2012 講中の皆様と東京・日立方面のお寺巡り <6/13> |
■2012年06月22日
2012/05/25-27「中村講中お寺詣り」(6)
約40分近く浅草寺周辺の散策を終えましてからは、この日の最後の訪問寺『瑞輪寺』にと向かいます。
台東区谷中の日暮里駅近くに存在し、なんでも瑞輪寺は谷中で最も大きなお寺とか…■日蓮宗本山 慈雲山 瑞輪寺◆所在地・東京都台東区谷中4丁目2番2号瑞輪寺は、谷中で最も大きなお寺と言われています。
日蓮宗で、子院が浄延院・躰仙院・正行院・久成院・本妙院と5院あります。江戸開府400年を記念して2004年(平成16)に、本堂・山門・鐘楼堂などを大修復して、位牌堂を新築しています。
瑞輪寺には、神田上水創始者である「大久保主水」のお墓があります。◆瑞輪寺の概要日蓮宗寺院の瑞輪寺は、慈雲山と号します。天正19年(1591)、慈雲院日新上人が身延山の江戸宿寺として開山しました。
元禄年中には、不受不施派の弾圧により、天台宗へと改宗させられた感應寺(現天王寺)から、江戸十祖師の一つである安産飯匙の祖師を移しています。その後慶安2年(1649)当地へ移転し、現在に至ります。
江戸期には、身延山久遠寺末触頭で、善立寺、宗延寺と並び日蓮宗(旧法華宗)江戸三大触頭の一つに連なる名刹です。…と、こんな瑞輪寺であります(^.-)☆
■2012年06月22日
2012/05/25-27「中村講中お寺詣り」(7)
お寺の入り口に存在しました「大沼枕山」の碑文ですけど、んっ?!「大沼枕山」とはどなたなのでしょう?◆大沼枕山(おおぬまちんざん)
文政元年〜明治24年10月1日(1818-1891)幕末・明治時代前期に活躍した漢詩人。名、厚。字、子寿。号、枕山・熈々堂。通称、捨吉。
父、大沼竹渓。下谷三枚橋付近(地下鉄仲御徒町駅付近)出身。10歳で父を亡くし尾張で過ごし、はじめ鷲津益斎(鷲津毅堂の父)の塾に入り文を学ぶ。天保6年(1835)江戸に戻り漢詩人の菊池五山・梁川星巌(やながわせいがん)に師事。
塩田随斎・大窪詩仏・小野湖山と交遊。
下谷御徒町に「下谷吟社」を設立して、幕末江戸詩壇をリードした。枕山は熱烈な佐幕思想で佐久間象山(1811-1864)が神田お玉が池に開いた象山塾で高野長英(1804-1850)、大槻磐渓(1801-1878)らと国事を論じた。
晩年は、上野花園町暗闇坂に住み酒にひたる。門人に植村蘆州・溝口桂厳・杉浦梅潭・中根半嶺など。台東区内の「不忍池の蓮」や「隅田川の月」など江戸の四季折々の風物を詠み続けた。74歳。著書:「枕山詩鈔(ちんざんししょう)」六巻、「江戸名勝詩」、「房山集」、「詠物詩選」、「絶句詩抄」、「歴代詠史百律」、遺稿一巻がある。
墓は、瑞輪寺墓地(谷中4-2-5)。日本美術院裏に位置する。門人により建てられ表面に「枕山大沼先生之墓」とある。…と、WEB上で検索してみましたら、こんな記載がありました(^.-)☆
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