講中の皆様と京都・和歌山方面のお寺巡り <1/10> |
■2011年06月13日
中村講中の皆様と和歌山方面のお寺巡り(^.-)☆(1)
GW明けの5/7(土)〜5/8(日)は、町内の中村講中の皆様と和歌山方面へのお寺巡りでありました(^.-)☆
当初、本年度は東北方面への予定でありましたけど、大地震発生で急遽予定を変更。和歌山行きとなりました。5/7(土)の定刻20分前に集合場所であります町内の集会所に出かけますと、相変わらず皆さんお早いですねぇ〜GONsanと嫁さんはビリから2番目の集合でありました(^-^;皆さんの集合が早いですから、定刻10分前に出発となりまして、第1回目のトイレ休憩が吉備SAで2回目が龍野西SA。
挿入の画像は龍野西SAで撮りましたものなんです(^.-)☆
バスから降りて歩いておりますと、車の脇に脱がれた一足のつっかけが眼に入りました(^-^)うん、うん、車の中で仮眠中なのかも分かりませんねぇ〜
でも、このまま履き物を外に置いていますのをお忘れにならなければ宜しいのですが…
時々こんなSAで見かけますのですよ…車の去りました後に寂しく残されました履き物を(^-^)…と言う訳で、今週は既に1ヶ月以上も前の事となってしまいましたけど、和歌山方面へのお寺巡りを綴ってみたいと思います(^-^)//"
■2011年06月16日
中村講中の皆様と和歌山方面のお寺巡り(^.-)☆(2)
名塩SAでトイレ休憩後、京都南ICで降りまして、今回の最初の訪問寺となりました「本満寺」到着は、当初の予定通りA.M.9:10でありました(^.-)☆■本満寺(本山 本満寺)◆概要日蓮宗本山。
1410年(応永17)近衛関白道嗣の嫡子、玉洞妙院日秀が今出川新町に朝廷より敷地三万坪を与えられて創建。広宣流布山、本願満足寺と号 す。
1536年(天文5)の天文法華の乱後、12世日重の代、1539年(天文8)関白近衛尚道の外護により現在の地に移り、後奈良天皇の勅願 所となる。1751年(宝暦1)35世日鳳が8代将軍徳川吉宗の病気平癒を祈り、以来、将軍家の祈願所ともなった。本尊は十界大曼陀羅。又、尚道奉安の祖師像は、芹生村山麓禄より発見されたもので、その山中より法華経読誦の声が上がったという有名な説がある。
境内墓地には山中鹿之介の墓、本堂脇には徳川家康二男秀康の正室、蓮乗院の石廟がある。
伝太子筆紺紙 金泥一字宝塔法華経並普賢経は重要文化財。
宗祖日蓮大聖人真蹟十界大曼荼羅御本尊ニ幅、狩野元信筆の祖師像はじめ寺宝多数。尚重要文化財は京都博物館預け。【正式名称】本満寺(ほんまんじ)
【通称名称】本山 本満寺(ほんざん ほんまんじ)
【住所】上京区寺町通今出川上る2丁目鶴山町16
【電話番号】075-231-4784
【FAX】075-223-5722上賀茂神社の近くに存在しておりましたネ(^.-)☆
■2011年06月18日
中村講中の皆様と和歌山方面のお寺巡り(^.-)☆(3)
「本満寺」参拝を終えましてからは、車で20分程度の同じ京都市内に存在します「立本寺」にと移動です(^.-)☆
これまた予定通りA.M.10:30、立本寺に到着です。■立本寺具足山立本寺は日蓮宗八本山の一つ。
京都の法華系本山十六ヶ寺の内、大本山妙顯寺・本山妙覚寺・本山立本寺を三具足山といい、いずれも日蓮聖人の孫弟子にあたる日像上人(龍華樹院)により開山される。日蓮聖人ご入滅にさいし京都布教の命を受けた日像上人は、いく度も都を追放されながらも民衆救済の使命に燃え、暦応4(1341)年、四条の櫛笥に妙顯寺を建立するが叡山僧兵によって破却され、明徳4(1393)年、日実上人がその地に再建、「本寺を立てる」という意味を込め「立本寺」と改名した。しかし天文5(1536)年、再び僧兵によって破却され、いち早く再興されたものの、文禄3(1594)年、秀吉の命で京極今出川(寺町今出川)に移転。広大な寺域を得たが、宝永5(1708)年の大火で焼失し現在地に移転、今に至る。京都の法華系寺院の殆どは観光寺院でない。
立本寺も観光寺院ではないので、普段の境内はお年寄りや子供の遊び場である。七本松通に面した表門(高麗門)から境内へ入ると、少々荒れ気味の堂宇だが、本堂・祖師堂・鬼子母神堂(刹堂)・鐘楼・方丈・客殿・庫裡などは江戸時代の建築で京都市の文化財に指定されている。◇立本寺の所在地・住所:〒602-8345京都市上京区七本松通仁和寺街道上る一番町107
・電話:075-461-6516
・拝観:境内自由
・交通:市バス「千本中立売」下車、西へ徒歩約10分、または市バス「北野天満宮」下車、南へ徒歩約10分。◆鎌倉時代から伝わる日蓮宗寺院はじめは、竜華院といい、1321年日像上人によって創立され、1708年に現在地に移った。
灰屋紹益と吉野太夫の墓があることで知られている。
灰屋紹益は江戸初期の豪商で当代一流の文化人。遊女の吉野太夫を身請けしたことで有名になった。また、関ヶ原の西軍の軍師、島左近の墓が有ることで有名。
毎年美しい桜を咲かせ目を楽しませてくれます。
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