2009 春の景観 & 第28回“ふくやまマラソン” <4/9> |
■2009年03月17日
3/15(日)は『第28回ふくやまマラソン大会』開催日でありました(^.-)☆@
一昨日・3/15(日)は「第28回ふくやまマラソン大会」開催日でありました(^.-)☆
GONsanにとりましては、色んなマラソン大会を走って来ましたけど、この大会が一番楽なんです。
と言いますのも、我が家からノンビリと歩いて出かけますことが出来ます唯一の大会ですから(^_^)v朝もユックリ出来ますし、開会式に間に合いますように出かけようと思えば、A.M.8:30過ぎに我が家を出ますと充分間に合いますから(^-^)
その割りにはGONsan、この大会であまり走った事はないのでありますよ(^-^;
何でかな?…と考えてみましたら、今でこそ3月に本大会は開催されますけど、以前は2月の開催でありました。で、2月の開催ですと他の大会と重なりまして、そちらに出かけます方が多かったせいかも分かりませんねぇ〜
それに、地元福山にはいませんで転々とした暮らしをしていたものですから(^-^)それが6〜7年前に地元・福山にと戻ってきましたから、「タバコは地元町内で買いましょう」の精神の下、「マラソンは地元の大会で走りましょう」を真面目に実践しているGONsanなんであります(^.-)☆
何で“タバコ”が関係あるの?…と尋ねられそうですけど、GONsanは数少ない希少な“喫煙者長距離ランナー”なんであります。この日も勿論、スタートまでに数本喫煙しておりましたけど、走る前のこのタバコがまた美味いのであります(^_^)v
嫁さん曰く「タバコを吸って走ると、寿命が縮まるのに…」と。
そんなお言葉で喫煙を辞めますほど意思が弱くはありませんGONsanですから、お構いなしに吸ってはおりましたけど、「ほら、ここに“競技場周辺での喫煙はご遠慮下さい”と掻いてある!!」には、さすがに辞めざるを得ませんでしたねぇ(^-^;この大会では、大概A.M.8:30過ぎに我が家を出まして、ゴンchanとの散歩コースと同じルートで竹ヶ端運動公園にと向かいます。
そしてテニスコート横の雑草地帯を縦断し陸上競技場へ。
で、ゴンchanの散歩は嫁さんが済ませ、A.M.10:00頃にGONsanの荷物番として嫁さんがヤッて来ます。
昨年はゴンchanと共に来てましたけど、今回は置いてきましたようでした(^.-)☆定刻のA.M.9:00から開会式が始まりましたけど、ハーフの部のスタートでありますA.M.10:55まではタップリと時間がありますから、この待ち時間は結構長く感じられてしまいましたネ。この日の様子は、中国新聞sanがこんな記事で伝えておりました。■過去最高の5,972人がいい汗--- 2009/03/16 中国新聞 ---第28回ふくやまマラソンが15日、福山市水呑町の市竹ケ端運動公園を発着点に開かれた。広島県内を中心に過去最高の5,972人が出場し、芦田川を望むコースで元気よく春風を切った。市や市体育協会、中国新聞備後本社などでつくる実行委の主催。日本陸連公認のハーフマラソンと10キロをはじめ、5キロや3キロ、家族で走る2.5キロ、のんびりと歩く4キロに、3―85歳の参加者が次々と挑み、思い出に残る汗を流した。…と、こんな記事でありましたけど、ふん、ふん、結構参加者はおられましたようですネ(^.-)☆
競技場スタンドから、いつものように眼に入ります景観を画像に納めておりましたけど、そんなに多いとは感じなかったのですけどネ…それでは、また、この“ふくやまマラソン大会”の様子を何度かに分けまして綴って行きたいと思います(^-^)//"
■2009年03月19日
3/15(日)は『第28回ふくやまマラソン大会』開催日でありました(^.-)☆A
開会式の様子をスタンドからズッと眺めておりますと、そのうち天満屋女子陸上競技部の2選手が紹介されました。
んっ!?…今年は誰が来たのだろぅ?…と眼を向けますと、「山口衛里」「浦田佳小里」のお二人でありました(^_^)vうん、うん、ひょっとしたら山口衛里sanと一緒にハーフを走れるのかも…と思っておりましたら、そぅですねぇ〜既に現役を引退し天満屋女子陸上部のコーチですから、走られませんよねぇ〜
残念ながら「ウォーキング」の部へ出場との事でありました(^-^;画像・上段の右が“山口衛里”sanで、左が招待選手の“浦田佳小里”選手です。■山口衛里san2000年9月のシドニーオリンピック女子マラソンの本番レースでは、スタート直後から2位集団の先頭を走る積極的な走りを見せていたが、5km過ぎの給水ポイントで他選手と接触し、転倒するというアクシデントを起こす。その影響があったのか、18km付近でスパートした高橋尚子についていけずに遅れ初め、その後一時は20位前後まで下がってしまった(山口本人はレース後「転んだせいでは無い」と否定)。しかし後半30kmを過ぎてから持ち前の粘り強さが蘇り、前から落ちていく選手を一人一人拾って順位を上げる。そして競技場に入ってからも又一人抜き、結果7位に食い込んでゴールした。
同じ日本女子代表の高橋が優勝し、日本女子陸上界初の五輪金メダルを獲得したため、山口の7位入賞は影に隠れる形となったが、序盤の転倒という不運を乗り越えてのこの成績は大健闘だったと言える(市橋有里は15位)。引退後は、天満屋陸上競技部で2年間アドバイザーを務めていた。その傍らで2005年4月に岡山県立大学短期大学部健康体育専攻に入学、2007年3月に卒業。2007年1月14日の第25回全国都道府県対抗女子駅伝競走大会では、第7中継所で8区を走る岡山県チームの中学生選手をサポート。
その様子がNHKのレポーターから紹介され、アナウンサーや解説の金哲彦に感嘆を交えながら語られた(中学生選手は粘りの走りで襷をつなぎ、9区浦田選手も好走し3着と同タイムながら先着し、岡山県チーム初の準優勝を成し遂げた)。また同年2月の第1回東京マラソンへ、久々にフルマラソンを出走。同2007年4月1日付けで、天満屋女子陸上競技部のコーチに就任となった。2009年1月11日の第27回都道府県対抗女子駅伝大会では、岡山県チームの監督を初めて務める。優勝は惜しくも京都府チームとなったが、第25回大会に続いて岡山県チームを過去最高順位タイの2位に導いた。…と、こんな山口衛里sanで、高橋尚子のような派手さはありませんけど、山口衛里sanに好感を抱きます方々は結構多いみたいですネ(^.-)☆
← 戻る Contentsに戻る トップページに戻る 進む → |