2012 中村講中の皆様と晩秋の安芸方面へ <1/5> |
■2012年12月22日
12/2には中村講中の皆様と晩秋の広島を散策となりました(^.-)☆@
12/2(日)には、中村講中の皆様と晩秋の広島を散策となりました(^.-)☆
広島市の「國前寺」へのお参りがメインで、便を利用しまして安芸の宮島にも出かける事となりました。P.M.7:30が集合ですから、我が家を出ました時には、まだ多少薄暗い感じでありました(^.-)☆■国前寺出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』本来の表記は「國前寺」です。
所在地 --- 広島市東区山根町32-1
位置 --- 北緯34度24分11.3秒 東経132度28分52.5秒
山号 --- 自昌山
宗派 --- 日蓮宗
寺格 --- 本山(由緒寺院) 創建年 --- 暦応3年(1340年) 開基 --- 暁忍坊
中興年 --- 明暦2年(1656年)
中興 --- 自昌院(浅野光晟正室) 文化財 --- 本堂、庫裏(国重文) 山門、境内地(市重要有形)國前寺(こくぜんじ)は、広島県広島市東区にある日蓮宗本山(由緒寺院)の寺院。すぐそばに尾長天満宮がある。◆沿革尾長山(二葉山)麓で庵を営んでいた暁忍が日像に師事、1340年(暦応3年)「暁忍寺」として開山した。
1656年(明暦2年)、広島藩浅野家2代藩主浅野光晟正室の満姫(自昌院)の帰依により浅野家の菩堤寺となり、現名の「國前寺」に改名した。その後本堂は満姫が、その他諸堂は光晟が建立し直した。1692年(元禄5年)、不受不施派禁圧により寺領を没収された。この際浅野家は天台宗に改宗し牛田の日通寺に菩提寺を変えている。1945年(昭和20年)8月6日広島市への原子爆弾投下により被爆。ここは爆心地から約2.60kmに位置した。爆風により建物は北東方向に傾いたが倒壊は免れた。ここの南には東練兵場が広がっており、被爆者が数多く避難してきた。翌7日から境内に大日本帝国海軍による救護所が設けられ特に重傷者を中心に運び込まれ、呉鎮守府派遣の医療班や近隣地域の民間医師団など様々な医師が活躍した。9日には被爆地救援に当たる宇品の船舶司令部麾下の陸軍船舶兵(暁部隊)の一隊が拠点をおいた。戦後は部分的な修理が行われていたが痛みが進行したため、1988年(昭和63年)からまず庫裏を3年かけて修理、2001年(平成13年)から本堂を5年かけて修理した。
現住は39世疋田日量(英親)貫首。疋田英漣・疋田英華二人の息子を持ち、妻は、宝塚歌劇団花組出身の疋田愛子。
弟の英華は、師父英親の影響を受け、2010年、世界三大荒行とも言われている日蓮宗大荒行堂へ入行し、寒壱百日の厳しい修行を経て、2011年2月10日に無事、成満。2月12日には自坊にて帰山式が盛大に行われた。◆文化財1993年(平成5年)本堂と庫裏が国の重要文化財に指定された。双方とも広島藩の城大工による建築で、一般的な寺社建築ではなく城郭建築の手法が用いられているのが特徴。
また同1993年には市により現存する被爆建物リストに登録された。1995年(平成7年)山門および参道を構成する境内は市の重要有形文化財に指定されている。本堂は、二重屋根の寄棟造、向拝は唐破風造りで、1671年(寛文11年)建立。錣屋根の仏間が背面に出ている。前の4基の石灯籠も本堂と同年に建てられたもの。
庫裏は、錣屋根の切妻造。棟札が残っていないため建立年はわからないが材料や建築方法が本堂と似ていることから、本堂と同時期あるいは少し前に建立されたと考えられている。
両脇に仁王がある山門は、1840年(天保11年)建立。
鐘楼は、1906年(明治39年)に再建されたもの。
寺宝として、国内唯一である鳩摩羅什の木像や、稲生物怪録に登場する平太郎(稲生武太夫)が魔王山本五郎左衛門からもらった木槌が現存している。…と、こんな国前寺なんであります。GONsanは10代の後半から30代の後半まで、通算で16〜17年ばかり暮らしていましたでしょうか…
で、国前寺の背後に存在します双葉山の仏舎利塔までよく登っておりまして、その行き帰りに何度か立ち寄りました関係で、結構馴染みのありますお寺ではありますけど、こぅして正式にお参りさせて頂きましたのは今回が初めてなのです(^.-)☆
ですから、何となく懐かしさも(^.-)☆山門前から見廻します国前寺…仲々趣のありますイィお寺でありました(^-^)//"
■2012年12月25日
12/2には中村講中の皆様と晩秋の広島を散策となりました(^.-)☆A
国前寺での参拝を終ました丁度その頃、小雨が落ち始めました広島市内。
当初から雨天の天気予報でありましたから、皆さん傘は持参しておられますから別に構いませんけど、せっかく今から宮島へと向かいますと言うのに…まぁ仕方有りません(^-^;フェリー桟橋に到着しますと、もぅ傘無しでは歩けません状況です。
とりあえず、宮島に渡る前に昼食です。この日は、宮島の紅葉を楽しめます最後の日曜日ですから、悪天候にも拘わらず実に大勢の観光客。
宮島に渡りましてからの昼食が、急遽、渡ります前となってしまいましたねぇ〜とにかく、それほどまでに大勢の方々ですから桟橋も大混雑(^.-)☆昼食を終えますと、いいよいよ宮島行きフェリーに乗船です。
きっと、宮島に渡りましてからも歩きますのが大変かも分かりませんねぇ〜
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