中村講中 滋賀&京都方面お寺巡り <3/5> |
■2011年12月07日
中村講中の皆様との滋賀・京都方面へのお寺参り(2)
瑞龍寺へのお参りを終え八幡山を下りて来ますと、時間は丁度昼食タイム(^-^)
バスで、この八幡山の近くに存在します「和定食・坪清」行きとなりました。
当初は「あきんどの里」の予定でしたけど、予約が取れませんでしたのかも…
◆和定食・坪清
水郷めぐりの「和船のりば」近くにある老舗の郷土料理店。湖魚や近江牛を使った料理が楽しめる。水郷弁当やスキ焼、商人御膳などが人気。
…と、こんなお店のようでありまして、到着してみますと、確かにスグ近くに“和船乗り場”がありましたネ(^.-)☆
ですから、昼食を終えますと坪清周辺をチョッと散策となりました(^-^)
その際に撮りましたのが、挿入の画像です(^.-)☆
どんなルートで料金はいくらなのか知る由もありませんけど、結構、観光客の皆様が楽しそうに乗船しておられました。
★近江八幡・水郷めぐり
近江八幡の水郷は、琵琶湖八景の一つ「春色・安土八幡の水郷」に数えられるなど、風光明媚な観光地や市民の心のよりどころとして存在してきました。四季折々に見せるその美しさを求めて、県内外から写真や絵画の愛好者が訪ねてくる場所でもあります。
水郷は四季それぞれに趣があり、水鳥たちも多く集い、自然の営みや恵みを感じることの出来る場所です。
ヨシは春に芽吹きはじめ、夏になると青々と4m近くに成長し、秋が深まるにつれ葉を落とし黄金色に変化、冬にはヨシ原で刈り取り風景が見られます。また芽吹きを良くするため、3月上旬頃に行われる「ヨシ焼き」は水郷の早春の風物詩となっています。
このような情緒を直に感じることが出来るのが「水郷めぐり」です。この始まりは、織田信長や豊臣秀次が戦国の世の疲れを癒すため、宮中の雅やかな遊びを真似たと言われています。
◇重要文化的景観について
平成17年4月の文化財保護法の改正により新しく生まれたもので、文化的景観を「地域における人々の生活又は生業及び当該地域の風土により形成された景観地で我が国民の生活又は生業の理解のため欠くことのできないもの」としています。又、文化的景観のうち、特に重要なものを都道府県又は市町村の申し出に基づき、「重要文化的景観」として文部科学大臣が選定することとなっています。
この重要文化的景観第1号として近江八幡市の水郷が平成17年1月26日に選定されました(第2号は「一関本寺の農村景観」(岩手県一関市)が平成18年7月28日に選定)。平成20年4月現在、全国で7地域が選定されています。
…と、こんな水郷巡りでありますけど、時間が許せますとGONsanも乗ってみたい気持ちではありましたネ(^-^)//"
■2011年12月08日
中村講中の皆様との滋賀・京都方面へのお寺参り(3)
昼食を終えました後は京都市内にと戻って来まして、本日2ヶ寺目の「妙傳寺」へのお参りです。
■本山 妙傳寺の紹介
--- 本山妙傳寺 縁起 ---
当山は、円教院日意聖人によって文明九年(1477)に開創された日蓮宗の本山であり、京都八本山の一つであります。
はじめに、京都一条尻切屋町に建立され、身延より宗祖日蓮大聖人の御真骨を分骨奉安し、同時に身延七面山に勧請されている七面天女と同木同体の霊体を安置しました。ゆえに「西身延」と称され、関西以西の日蓮宗信者はこぞって参拝したと伝えられています。
しかし、天文五年(1536)に起こった天文法難により、全山悉く灰燼に帰してしまいます。
天文十年(1541)に新たに西洞院に再興し寺観を整えたのですが、天正十九年(1591)豊臣秀吉の命により京極二条の地に移転を命じられます。時の貫首、第六世・慈眼院日恵上人は逆境をものとせず布教活動に邁進され、前にも増して山門は興隆したと伝えられています。
この時、一条家・四条家の菩提寺となり、日恵上人は妙傳寺の中興の祖と仰がれています。
第八世には有名な心性院日遠上人が猊座に就かれ、第十四世には勇師法縁の縁祖である法性院日勇上人が歴世となられます。日勇上人は学徳高く、後水尾天皇の皇后・東福門院より金紋袈裟を賜ります。
また、山科の地に護国寺を開創し、山科檀林を開かれました。第十六世には寂遠院日通上人が歴世に就かれる等、隆盛を極めます。
ところが、宝永五年(1708)に、宝永の大火が起こり、全山再び灰燼に帰してしまいます。第二十九世・住心院日義上人は、現在の二条川端に再興し、第三十五世・了遠院日勤上人は、説法一万座に及び、浄財を勧募し現在の本堂を建立されました。
以来、開山日意上人より五百数十年の間、身延門流の直系、京都の触頭。本山としての威容を保ち、勇師法縁の縁頭寺院として現在にいたっています。尚、歴代の廟は東山区鳥辺山通妙寺にあり、勇師法縁の縁祖である法性院日勇上人、並びに寂遠院日通上人の廟は山科護国寺にあります。
…と、こんな妙傳寺でありました。
← 戻る Contentsに戻る トップページに戻る 進む → |