2013/11/23(土) 福山市熊野町「常國寺」 <1/2>

 ■2013年12月17日
 
11/23(土)午後は、常國寺を散策でした(^.-)☆

 
午前中の町内グランドゴルフ大会を終え我が家に帰り、とりあえず昼食。
 昼食後、暫くユックリ過ごしておりまして、急に常國寺の紅葉を観て来ようか…と思い立ち、サッサと出掛けましたGONsanです(^-^)
 
 ですが、今年は出掛けましたのが少し遅すぎたのかも分かりません。
 何となく見頃は過ぎ去っていますような感じが…
 
 とは言いましても、せっかく出掛けてきましたので、また画像で少しご案内させて頂きたいと思います(^-^)/

 

 

 ■常国寺
 
 ・出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
 常国寺(じょうこくじ)は、広島県福山市熊野町にある日蓮宗の寺。山号は広昌山。建立は1486(文明18)年、当時沼隈半島一帯を領有していた渡辺兼(山田渡辺氏)による。旧本山は京都本法寺。親師法縁。
 
 ◆渡辺氏との関係
 
 渡辺兼は、若いころ京で日親上人の説法に感動して帰依していた。その後国に戻ると付近で辻説法をする老僧のことを聞いた。これが日親上人であるとわかると、兼は上人を居館へ招き、上人に寺院建立を願い出た。こうして常国寺は日親上人を開山として建立された。
 
 ◆鞆幕府時代
 
 また、常国寺は室町幕府崩壊期にも脚光を浴びた。織田信長に追われて逃れてきた室町幕府十五代将軍足利義昭は毛利元就の庇護下で鞆幕府を開いた。この鞆幕府の所在地となったのが渡邊民部少輔元の一乗山城であり、渡辺氏の菩提寺であったこの常国寺も幕府の重要な政務機関となっていた。
 
 義昭は渡辺氏の格別の働きに感謝し白傘袋と毛氈鞍覆の使用を許し守護大名格としたのだが、この際常国寺にも唐門を送り、渡辺元はこれを将軍門と名付け現在でも市重文として残っている。また義昭ゆかりの品も数多く遺されている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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