福山市草戸町「明王院」 <1/2>

 ■2013年12月07日
 
福山市草戸町「明王院」の紅葉

 
先月中旬の日曜日でしたか…そろそろ紅葉も見頃なのでは…と思いながらも、何処にも出掛ける事はありませんでしたGONsan。
 早く出掛けませんと紅葉の季節も過ぎ去ってしまうかも…
 こんな気持ちもありまして、夕方近くになりましてから近場の明王院に出掛ける事となりました。
 
 一応、嫁さんにも声を掛けたのですけど、「忙しいから…」と素っ気ない返事。
 それをイィ事にサッサと明王院行きとなりました(^.-)☆
 
 夕方近くですから、訪れておられます方はいないかも…と思っていたのですけど、やはり何人かは訪れておられるものですネ(^.-)☆
 
 ■明王院
 
 明王院(みょうおういん)は広島県福山市草戸町にある真言宗大覚寺派の仏教寺院である。芦田川に面した愛宕山の麓にあり草戸稲荷神社が隣接している。かつては常福寺と言われており、中世には草戸千軒町が、門前町として栄えていたところとして有名である。本堂と五重塔は国宝に指定されている。中国三十三観音霊場第八番札所、山陽花の寺二十四か寺第十八番札所。
 
 ◆沿革

 
寺伝によると、明王院の前身である「常福寺」は807年(大同2年)に空海(弘法大師)によって創建されたという。この由来の根拠は江戸時代に作成された棟札によるものであるが、ほぼ同時期に作成された棟札がもう1枚あり、こちらには大同年中に「初住持沙門」と呼ばれる僧侶によって創建されと記されている。当寺の本尊十一面観音像は平安時代前期にさかのぼる作品であり、寺の草創もその頃にさかのぼるものと推定される。中世には門前に草戸千軒町(川底に埋もれた中世遺跡として著名)が栄えた。江戸時代には福山藩主となった水野家・阿部家の庇護の下で繁栄した。
 
 ●文化財 国宝
 
 ・明王院本堂
 
 鎌倉時代1321年(元応3年)に建立された仏堂。和様建築に鎌倉時代以降の新様式である大仏様(だいぶつよう)、禅宗様を加味した折衷様建築の代表例とされている。内部の外陣に見られる輪垂木(わだるき)を用いたアーチ型の天井は、近世の黄檗宗寺院の建築にしばしば見られるものだが、中世には珍しい。
 
 ・明王院五重塔
 
 南北朝時代の1348年(貞和4年)に建立された純和様の五重塔。初層内部の四天柱(仏塔の初層内部に立つ4本の柱をさす)、板壁などには極彩色の仏画や文様が描かれている。相輪の刻銘には、この塔が当時の繁栄した草戸千軒の経済力を背景に、ささやかな民衆の浄財を募って建立されたことが明記されている。
 
 ○重要文化財(国指定)
 
 ・木造十一面観世音菩薩立像(本尊)
 
 平安時代前期の作で像高148.5cm。頭上面は髻(もとどり)の頂に阿弥陀仏一面、地髪上前面に菩薩面三・左側面に忿怒面三・右側面に牙をむく忿怒面三・背面に大笑面一の計十一面を頂く。作られた当時は彩色されていたようであるが、現在では褪色している。
 
 …と、こんな明王院なのであります。
 
 ※ 日本全国に五重塔は数多く存在するようですけど、国宝の五重塔は9基あるのみなんです。
 
 法隆寺(608年)・室生寺(780年)・醍醐寺(952年)・海住山寺(1214年)・明王院(1348年)・羽黒山(1372年)・興福寺(1426年)・瑠璃光寺(1442年)・教王護国寺(1644年)の9基なのですけど、明王院の五重塔は、この9基の内でも古い方から5番目なんです(^_^)v
 
 こんなに歴史のあります貴重な明王院五重塔ではありますが、GONsan達が幼い頃には、この五重塔の廻りを走って遊んでいたのですけどねぇ〜
 今から思いますと、罰当たりのガキどもの一員でしたのですけどねぇ〜
 
 まぁともかく、明王院の紅葉を画像でご案内させて頂く事に致します(^-^)//"

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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