)
 出身地 広島県
 身長 177cm
 体重 80kg
 血液型 A型
 利き手 右
 経歴 崇徳高等学校
 プロ転向 1973年
 成績
 優勝回数 9回
 中四国オープン優勝
 JCBクラシック仙台優勝
 
 日本プロシニア優勝など
 初優勝 1975年中四国オープン優勝
 
 上野忠美(うえの ただみ、1948年12月9日- )は、広島県出身のプロゴルファーである。ミズノ所属。
 
 ◆略歴
 
 崇徳高等学校卒業。15歳の時からゴルフを始める。1973年4月7日にプロ転向、中四国オープン優勝、以来今大会は3連覇を果たすなどレギュラーツアー7勝を挙げ、プロ転向5年目にして初のシード入りを果たす。
 その後2年間シードを保持したが、あるトーナメントの練習ラウンド中に、ちょっとしたイタズラが原因で調子を落とし、4年間シード落ちを経験。
 1983年に再びシード入りを果たすが、翌年から2年間は再びシード落ちとなる。
 この時期の本人談では、「正直いってツアーをやめようと思った」と語っている。1986年に三度目のシード入りを果たし、1991年のJCBクラシック仙台の優勝以降、極度のスランプに陥り、一時はトーナメントをあきらめていたが、シニアとなって再挑戦する。その後、常にシニアツアー賞金ランクの上位をキープしている。
 1999年、シニアのデビュー戦となった日本プロゴルフシニア選手権大会で優勝し、初出場初優勝をシニアのメジャーで飾った。以後安定した成績でシードを守っている。
 
 ◆プロフィール
 
 上野 忠美 TADAMI UENO
 
 息の長いプロである。今年はもう44歳。プロ入りしてからでも21年目だ。
 ただ上野の場合77年に中四国オープンなどの優勝で5年目でシード入り、2年間保持したが、あるトーナメントの練習ラウンド中に、ちょっとしたいたずらをされたことでスイングがスムーズに出来なくなり4年間もシード落ち。
 83年に1度復活を果たしたが84、85年とまたシード落ち。『正直いってツアーをやめようと思った』という。しかし86年三たびランク40位で返り咲いてからは、ベテランらしい落ち着いたプレーぶり。ちょっとのミスには動じない余裕を併せ持つようになり、以後の7シーズンもシードを守っている。
 若い頃はトップクラスのロングヒッターだったが、昨今はストロークコントロールに主眼を置いたゴルフ。
 数年前までは『パーオン率ならトップになったこともあるし(89年)、いまだって自信はある。しかし、グリーン上ではパッティングでは常にシード選手では最下位』と変な自慢をしていたものである。それほどパットには自信がなかったようだ。
 ところが92年ツアーでは、パーオンホールのパット数は1.805で20位、ラウンドの平均パット数も29.66(37位タイ)である。これでショートゲームのコントロールがよくなったら、91年のJCB仙台のように僅差の競り合いにも勝ち抜くシーンが見られるに違いない。<1993>
 
 …と、WEB上ではチョッと古いのですけど、こんな記載がありました(^.-)☆
 
 友人のお嬢さん、上野忠美プロとツーショットとは羨ましいですよ。
 これを機会に、友人の娘さんも将来の女子プロを目指しまして大飛躍して頂けましたら嬉しいですねぇ(^-^)//"

 

 

 

 

 

 

  

   

 

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